三毒会:鏡昴について
昴が眠りについてから一時間ほど経った頃、松元竜司は居間のソファに深く腰を下ろしていた。向かいのソファには蘭堂紅葉が、その隣に紅蓮寺灯が座っている。三人とも眠気を押し殺し、重要な話し合いを始めようとしていた。
「さて」
竜司が静かに口を開く。
「鏡昴について話そう」
珠洲が自分から誰かを家に招いたのは、これが初めてのことだった。しかも相手は管理局の半魔。三毒会にとって、前代未聞の出来事と言えた。
「まず確認しておくが」
竜司が慎重に言葉を選ぶ。
「あいつは間違いなく管理局の半魔だな?」
「ええ」
紅葉が頷く。
「珠洲から聞いた話では、魔物討伐の現場で出会ったそうですから」
数日前、珠洲は街で戦闘中の昴を発見した。その時、昴が困ってるように見えた為手助けしたそうだ。
「珠洲は、昴が管理局の人間だって理解している」
灯が整理する。
「当然、半魔だということも、魔物と戦う仕事をしていることも」
「にも関わらず、堂々と家に招いたのか」
竜司がため息を吐く。
「普通なら警戒するところだが、珠洲にとっては、ただただ興味のある人という認識なんだな」
珠洲の価値観は独特だった。敵か味方かを判断する基準が、一般的な組織の対立関係ではなく、もっと単純で直接的なものだった。
「問題は、昴が俺たちの正体をどこまで知っているかだ」
竜司が核心に触れる。
「三毒会が管理局と対立している組織だと分かっているのか?」
「多分、知らないと思う」
紅葉が慎重に答える。
「もし知っていたら、もっと警戒するはずでしょう」
「確かに、あの無防備さは演技とは思えない」
灯も同意する。
「管理局の半魔なら、敵対組織の拠点でくつろぐなんてあり得ない」
昴の態度は確かに自然だった。緊張している様子もなく、珠洲や三人との会話を楽しんでいるように見えた。
「つまり新人で、まだ組織間の対立構造を教えられていない」
竜司が結論づける。
「だとすれば、今後どう対処するかが重要だ」
「どういうこと?」
紅葉が詳細を求める。
「昴が管理局で経験を積めば、いずれ俺たちが敵対組織だと知ることになる」
竜司が説明する。
「その時、あいつはどう行動するか。珠洲との友情を取るか、組織への忠誠を取るか」
それは重要な問題だった。昴が組織を選べば、珠洲は親友を失うことになる。しかも裏切られたという形で。
「珠洲が傷つく可能性があるということね」
紅葉が心配そうに言う。
「あの子にとって初めての友達が、最終的に敵になってしまうかもしれない」
「だからといって、今すぐ関係を断つのも問題だ」
灯が別の角度から指摘する。
「でも、珠洲がやっと見せた積極性を潰すことになる」
珠洲の感情の発達は長年の課題だった。他人に心を開くことが極めて少ない彼女が、自分から友達を作ろうとしたのは画期的な変化だった。
「昴との関係で、珠洲に変化が現れているのは確かだ」
紅葉が観察結果を報告する。
「表情が豊かになったし、会話も以前より積極的になった」
「感情の発達にプラスの影響があるのは間違いない」
竜司も認める。
「だが、それだけに裏切られた時のダメージも大きくなる」
三人は複雑なジレンマに直面していた。珠洲の成長を促したいが、同時にリスクも抱えている。
「昴の人間性はどうなんだ?」
竜司が別の視点から尋ねる。
「組織がどうこう抜きにして、個人としてはどう見える?」
「悪い人じゃないと思う」
紅葉が率直に答える。
「珠洲に対して自然に優しく接してくれるし、嫌な感じは全くしない」
「俺もそう思う」
灯も同意する。
「ただ、まだ若いからな。組織の教育次第では変わる可能性もある」
「管理局の教育を受ける前に、俺たちの価値観を理解してもらえれば」
竜司が可能性を探る。
「味方になってくれるかもしれない」
「それは危険な賭けじゃない?」
紅葉が慎重論を述べる。
「失敗すれば、管理局に俺たちの情報が漏れることになる」
「だが何もしなければ、いずれ昴は管理局に染まり、珠洲の敵になる」
灯が現実を指摘する。
「どちらにしてもリスクはある」
議論は平行線をたどった。積極的に関与するか、静観するか。どちらを選んでも完璧な解決策はない。
「とりあえず、もう少し様子を見よう」
竜司が暫定的な方針を決める。
「昴の人間性や価値観を詳しく観察する。その上で最終的な判断を下す」
「具体的にはどうする?」
灯が実行方法を尋ねる。
「珠洲には普通に友達として付き合ってもらう」
竜司が説明する。
「ただし、三毒会の活動については一切口外しないよう念を押す」
「昴くんが来た時の対応は?」
紅葉が確認する。
「歓迎はするが、警戒は怠らない」
竜司が答える。
「あくまで珠洲の友達として接する。組織的な話題は避ける」
「昴の能力について、何か分かったことはあるか?」
灯が別の角心に触れる。
「珠洲から聞いた話では、槍やバリアを作っていたらしいが……詳細は不明だ」
紅葉が答える。
「珠洲もよく見えなかったと言っていたわ」
「虚飾の半魔らしいが」
竜司が推測する。
「珍しいタイプだな。どんな過去があって覚醒したのか気になる」
枢要罪による覚醒には、必ず強烈な体験が伴う。昴の場合、虚飾に関連する何かがあったはずだが、詳細は分からない。
「能力の詳細が分かれば、昴の本質も見えてくるかもしれない」
灯が分析する。
「虚飾で覚醒した人間は未だかつていなかったからな。傾向すら分からないな」
紅葉が現実的な制約を指摘する。
「直接本人に聞くってのも、デリケートな話題だし、警戒される可能性がある」
「自然な会話の中で探っていくしかないな」
竜司が結論する。
「時間をかけて、少しずつ昴の内面を理解していく。それしか無いか」
その時、竜司の携帯電話が鳴った。夜中の着信に三人とも身構える。
「何だ?」
竜司が電話に出ると、相手は三毒会の情報収集ネットワークの一員だった。
「魔物の同時多発?」
竜司の表情が険しくなる。
「4箇所で? それはいつの話だ?」
電話の向こうから、深刻な報告が続いた。今夜から明け方にかけて、都内の4箇所で魔物が同時に発生。管理局が全力で対応に当たっているという。
「分かった。詳細が分かり次第連絡してくれ」
竜司が電話を切ると、紅葉と灯が身を乗り出した。
「同時多発ということは」
灯が分析する。
「組織的な攻撃だな。偶然ではあり得ない」
紅葉が不安そうに言う。
「理性を保った魔物の集団……それがもし表立って動き出したとしたら、大変なことになるわ」
魔物集団、それは三毒会にとっても脅威となる存在だった。人類にとって危険な敵と言える。
「管理局は相当混乱しているだろうな」
竜司が状況を推測する。
「4箇所同時となると、戦力の分散は避けられない」
「管理局の対応能力を超える事態かもしれない」
灯が深刻な可能性を示唆する。
「もしそうなれば、一般市民に被害が及ぶ」
「俺たちも何らかの対応を検討すべきか」
竜司が判断に迷う。
「管理局と直接協力するのは無理だが、間接的に市民を守ることは可能だ」
「でも管理局と鉢合わせするリスクがある」
紅葉が懸念を示す。
「向こうは俺たちを敵視しているから、戦闘になる可能性も」
「慎重に判断しよう」
竜司が最終決定を保留する。
「まず状況の詳細を把握してから方針を決める」
朝の光が窓から差し込み始めた。長時間の議論で疲れた三人だったが、重要な方針は決まった。
「昴については、当面は友好的に接する」
竜司が方針を確認する。
「ただし警戒は怠らず、三毒会の活動については秘匿する」
「魔物同時多発については、情報収集を継続する」
灯が付け加える。
「必要に応じて独自の対応も検討する」
「珠洲には今朝、昴との付き合い方について話しておく」
紅葉が役割を確認する。
「組織的な話題は避けるよう、注意を促す」
そこで廊下から足音が聞こえてきた。起床した昴が洗面所に向かう音だった。
「もう朝か」
竜司が時計を見る。結局、三人とも一睡もしていなかった。
「普通に接しろよ」
竜司が念を押す。
「昨夜の会議のことは絶対に口にするな」
「分かっている」
灯と紅葉が同時に頷く。
しばらくして、身支度を整えた昴が居間にやってきた。
「おはようございます。昨夜はありがとうございました」
「おう、よく眠れたか?」
竜司は疲れを押し隠して豪快な笑顔を見せる。
「はい、久しぶりにぐっすり眠れました」
昴の屈託のない笑顔を見ながら、三人は昨夜の議論を思い出していた。この青年の将来は、まだ予測不可能だ。敵になるか味方になるか、それは昴自身の選択にかかっている。
朝食の準備をしながら、紅葉が何気なく昴に話しかけた。
「昴くん、お仕事の方は大丈夫? 急に泊まることになってしまって」
「あ、大丈夫です」
昴が答える。
「まだそんなに重要な仕事は任されていないので」
「どんなお仕事なの?」
「簡単な魔物の討伐の仕事です」
昴が簡潔に答える。嘘もついていない。
魔物の討伐と素直に言う事が、逆に怪しいとまで思えた。
昴が出発した後、三人は再び居間に集まった。
3人は、管理局の状況を推測する。
魔物の討伐に日々追われている事は昴の口ぶりからも伺えた。
三人とも、昴の身を案じていた。珠洲の初めての友達を失いたくないという気持ちもあるが、それ以上に一人の青年の安全を願う気持ちが強かった。
「俺たちにできることはないのか?」
竜司が自問する。
「間接的にでも支援する方法は」
「情報提供くらいなら」
紅葉が提案する。
「魔物の弱点や対処法を、さりげなく教えることは可能よ」
「だが直接的な協力は難しい」
灯が現実を指摘する。
「管理局と三毒会が一緒に行動するなんて、あり得ない」
結局、三人にできることは限られていた。昴の無事を祈り、珠洲の心のケアをすることぐらいだった。
新しい一日が始まろうとしていた。昴という存在がもたらした変化と、魔物同時多発という新たな危機。三毒会にとって、重要な転換点となる日々が始まろうとしていた。
「珠洲の幸せを守る」
竜司が改めて決意を固める。
「それが俺たちの最優先事項だ」
窓の外では、昴が急ぎ足で管理局に向かっていく姿が見えた。彼の安全と、珠洲の心の平安。両方を守れるかどうかは、これからの展開次第だった。




