兄さん兄さん
高城誇は八罪管理局のロビーで時計を確認した。午前九時。今日は休日だが、地域の見回りという任務がある。魔物の気配が報告された区域を巡回し、異常がないか確認する――比較的軽い仕事だ。
一人で行くつもりだった。だが。
「兄さん!」
明るい声が響いた。振り返ると、妹の依理が駆け寄ってくる。いつもより明るい色のワンピース、丁寧に整えられた髪、手には紙袋。明らかにお出かけ仕様だった。
「今日はお休みですよね」
「見回りがある」
誇は素っ気なく答えた。依理の目が一瞬だけ曇る。だがすぐに笑顔を取り戻し、一歩踏み出した。
「じゃあ一緒に行きます!」
「必要ない。一人で十分だ」
「でも、もし魔物が出たら危ないじゃないですか。私も半魔なんですから、お手伝いできます」
依理は両手を組んで誇を見上げた。その瞳には純粋な期待が宿っている。
誇は小さく溜息をついた。断り切れない。いつものことだ。
「……好きにしろ」
「やった!」
依理は嬉しそうに飛び跳ねた。その様子を見ていた局員たちがニヤニヤと笑っている。
「兄妹デートか〜」
「仲良いな、高城兄妹」
烈志が通りかかり、誇の肩を叩いた。
「誇、妹想いだな。羨ましいぜ」
「勘違いするな。ただの見回りだ」
「はいはい」
烈志はそう言って去っていった。
その時、乙葉と昴も通りかかった。乙葉が二人を見て、目を輝かせた。
「誇さんと依理さん、今日はお出かけですか?」
「見回りだ」
「二人で? 仲良しですね〜」
昴も微笑みながら頷いた。
「兄妹でデート、いいじゃないですか」
「デートではない」
誇は強調したが、昴と乙葉はすでに廊下の向こうへ消えていた。
依理が誇の腕に抱きついた。
「兄さん、行きましょう」
「……ああ」
誇は再び溜息をつきながら、依理と共に管理局を後にした。
街は休日で賑わっていた。家族連れ、カップル、友人同士。様々な人々が行き交う中、誇と依理は並んで歩いていた。
見回りの目的は、最近近くで魔物の気配が感知されたという報告があった。だが、まだ具体的な被害は出ていない。念のための確認作業に過ぎなかった。
依理は完全に観光気分だった。
「兄さん、あそこにアイス屋さんがありますよ」
「今は任務中だ」
「でも、ちょっとくらいいいじゃないですか。休日なんですし」
依理が誇の袖を引っ張る。誇は少し考えてから、頷いた。
「……少しだけだ」
「やった!」
二人はアイス屋に立ち寄った。依理はストロベリー味、誇はコーヒー味を注文した。
ベンチに座り、依理は嬉しそうにアイスを食べた。
「美味しい! 兄さんも食べてみます?」
依里がアイスを舐める仕草が気になってしまい、ぶっきらぼうに断る。
「いらない」
「えー、ケチ」
依理は少し膨れたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「兄さんって休日も真面目すぎます。たまにはデートっぽいことしましょうよ」
「兄妹でそういう言い方をするな」
「え〜いいじゃないですか。私、兄さんの妹であり一番のファンなんですから」
依理の言葉に、誇は眉をひそめた。
「ファン?」
「はい。兄さんのこと、誰よりも尊敬してますし、大好きですから」
依理の笑顔は無邪気だった。だが、その言葉には少し過剰な甘えが含まれているように感じられた。
誇は何も言わず、アイスを食べ続けた。
アイスを食べ終えた後、二人は再び歩き始めた。途中、雑貨店に立ち寄ることになった。依理が「ちょっと見たいものがある」と言ったからだ。
店内に入ると、依理は服のコーナーへ直行した。男性用のシャツを手に取り、誇に見せた。
「兄さん、これ絶対似合います!」
「必要ない」
「そんなこと言わないで。兄さん、いつも同じような服ばっかりじゃないですか」
依理はシャツを誇の胸に当てて、満足そうに頷いた。
「やっぱり似合う。買いましょうよ」
「自分で選ぶ」
「でも私が選んだ方がいいですよ。兄さん、センスないですから」
依理の言葉に、誇は少しムッとした。
「センスがないとは何だ」
「事実です」
依理はくすくすと笑った。誇は呆れたように溜息をついたが、どこか嬉しそうだった。
結局、依理が選んだシャツを購入することになった。レジで会計を済ませ、店を出る。
「ありがとうございます、兄さん」
「……礼を言うのはこっちだ」
誇の言葉に、依理は嬉しそうに微笑んだ。
二人は街を歩き続けた。誇は周囲を警戒しながら、魔物の気配がないか確認していた。だが、今のところ異常は感じられなかった。
依理は誇の隣を歩きながら、時折誇の顔を見上げた。その視線は、どこか熱っぽかった。
「兄さん」
「何だ」
「今日、すごく楽しいです」
「……そうか」
誇は短く答えた。依理は満足そうに微笑み、誇の腕に軽く触れた。
報告のあった場所の周辺に到着したのは、午後になってからだった。周囲は静かで、人通りも少なかった。
誇は周囲を確認し始めた。依理はその様子を見守っていた。
その時、路地から数人の男たちが現れた。どうやらチンピラのようだった。一人が依理に目をつけた。
「お嬢ちゃん、一人?」
「いえ、兄と一緒です」
依理は冷静に答えた。だが男たちは構わず近づいてきた。
「兄ちゃん? どこにいんの?」
「ここにいる」
誇が男たちの前に立ちはだかった。その眼差しは冷たく、威圧感に満ちていた。
男たちは一瞬怯んだが、すぐに態度を元に戻した。
「なんだよ、兄ちゃん。邪魔すんなよ」
「失せろ」
誇の声は低く、冷たかった。男たちはその迫力に気圧されたが、引き下がらなかった。
「生意気な……」
一人が誇に掴みかかろうとした。だが誇はその手を軽くいなし、男の腕を捻り上げた。
「うわっ!」
男が悲鳴を上げる。他の男たちも慌てて誇に襲いかかった。
だが誇にとって、彼らは敵ですらなかった。一瞬で全員を地面に叩き伏せた。
男たちは恐怖に震えながら、その場から逃げ去った。
誇は深呼吸をして、冷静さを取り戻した。振り返ると、依理が少し離れた場所に立っていた。
「大丈夫か」
「はい、大丈夫です」
依理は微笑んだ。だがその笑顔は、どこか不自然だった。
誇は依理に近づき、その肩に手を置いた。
「怖かったか」
「少しだけ。本当に少しだけなんです。だって本気になれば彼らより私の方が強いから」
依理は正直に答えた。そして、誇の目を見上げた。
「それに、兄さんが守ってくれるから大丈夫です」
その言葉に、誇は何も言えなかった。
二人は静かな公園のベンチに座った。夕暮れが近づき、空はオレンジ色に染まっていた。
依理は誇の隣に座り、小さく息をついた。
「兄さん」
「何だ」
「さっきはありがとうございました。それに――」
依理は誇の方を向いた。その目には複雑な感情が宿っていた。
「兄さんが怒ると、ちょっと嬉しいんです」
「何?」
「私のこと、それだけ大事に思ってくれてるんだって」
依理の言葉に、誇は返す言葉を失った。
依理は微笑んだ。だがその笑顔は、どこか危うかった。
「兄さんが私を想ってくれている。それが嬉しいんです」
「……依理」
「だから、ずっと一緒にいてくださいね」
依理は誇の腕に抱きついた。誇は何も言えず、ただ依理の頭を撫でた。
夕日が二人を照らしていた。
帰路の車中。依理はうたた寝していた。誇の肩にもたれかかり、静かな寝息を立てている。
誇は運転しながら、依理の寝顔を横目で見た。無防備な表情。穏やかな寝息。
依理を守るために戦ってきた。だが、それが彼女の自立を奪っているかもしれない。
それでも、離せない。
依理は誇の全てだった。妹であり、守るべき存在であり、唯一の家族だった。依里がそばに居ない世界など想像することすら悍ましい。
だが、それが正しいのかどうか、誇には分からなかった。
依理が寝言のように呟いた。
「兄さん……どこにも行かないでね」
誇は何も答えなかった。どこにも行ってほしく無いのは、こちらの方だからだ。
誇はただ、依理の頭に優しく手を置いた。
車は夜の街を走り続けた。遠くに見える監視塔の明かりが、二人を見守るように輝いていた。
誇は前を向き、アクセルを踏んだ。
依理が、妹でなければ。誇は、そんな想像をしてしまった自分を激しく嫌悪していた。嫌悪しながらもそんな夢を見ずにはいられなかった。
読み専だった時他の作者さんめっちゃ評価くださいとか後書きしてた気持ち、書くようになってよくわかりました。




