正直ものは馬鹿を見る
赤城烈志は南部の現場へ向かう車を運転しながら、鏡昴のことを考えていた。
「あいつ、一体どこで何してるんだ……」
昴の失踪が発覚してから、烈志の心中は穏やかではない。新人とはいえ、あの昴が連絡もなしに姿を消すなど考えられなかった。
車の無線から、他の現場の状況が断片的に聞こえてくる。深度2が2体も出現している今回の同時多発は、明らかに異常事態だった。
「くそ、深度1の虚飾なんて、さっさと片付けて昴の捜索に回りたいんだが……」
烈志が苛立ちを込めて呟く。
虚飾の魔物は撃破条件が明確だった。仮面を破壊すればいい。他の魔物と比べて、戦闘自体はそれほど困難ではない。深度1なら、10分もあれば片付けられるはずだ。
現場に到着すると、管理局の職員たちが既に避難を完了している。被害範囲は比較的狭く、半径100メートル程度だった。
だが烈志は首を傾げた。
「おい、肝心の魔物はどこだ?」
周囲を見回しても、虚飾の魔物であるミラージュの姿が見当たらない。
報告では確実にこの地点で発生していたはずだ。だが現場には、破壊された店舗や散乱した瓦礫があるだけで、肝心の魔物がいない。
「まさか既に逃げたのか? な訳ないよな」
烈志が歯噛みする。虚飾の魔物は幻影を操る能力がある。姿を隠すことも可能だった。
烈志は慎重に周辺を調査し始めた。足音を殺し、気配を探る。
だが10分経っても、20分経っても、魔物の姿は現れない。
「クソ、どこにいやがる……」
烈志のイライラが募る。昴の安否が気がかりなのに、こんなところで時間を無駄にしている場合ではない。
その時、背後から子供の泣き声が聞こえた。
「たすけて……」
振り返ると、小学生くらいの女の子が瓦礫の下敷きになっている。避難が不完全だったのか、取り残されてしまったようだった。
「おい、大丈夫か!」
烈志が駆け寄ろうとした瞬間、女の子の姿が歪んだ。
それは幻影だった。虚飾の魔物が作り出した偽物の人間だったのだ。
「くそ、騙された!」
烈志が気づいた時、頭上から攻撃が降ってきた。仮面を被った人型の影が、鋭い爪で烈志を襲う。
烈志は咄嗟に身を逸らし、攻撃を回避する。
「ようやく出てきたか、虚飾のミラージュめ!」
ミラージュの姿が現れた。人間とほぼ同じ体格だが、顔には白い仮面を被り、体は半透明で時折消えそうになる。典型的な虚飾の魔物だった。
だがその周囲には、無数の幻影が存在していた。子供、老人、管理局の職員、様々な人間の姿をした偽物が、烈志を取り囲んでいる。
「全部偽物か……?」
烈志が構える。虚飾の魔物の厄介なところは、現実と虚構の区別がつきにくいことだった。
ミラージュが手を振ると、幻影の一体が烈志に向かって走ってきた。管理局の職員の姿をした幻影が、助けを求めるように手を伸ばしてくる。
「助けてください! 足を怪我して動けません!」
烈志は迷った。幻影だと分かっていても、人間の姿をした相手を攻撃するのは躊躇われる。
その隙を突いて、本物のミラージュが背後から攻撃を仕掛けてきた。
「しまった!」
烈志の背中に爪が食い込む。浅い傷だったが、不意打ちを許したことが悔しかった。
「くそ、こんな搦手ばかり……」
烈志が振り返ると、ミラージュは既に別の場所に移動していた。幻影に紛れて、姿を隠している。
周囲の幻影たちが、口々に助けを求めてくる。
「お願いします! 娘を助けて!」
「足が挟まって動けません!」
「魔物が来ます! 逃げてください!」
どれも切実な声だった。幻影だと分かっていても、無視するのは困難だった。
烈志は、イライラが募りついに拳を構える。
「欲望解放」
憤怒の半魔としての力が解放された。烈志の髪が炎のように赤く燃え上がり、体から熱気が立ち上る。目は炎のように赤く光り、拳からは常に炎が吹き出していた。
「幻影なら炎で全部焼き払ってやる!」
烈志が周囲に炎を放った。だがミラージュの幻影は炎をすり抜けて消えない。
「効かないだと……?」
烈志が困惑する。だが幻影であるからこそすり抜けて消えることはない。
その時、また別の場所から子供の泣き声が聞こえた。今度は男の子が、倒れた看板の下敷きになっている。
「また罠か……罠だよな?」
烈志が警戒していると、背後から大人の男性の声がした。
「赤城さん! 助けてください!」
振り返ると、管理局の職員が血を流して倒れている。避難し損ねた職員が、ミラージュに襲われたのかもしれない。
烈志は迷った。これも幻影の可能性が高い。だが万が一本物だったら……
「くそ、本物か? どっちだ!」
烈志が判断に迷っている隙に、複数のミラージュが同時に攻撃を仕掛けてきた。
本物のミラージュと、幻影のミラージュが入り混じって、烈志を襲う。本物と偽物の区別がつかない状況で、烈志は苦戦を強いられた。
「ちまちまと……うっとおしいんだよ!」
烈志の怒りが爆発した。これ以上我慢ならないと能力を高める。
「深化」
憤怒の感情を純粋な破壊衝動に深化させる。烈志の体から噴き出す炎が、一気に巨大化した。
「もういい! 全部まとめて焼き払ってやる!」
烈志が両手を大きく広げると、周囲一帯に巨大な炎の竜巻が発生した。深化した力による圧倒的な火力が、現場を炎の海に変える。
幻影たちが次々と消失していく。だが本物のミラージュは炎の中でも姿を保っていた。
「いたぞ!」
烈志が炎の中を突っ切って、ミラージュに突進する。
だがミラージュは新たな幻影を作り出した。今度は烈志自身の幻影だった。
「何だと……?」
もう一人の烈志が現れ、本物の烈志と向かい合う。
「俺の偽物まで作りやがって……」
偽の烈志も炎を纏い、本物と同じ動きをする。どちらが本物か、見た目では判断できない。
本物の烈志が拳を振ると、偽の烈志も同じように拳を振る。二つの炎がぶつかり合い、激しく火花を散らした。
しかし実際には、なんの接触もしておらず全てが幻であった。火花や炎のゆらめきさえも。
「くそ、埒が明かない!」
烈志が周囲を見回すと、ミラージュの本体は少し離れた場所で、高笑いを浮かべていた。
だがその時、烈志は先ほどの職員が本当に血を流して倒れているのに気づいた。
「あれは本物だったのか!」
職員がミラージュに攻撃されそうになっている。このままでは命に関わる。
烈志は迷わず偽の自分を振り切り、職員の元に駆けつけた。
「おい、大丈夫か!」
だがミラージュの攻撃が職員に向かって放たれる。烈志は咄嗟に自分の体で職員を庇った。
ミラージュの爪が烈志の肩を深く切り裂く。痛みが走ったが、職員は無事だった。
「ありがとうございます……」
職員が感謝の言葉を口にする。だがその声は徐々に歪んでいき、やがて消失した。
「また幻影だったのか……」
烈志が愕然とする。結局、本物の人間は一人もいなかった。全て虚飾の魔物が作り出した偽物だったのだ。
「こんな騙し合い、もううんざりだ!」
烈志の怒りが頂点に達した。深化した力を更に高め、周囲一帯を文字通り灰燼に帰すつもりだった。
「全部燃やし尽くしてやる!」
烈志の体から、これまでで最大の炎が噴き出した。建物も瓦礫も、全てを燃やし尽くす勢いの炎が辺りを包む。
ミラージュの幻影が次々と消失していく。そして最後に、本物のミラージュだけが残った。
「見つけたぞ!」
烈志がミラージュに向かって突進する。
ミラージュは最後の抵抗とばかりに、巨大な幻影の壁を作り出した。だが深化した烈志の炎は、全ての幻影を焼き払う。
「これで終わりだ!」
烈志の炎に包まれた拳が、ミラージュの仮面を直撃した。
パリン!
仮面が砕け散る音が響く。虚飾の魔物は、仮面を壊されると存在を維持できなくなる。
ミラージュの体が光の粒子となって消散していく。幻影も全て消え去り、現場には静寂が戻った。
「やっと終わったか……」
烈志が深化を解除し、膝をつく。炎の使いすぎで体力を大きく消耗していた。
周囲を見回すと、炎で焼け焦げた瓦礫と灰だけが残されている。少々やりすぎた感もあったが、これで確実にミラージュを倒すことができた。
「くそ、時間がかかりすぎた……」
烈志が時計を確認する。予定していた10分を大幅に超過してしまった。
携帯を取り出すと、他の現場からの討伐完了報告が入っている。根倉局長と誇も、それぞれの戦いを終えたようだった。
「俺が一番遅いじゃねーか……」
烈志が自分の不甲斐なさを呪う。深度1相手に、これほど苦戦するとは思わなかった。
だが考えてみれば、憤怒の自分と虚飾の魔物は、相性が最悪だった。真正面からの力勝負を好む烈志にとって、搦手ばかり使ってくる虚飾は天敵とも言える存在だった。
「まぁ、勝ちは勝ちだからな……」
烈志が立ち上がり、現場の後始末を始める。
しばらくして、艶見いろはが到着した。記憶処理と現場の隠蔽作業のためだった。
「お疲れ様、烈志。随分と派手にやったのね」
いろはが焼け跡を見回しながら言う。
「虚飾の野郎が、搦手ばかり使いやがって……」
烈志が言い訳する。
「でも勝ったんでしょ? それなら問題ないわ」
いろはが微笑む。
「それより、昴の件は進展があった?」
「いや、まだ何も……」
烈志の表情が曇る。
まだ昴の行方は分からない。烈志の心配は続いていた。
「きっと大丈夫よ。あの子は見た目より逞しいから」
いろはが慰めるように言う。
「そうだといいんだが……」
烈志が管理局に向けて歩き出す。
今回の戦いで、烈志は改めて自分の課題を認識した。力押しだけでは通用しない相手もいる。もっと冷静に、戦術を考えて戦う必要があった。
だが何より、昴の無事が確認されるまでは、心から安心することはできなかった。
「昴、無事でいてくれよ……」
烈志が夜空を見上げながら呟いた。
管理局に戻ると、他のメンバーも続々と帰還していた。乙葉達はまだのようだったが、すでに移動中のようだ。
今回の同時多発が単なる偶然ではないのでは? そんな不安が胸のうちに芽生えていた。何か大きな陰謀の一部なのではないか、という疑念が拭えずにいた。
そんな時、受付から連絡が入った。
「烈志さん、昴さんが戻られました」
「昴が? 本当か!」
烈志の顔に安堵の色が浮かんだ。
昴の無事が確認され、烈志の心配は一つ解消された。だが今回の同時多発という異常事態は、まだ多くの謎を残していた。
烈志は疲れた体を休めながら、次なる戦いに備える決意を新たにしていた。虚飾との戦いで学んだ教訓を活かし、今度はもっと効率的に戦いたいと思っていた。




