初デート、それはまさに闘い
あけましておめでとうございます。
目が覚めた瞬間から、胸がうるさい。
今日は日曜日。乙葉ちゃんとケーキ屋デート。たぶん世界の八割はどうでもいいけど、残り二割の「宇宙の真理」に関わる一大事だ。
(手は完治ってことです、はい優勝。もう包帯芸は封印だな)
《だな。今日やるのは包帯芸じゃなくて恋愛だぞ? 難易度ルナティックだな》
(やめろ緊張してきただろ!)
シャワーを浴びて髪を整える。鏡の前で深呼吸を三回。服はシンプル、清潔、動きやすいが正義。これまでの俺のデートは「可愛いから」誘われたとか、向こうの退屈しのぎに付き合ったとか、そういう軽いものだった。女だとバレた瞬間に冷えた目でフェードアウトされる、あの感じ。
でも今日は違う。俺が本気で好きになった、初めての人だ。
《顔固いぞ。笑え笑え。いつもの根暗スマイルじゃなくて生者の笑みをな》
(根暗スマイルってなんだよ)
待ち合わせは駅前の噴水。五分前到着の俺の前に、三分前の乙葉ちゃんが小走りで現れた。
オフの乙葉ちゃんは、ふわっとしたワンピースに淡いカーディガン。春みたいな色合いが似合いすぎてもはや犯罪。
「おはよう、昴くん!」
「おはよう、乙葉ちゃん。今日……めっちゃ、似合ってる」
(言えた! 噛まなかった!)
《えらいぞ。語尾にですつけて逃げなかったのは満点》
「ありがと……昴くんも、やっぱり似合ってるよ。その服」
目が合うだけで心拍数が加速する。噴水の水音、鳩のばたつき、子どもの笑い声――全部BGMになっていく。
向かったのは、前から気になっていたあのケーキ屋。白いタイルと木の扉、ショーケースの向こうで宝石みたいに光るケーキたち。甘い匂いで歩幅が半分になる。
「わぁ……」
乙葉ちゃんの目がまんまるになる。ショーケースに頬が吸い寄せられそうだ。スタッフさんが微笑む。その気配だけで俺の頬も緩む。
「えっと……一つずつ頼もっか?」
乙葉ちゃんは普通にそう言う。けど、視線が皿を一巡して、二巡して、三巡して、戻ってくるスピードが尋常じゃない。わかるぞ、俺にはわかる。あれは「全種類食べたい人の動き」だ。
(可愛い。あれは全種制覇するものの動きだ)
《聞こえたか? ケーキたちの断末魔……いや歓喜の悲鳴が……》
俺は店員さんに顔を向けた。
「すみません、このショーケースのケーキ、端から端まで全部を……二人でシェアってできますか?」
「えっ」
乙葉ちゃんが固まる。店員さんはにこやかにうなずいた。
「もちろんです。ハーフカットをお皿分けでお持ちしますね」
「や、やった……じゃなくて、その……」
乙葉ちゃんの耳まで真っ赤。恥ずかしさと嬉しさでバチバチに発火している。
俺は小声で問う。
「全種類、シェアしよっか?」
「……お、お願いします」
目が潤んで、拳を胸の前で小さく握る。
(しぬ。可愛い。今日で世界が完成した。彼女が創造神だ……)
《落ち着け。まだ前菜も来てないぞ》
席に通され、水が運ばれてくる。俺は緊張からコースターを指で弾いてしまい、コップがカタンと鳴る。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ」
(手が震えちゃう。やめて。今日だけはスマートな俺でいたい)
《無理を言うな。乙葉相手のときだけポンコツ・オーバードライブが標準搭載なんだよ》
やがて、皿が次々と並べられていく。苺のショート、モンブラン、ガトーショコラ、ピスタチオのムース、フロマージュ、タルトタタン、シブースト、オペラ……甘い兵隊が行進してきて、俺の脳に砂糖の雪が降る。
「キレイ……!」
乙葉ちゃんの瞳がケーキのツヤを映す。フォークを持った指先がぷるぷるしている。
俺はフォークを差し出す。
「じゃ、いただこっか」
「いただきます」
最初の苺ショートを一口。スポンジがほどけ、クリームが舌に溶ける。
うまい。けど、その瞬間、右側で「すっ」と空気が動いた。
気づいたら皿の苺が消えていた。
(ん?)
乙葉ちゃんは、無。瞳孔だけ星を灯している。
《見たか今の速さ》
(ああ、俺でなきゃ見逃しちゃうね)
「つ、摘んじゃった……ごめん」
「いや、可愛いから無罪」
「可愛いは、免罪符じゃないよ」
(可愛いは、正義だ)
《異議なし》
そのあとが圧巻だった。
一口ごとに、幸福の表情が更新される。ショートの瑞々さで目尻がとろみ、モンブランの栗で頬がほころび、ガトーショコラの濃度で肩が震える。
スプーンとフォークが踊り、ケーキが“吸い込まれて”いく。え? 切れ目……あったよな? いま、物理法則どこいった?
(すげぇ……重力操作? 時空の歪み?)
《これが満服乙葉の真髄か》
乙葉ちゃんが笑う。危うく心臓が破裂した。
俺だって甘いものは好きだが、気づけば皿の上は整然。俺のフォークは、彼女のペースメーカーだ。
「昴くん、上手に半分こしてくれる……」
(ふー、ここで小ボケかまして一緒にいたら楽しいって思わせるぞ)
《滑るなよー、彼女にだけ受ければいいんだぞ》
「職人だからね」
(いくよ? この路線間違ってない?)
《いけ、行くんだ昴》
「職人……?」
「ケーキシェア職人」
「ふふっ」
(はい、きたー。レッドカーペット優勝です)
《正月にはまだ早いぞ》
笑うたびに喉が鳴る。その音だけで甘さが一段上がる。
ふと、彼女が俺を見た。
視線が絡んだまま、少しだけ潤む。唇が動く。
「……こういうの、幸せだね」
心臓が、きゅっと鳴いた。
(幸せにします、はい)
《それはプロポーズだ、やめろ。砂糖で脳が甘バグってるな》
途中、水をこぼしかけた俺の手を、乙葉ちゃんがさっと押さえる。
そのまま、指先がふれる。
軽い電流。俺の脳内で打ち上げ花火。掌から真夏。
「ありがと」
「う、ううん」
そのううんがやわらかすぎて、膝が笑う。
俺は姿勢を直して、話題をつなぐ。
(手、柔らかかった! 手!)
《そりゃ人間だし……他の女子の手握ったことあんだろ?》
(好きな子は違うの!)
「そういえば、初任務お疲れさまって、乙葉ちゃんに言ってもらったけど、乙葉ちゃんだって色々ありがとう。クッキー、すごく美味しかった」
(なんか日本語おかしくないこれ!?)
《大丈夫。多少おかしくても、お前元々おかしいから》
「ほんと? よかった。……ね、昴くん、怪我もう平気?」
「おかげさまで完治。ほら」
手の甲を返して見せる。昨日までの嘘はもういらない。
乙葉ちゃんが安堵して、目尻を下げた。
「よかったぁ……心配だったんだよ?」
(ちょっと罪悪感が……セク郎死すべし)
《乙葉に免じて、烈志のことは許してやれよ》
「心配されるのも悪くないね」
「そういうこと言う事言って。もう、調子に乗つたらダメだよ?」
「ごめん乗っちゃう」
「乗るんだ」
二人で笑う。
(なんかよくわかんねぇけど、めっちゃ楽しい)
《良かったな》
(ガチなやつやめろ、恥ずいだろ)
ケーキは次々と消え、最後の一皿――オペラ。
薄い層の連なりを、二人で静かに分ける。甘い苦味が舌に残る。大人の味。俺たち、ちょっと大人。
「ごちそうさまでした……」
乙葉ちゃんのお腹が満たされたのか、頬がふわっとピンクになる。満服の名に恥じない、満点の笑み。
会計を終えて店を出ると、午後の光が街を撫でていた。
ゆるい風。人混み。肩がふれるかふれないかの距離で歩く。
《ほら今、手つなげ。今だ》
(いや、唐突なんだよ。段階があるだろ)
《信号は、赤。横断待ち。いけ》
(だから急かすな)
信号待ちの横で、ストリートの花屋が目に入る。小ぶりの白い花の髪飾り。
乙葉ちゃんの耳元に置いたら似合いそうだ、って脳が即答する。
俺は一言。
「ちょっと待ってて」
買って戻ると、乙葉ちゃんがきょとんとする。
(こう言う記念に残る小物女の子は好きなんだよ)
《ただし好きな人に限る》
「え、これ……?」
「似合うと思って」
(やかましい)
言いながら、急に恥ずかしくなって手が止まる。
彼女が髪をまとめて、少し身を屈める。
「つけて、くれる?」
(ほわあ、ひえー)
《ビビりすぎて語彙力が消失した》
手が震えないように、ゆっくり耳の横へ。指先が髪に触れる。
花が光に透けて、彼女の横顔がいっそう柔らかくなる。
「……どう?」
「犯罪級」
「だめだよ、そういうこと言っちゃ」
「じゃあ、合法ギリギリ」
「それもだめ」
(もうこれさあ、付き合ってるよね!?)
《安心しろ、付き合ってないよ》
笑い合って、信号が青に変わる。
人の流れに押される。俺は彼女の手を自然に取った――つもりが、指の間にぎゅっと彼女の指が絡んだ。
(え?……これって恋人繋ぎじゃん)
《女の子は強いねぇ。あ、お前も女か》
乙葉ちゃんは正面を見たまま、小さく言った。
「人、混んでるから……ね」
彼女があんまりにも素敵で、声も出せずに頷くことしかできなかった。
(はい)
《今の、ね、強すぎたな……直撃だ》
横断歩道を渡る時間が永遠に感じられる。掌の体温、指の細さ、脈のリズム。全部が思い出として焼き付いていく。
渡り切っても、彼女は手を離さなかった。俺も離さなかった。
世界がすこし軽い。
「ね、せっかくだし公園、行かない?」
提案してみると、乙葉ちゃんは頷いた。
ベンチに座って、買ったペットボトルのお茶を分け合う。
ケーキの余韻に、緑の匂いが混ざる。
「さっきの髪飾り、嬉しかった。大切にするね」
「うん。似合ってる」
「昴くんは、こういうの慣れてる……のかな」
乙葉ちゃんが、少しだけ探るような目を向ける。
俺は誤魔化さない、と決めた。
「デート自体は、慣れてる方だと思う。でも、今日みたいに、本気でってのは……初めて」
自分の声が思ったより素直で、照れる。
乙葉ちゃんは一瞬目を見開いて、そっと視線を落とした。
「……そっか。私も、そうかも」
沈黙。けれど居心地は悪くない。
鳩が近づいてきて、乙葉ちゃんが笑う。その笑顔を見てるだけで、さっきのケーキより甘い。
《言っとくが、さっきのケーキかなり甘かったぞ》
(超えてくるんだよ彼女は)
やがて夕焼けが街を染め始める。時間が惜しくなる時間だ。
駅までの道を、また並んで歩く。指は、さっきより自然に絡む。
「今日はありがとう。すごく楽しかった」
「俺も。……また行こう。次は、プリン専門店とか」
「いいね! 全種類シェアだね」
「もちろん」
改札前で立ち止まる。人の波がほどけて、渦になってまた結ばれていく。
別れ際はいつも難しい。けれど今日は、迷わず言えた。
「乙葉ちゃん」
「うん?」
「今日は……ほんとに、幸せだった」
彼女は、笑ってうなずくだけ。
でも、その笑顔に全部答えが入っている気がした。
「またね、昴くん」
手を離す瞬間、指先が名残惜しそうに俺の手の甲を撫でた。
その小さな感触が、今日一日のハイライトに上書き保存される。
改札を抜け、電車の窓に映る自分は、少しだけ頼りなく笑っていた。
いい。これでいい。
守りたいと思った人がいる。隣で一緒に甘いものを分け合って、同じ味を「美味しい」って言える人がいる。
(次は、もっと上手にエスコートする)
《いや今日も十分だった。――でも、次は水こぼすなよ》
(努力します)
スマホには、彼女からのメッセージが一つ。
『今日はしあわせだったよ。髪飾り、宝物にするね』
しあわせのひらがなに、俺の心臓がもう一回跳ねた。
返信を打つ手が震える。
でも、一文だけは迷わない。
『またいこう。全種類、シェアしよう』
送信。
電車がゆっくりと走り出す。窓の外、夕焼け色の街。
ポン吉が静かに言う。
《なぁ昴。お前、今日ちゃんと恋してたな》
(うん)
《よくできました》
(ああ、完璧だ。……いや、完璧じゃなくていいや。次の幸せの余地を、残しておきたい)
電車のガタン、というリズムが、心臓の鼓動に重なっていく。
俺は目を閉じて、今日の甘さをもう一度だけ舐めた。
そして、次に彼女と分け合う甘さを、確かに思い描いた。
今年は超長編を描きたいです。




