あっさりとした幕引き
満腹乙葉は助手席に座りながら、隣で運転する狩野貪をちらりと見た。狩野との二人だけの任務は今回が初めてで、少し緊張していた。
「狩野さん、県外の現場まで結構遠いんですね」
「ああ、片道2時間半ってところか。往復で5時間コースだな」
狩野が淡々と答える。普段はあまり長く話すことのない相手だったが、これだけ長時間一緒にいると、自然と会話が生まれる。
「今回の同時多発、本当に大変ですね……」
乙葉が心配そうに呟く。昴の行方不明と魔物の同時発生という異常事態に、胸がざわついていた。
「まあ、こういうこともある。俺たちはとにかく自分の任せられた仕事を片付けるだけだ」
狩野の声は冷静だった。
「私、昴くんのことが心配で……」
乙葉が正直な気持ちを口にする。昴がどこにいるのか、無事なのか、そのことばかり考えてしまう。
「あいつなら大丈夫だろ。案外どこかでのんびりしてるんじゃないか」
狩野が軽く答える。
「そうですかね……でも昴くん、普段はちゃんと連絡してくれるのに」
乙葉の声に不安が滲む。昴とは毎日のように一緒に食事をしている仲だった。彼が連絡なしに姿を消すなど、考えられなかった。
「満腹は鏡とよく一緒にいるもんな。仲がいいんだな」
狩野が何気なく言う。
「はい、昴くんはとても優しくて……いつも私のことを心配してくれるんです」
乙葉の頬が僅かに染まる。昴への想いが自然と言葉に表れていた。
「ほう、そんなに仲がいいのか」
狩野が興味深そうに反応する。
「あ、その……」
乙葉が慌てる。自分の気持ちが透けて見えたかもしれない。
「別に変な意味じゃないぞ。ただ、お前たちが仲良しなのは誰が見ても分かる」
狩野が苦笑いを浮かべる。
「昴くんは、私なんかと一緒にいて楽しいのかな……」
乙葉がぽつりと呟く。
「楽しくなかったら、毎日一緒にメシ食ったりしないだろ」
狩野の言葉に、乙葉の表情が明るくなった。
「そうですよね!」
「で、鏡のことは、どのくらい知ってるんだ?」
狩野が何気なく質問する。
「え?」
「いや、あいつって少し謎めいてるところがあるだろ。過去のこととか、家族のこととか」
狩野の指摘に、乙葉は考え込んだ。
「そういえば……昴くん、自分のことあまり話さないかも」
「だろ? 俺も気になってたんだ。もしかしたら、何か隠してることがあるのかもしれない、とかさ」
狩野の言葉に、乙葉の心に小さな不安が芽生えた。
「隠し事って……でも昴くんが何か悪いことをするはずないです」
「そうだな。でも、人には言えない事情があるのかもしれない」
狩野が意味深に言う。
「事情……」
乙葉が呟く。昴の過去について、確かに知らないことが多い。
「まあ、詮索するもんじゃないけどな。でも満腹がそれだけ鏡を大切に思ってるなら、いつか本当の昴を知ることになるかもしれない」
狩野の言葉に、乙葉は複雑な気持ちになった。昴の隠された一面があるとしても、彼への気持ちは変わらない。だが同時に、もっと彼のことを知りたいという気持ちも強くなった。
「私、昴くんのことをもっと知りたいです」
乙葉が決意を込めて言う。
「それはいいことだ。ただ、人には表と裏があるもんだ。その覚悟はしておいた方がいい」
狩野の言葉が、乙葉の心に重く響いた。
車は高速道路を走り続ける。風景が流れていく中、乙葉は昴のことを考え続けていた。
「狩野さんは、昴くんをどう思いますか?」
乙葉が質問する。
「あいつか……悪い奴じゃないと思う。ただ、まだ若いからな。経験を積めば、もっと成長するだろう」
狩野が答える。
「昴くんと一緒にお仕事されたことは?」
「いや、ペアでは、まだないな。機会があれば組んでみたいとは思ってるが」
狩野が首を振る。
「そうなんですね。私も昴くんと一緒にお仕事してみたいです」
乙葉が微笑む。
「いつか機会があるだろう」
「はい。昴くん、見た目よりずっと強いし、いざという時は絶対に守ってくれそうです」
乙葉の言葉に確信があった。
「へえ、そんなに信頼してるのか」
狩野が興味深そうに聞く。
「もちろんです! 昴くんは……」
乙葉が昴への想いを語り始めようとした時、現場が見えてきた。
「着いたな」
狩野が車を停める。
現場は郊外の住宅街だった。既に住民の避難は完了しており、静まり返っている。
「色欲の魔物……」
乙葉が緊張する。色欲系は魅了能力があるため、女性の乙葉には危険だった。
「お前は後方で待機してろ。俺一人で片付ける」
狩野が指示する。
「でも……」
「今回の色欲は男性から変化したタイプだ。お前が前に出るのは危険だ。何かあった時の予備戦力として、後ろで様子を見ていてくれ」
狩野の判断は妥当だった。乙葉も納得して頷く。
「分かりました。気をつけてください」
現場の中心部に、色欲の魔物であるインキュバスが現れた。筋肉質な男性の体型で、翼と角を持つ悪魔のような姿をしている。
「グルルルゥ」
インキュバスが唸り声を上げる。魅了の対象となる女性がいないことに、不満を示していた。
「お前の相手は俺だ」
狩野が前に出る。
「欲望解放」
狩野の体に変化が起き、強欲の半魔としての力が解放される。
狩野の体が巨大化し、筋肉が盛り上がる。まるで肉でできたゴーレムのような外見になった。これが狩野の変身した姿だ。フレッシュゴーレムとでもいうべきか。
「力を寄こせ!」
狩野が咆哮する。
戦闘が始まった。インキュバスは魅了の力を使おうとするが、狩野には全く効果がない。男性同士では魅了は通用しなかった。
一方的な戦いだった。狩野の圧倒的な筋力の前に、インキュバスは為す術がない。
「ギャィイイイ」
インキュバスが困惑する。
狩野の攻撃は容赦がなかった。巨大化した拳でインキュバスを殴り飛ばし、地面に叩きつける。
戦闘開始から僅か数分で、インキュバスは魅了の力を完全に失った。色欲の魔物は、欲望を完全に拒絶されることで撃破される。
「終わりだ」
狩野の最後の一撃で、インキュバスが光の粒子となって消散した。
その瞬間、狩野の体に変化が起きた。倒したインキュバスの力が、狩野に流れ込んでくる。これが狩野の強欲の能力だった。魔物を倒すことで、その力を自分のものにできるのだ。
「お疲れ様でした!」
乙葉が駆け寄る。
「思ったより早く終わったな」
狩野が変身を解除する。
「狩野さん、すごく強いんですね」
乙葉が感心する。
「まあ、経験の差だ」
狩野が謙遜する。
「連絡を入れます」
乙葉が携帯を取り出し、管理局に電話をかけた。
「もしもし、根倉局長ですか? 乙葉です。色欲の魔物、討伐完了しました」
電話の向こうから、局長の安堵の声が聞こえる。
「お疲れ様。早かったね」
「狩野さんがすごく強くて、あっという間でした。すぐに帰れそうです」
乙葉が報告する。
「それと……昴くんは見つかりましたか?」
乙葉の声に心配が滲む。
「まだだね。でも他の現場は順調に進んでるから、もう少し待ってくれ」
局長の返事に、乙葉の表情が曇った。
「分かりました。私たちはこれから帰ります」
電話を切ると、狩野が声をかけてきた。
「昴のことか?」
「はい……まだ見つかってないみたいで」
乙葉の不安が募る。
「大丈夫だ。あいつは見た目より図太いからな」
狩野が慰めるように言う。
「そうですよね……」
乙葉が無理に笑顔を作る。
帰路の車中で、乙葉の心配は更に大きくなっていた。昴の安否が気がかりで、手が落ち着かない。
「そんなに心配するな。きっと無事だ」
狩野が運転しながら言う。
「でも昴くん、危ないところには一人で行かないでって……」
乙葉が呟く。
「約束でもしてるのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……私、昴くんに何かあったら嫌だから」
乙葉の声が震える。
「そんなに大切なのか、鏡が」
狩野の質問に、乙葉は頷いた。
「昴くんは……私にとって特別な人です」
乙葉の告白に、狩野は興味深そうな表情を見せた。
「特別か……それは鏡も知ってるのか?」
「え? いえ、まだ言えてなくて……」
乙葉が赤面する。
「なるほど。片想いってわけか」
「そ、そんな……」
乙葉が慌てる。
「まあ、気持ちは分からんでもない。鏡も悪い奴じゃないしな」
狩野が軽く笑う。
「でも、もし鏡に秘密があったらどうする?」
狩野の質問に、乙葉は考え込んだ。
「秘密があっても……昴くんは昴くんです」
乙葉が答える。
「そうか。それなら問題ないな」
狩野が頷く。
車は夜道を走り続ける。乙葉は昴のことを考えながら、早く管理局に戻りたいと願っていた。
「狩野さんは、恋人とかいらっしゃるんですか?」
乙葉が話題を変える。
「俺か? そんな余裕はないな。この仕事に集中してる」
狩野が苦笑いする。
「そうなんですね。でも、いつかは……」
「どうだろうな。大切な存在は手からこぼれ落ちた。俺のやってきたことなんて全て実の結ばないことだらけだ。そう、徒花ってやつだよ」
狩野の言葉に、乙葉は少し寂しさを感じた。
「でも、大切な人がいると、もっと強くなれると思うんです」
乙葉が言う。
「それはわかるよ。俺もそうさ。大切な存在のためならなんだって出来る」
狩野が反応する。
「私も、昴くんを守りたいって思うと、もっと頑張れるんです」
乙葉の言葉に、確信があった。
「愛の力ってやつか」
「そうです!」
乙葉が明るく答える。
「満腹にとって、鏡はそれほど大切な存在なんだな」
狩野が確認するように言う。
「はい。昴くんがいなくなったら、私……」
乙葉が言いかけて、慌てて口を噤む。
「言いかけたことは何だ?」
「いえ、何でもないです」
乙葉が首を振る。
夜が更けていく中、二人の会話は続いた。乙葉は昴への想いを素直に語り、狩野はそれを静かに聞いていた。
「もうすぐ管理局ですね」
乙葉が窓の外を見る。
「ああ。長い一日だったな」
狩野が答える。
「でも、任務は成功でした。ありがとうございました、狩野さん」
乙葉が感謝を込めて言う。
「お疲れ様だった」
狩野が短く答える。
車は管理局に向けての道のりを進んでいく。乙葉の心は昴との再会への期待で満ちていた。
夜空に星が瞬く中、二人を乗せた車は静かに走り続けていた。




