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ある魔物の記憶2

 田村健二は、なんでもできた。


 正確に言えば、一度見本を見せてもらえば、ある程度のことはできてしまった。


 子どもの頃から、そうだった。


 野球を見れば野球ができた。完璧ではないが、チームのレギュラーくらいにはなれる程度に。


 絵を見れば絵が描けた。美術の授業で褒められる程度には。


 楽器を見れば楽器が弾けた。文化祭で演奏できる程度には。


 勉強も、授業を聞いていればそれなりの点数が取れた。進学校に行けるほどではないが、困らない程度には。


 料理も、掃除も、修理も。一度見れば、なんとなくできてしまった。


 周りの大人たちは言った。


「健二くんは器用でいいわね」


 「何でもできて羨ましい」


 「将来有望ね」


 でも、健二は知っていた。


 自分は何も極められない。


 野球部のエースには敵わない。美術部の部長には敵わない。吹奏楽部のコンサートマスターには敵わない。


 何でもできるが、何も一番になれない。


 それが田村健二という男だった。


 高校を卒業した健二は、特に進路も決めずにフラフラしていた。


 大学に行く金もないし、かといって就職する気にもならなかった。


 何をやっても中途半端。何をやっても飽きてしまう。


 バイトは色々やった。コンビニ、居酒屋、工事現場、配送業。


 どの仕事も、最初の一週間で覚えてしまった。そして一ヶ月で飽きてしまった。


 「健二は覚えが早いな」


 「でも、なんか物足りないよな」


 「もうちょっと情熱があれば」


 そんな評価をもらいながら、健二は転職を繰り返した。


 二十歳になっても、二十五歳になっても、三十歳になっても。


 定職もせず、定住もせず、プラプラと暮らしていた。


 でも、持ち前の器用さのおかげで、食うには困らなかった。


 困らなかったが、満たされることもなかった。


 健二の人生には、ずっと退屈という名前の霧がかかっていた。


 生まれてからずっと、何をやっても、どこにいても、退屈だった。


 そんな健二に、転機が訪れたのは三十二歳の春だった。


 久しぶりに携帯に着信があった。登録していない番号だったが、なんとなく出てみた。


 「よお、健二」


 聞き覚えのある声だった。


 「誰だ?」


 「俺だよ、俺。佐藤だ」


 佐藤。中学時代の同級生で、一番仲の良かった友人。


 確か高校は別々になって、それ以来連絡を取っていなかった。


 「佐藤か。久しぶりだな。元気にしてたか?」


 「まあな。お前はどうだ?」


 「相変わらずだよ。フラフラしてる」


 「そうか。実は、お前に話があるんだ」


 佐藤の声が少し低くなった。


 「話?」


 「上手い話があるんだが、乗るか?」


 健二は眉をひそめた。上手い話。胡散臭い響きだった。


 「どんな話だ?」


 「電話じゃ言えない。今度会わないか?」


 「まあ、いいけど」


 別にやることもなかった。久しぶりに昔の友人と会うのも悪くない。


 一週間後、健二は佐藤と再会した。


 約束の場所は、繁華街の小さな喫茶店。


 佐藤は昔とあまり変わっていなかった。少し太ったかもしれないが、相変わらず人懐っこい笑顔を浮かべていた。


 「よお、健二。変わらねえな」


 「お前もな」


 二人はコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせた。


 中学時代の思い出、共通の知り合いの近況、お互いの現状。


 話は弾んだが、健二は佐藤が何か隠していることに気づいていた。


 時々、周りを気にするような仕草を見せる。話の途中で言葉を濁すことがある。


 「で、上手い話って何だ?」


 健二が切り出すと、佐藤の表情が真剣になった。


 「実はな……」


 佐藤は声を潜めた。


 「俺、今、仲間と一緒に仕事をしてるんだ」


 「仕事?」


 「まあ、普通の仕事じゃない」


 佐藤が苦笑いした。


 「金になる仕事だ。すごく金になる」


 健二は嫌な予感がした。


 「まさか……」


 「そのまさかだ」


 佐藤が頷く。


 「でも、危険なことはしない。計画的にやってる。今まで一度も失敗したことはない」


 「佐藤……」


 「聞けよ、健二。俺たち、今度大きな仕事をやるんだ。でも、一人足りない」


 佐藤が身を乗り出した。


 「お前だから声をかけたんだ。お前なら信用できるし、何でもできるだろ?」


 健二は困惑した。


 佐藤が言っているのは、間違いなく犯罪だった。強盗か何かだろう。


 普通なら断るべきだった。


 でも、健二の心の奥で、何かがざわめいていた。


 退屈だった。ずっと、ずっと退屈だった。


 毎日同じことの繰り返し。何をやっても物足りない。何をやっても満たされない。


 でも、これは違うかもしれない。


 「……考えさせてくれ」


 「そうか。でも、あまり時間はないぞ。来週には決めてほしい」


 佐藤が立ち上がった。


 「返事、待ってる」


 健二は一人、喫茶店に残された。


 コーヒーカップを見つめながら、健二は考えた。


 犯罪に手を染めるなど、正気の沙汰ではない。


 でも、正気でいることに、どんな意味があるのだろう。


 退屈な毎日を過ごすことに、どんな価値があるのだろう。


 一週間後、健二は佐藤に電話をかけた。


 「俺、やる」


 それが、田村健二の転落の始まりだった。


 佐藤の「仲間」は、思っていたより本格的だった。


 リーダーの佐藤を含めて5人。みんな健二と同世代で、それぞれに事情を抱えていた。


 借金まみれの男。家族に見放された男。定職につけない男。


 そして、退屈に飽き飽きしていた健二。


 最初の仕事は、小さなコンビニエンスストアだった。


 深夜、客の少ない時間を狙って押し入る。


 健二の役割は見張りだった。何でもできるが、まだ信用されていなかった。


 でも、それでよかった。


 強盗は成功した。現金と商品を奪い、誰にも怪我をさせずに逃走した。


 分け前は少なかったが、健二は満足していた。


 久しぶりに、心臓が高鳴った。久しぶりに、生きている実感があった。


 これだ、と健二は思った。これが俺の求めていたものだ。


 二回目の仕事は、小さな質屋だった。


 今度は健二も中に入った。持ち前の器用さで、店主を素早く縛り上げた。


 三回目は、個人経営の宝石店。


 四回目は、パチンコ店の売上金。


 回を重ねるごとに、健二の役割は大きくなった。


 そして、仲間たちの信頼も厚くなった。


 「健二は本当に何でもできるな」


 「頼りになるよ」


 「お前がいてくれて助かる」


 生まれて初めて、健二は必要とされている実感があった。


 生まれて初めて、自分の居場所があるような気がした。


 半年もすると、健二は佐藤の右腕のような存在になっていた。


 計画の立案から、下見、実行まで。健二の意見は重視された。


 そして、分け前も一番多くもらえるようになった。


 金は有り余った。


 健二は初めて、欲しいものを欲しいだけ買った。


 高級な時計、ブランドの服、最新の電化製品。


 そして、女も買った。


 高級クラブで、お気に入りの女を見つけた。美咲という名前の、綺麗な女だった。


 美咲は健二を慕ってくれた。いや、正確には健二の金を慕ってくれた。


 でも、健二にはそれで十分だった。


 初めて、女に必要とされている気がした。


 健二は美咲に高価なプレゼントを贈り続けた。


 ダイヤの指輪、エメラルドのネックレス、毛皮のコート。


 美咲は喜んでくれた。そして、結婚しようと言ってくれた。


 健二は有頂天になった。


 生まれて初めて、すべてがうまくいっている気がした。


 でも、心の奥で、健二は知っていた。


 これは長続きしない。いつか終わりが来る。


 仲間たちも、同じことを考えていた。


 「そろそろ足を洗った方がいいんじゃないか」


 「警察も本腰を入れて捜査してるらしい」


 「今度の仕事を最後にしようか」


 みんな、心の中でそう思っていた。


 でも、誰も口に出さなかった。


 まだ足りない。まだ足りない。


 もう少し、もう少しだけ。


 そうして、健二たちは最後の仕事に向かった。


 第一勧業銀行。今まで手を出したことのない、大きな獲物だった。


 計画は完璧だった。下見も十分に行った。


 何も間違いはないはずだった。


 でも、銀行に入った瞬間、健二は悟った。


 今度ばかりは、違う。


 客や行員たちの顔が、今まで見たことのないほど恐怖に歪んでいた。


 「金を出せ!」


 佐藤が叫ぶ。


 でも、行員の動きが鈍い。恐怖で体が震えている。


 「早くしろ!」


 仲間の一人が苛立って怒鳴る。


 その時、健二の心の中で何かが弾けた。


 もっと欲しい。もっともっと欲しい。


 金が欲しい。女が欲しい。地位が欲しい。名誉が欲しい。


 すべてが欲しい。この世のすべてが欲しい。


 何で俺は今まで満足していたんだ。


 何で俺は今まで我慢していたんだ。


 俺には権利がある。俺は何でもできるんだ。


 俺は何でも手に入れていいんだ。


 健二の視界が歪んだ。


 行員の顔が醜く見える。客の顔が醜く見える。


 みんな醜い。みんな俺より劣っている。


 なのに、なんで俺より良い暮らしをしているんだ。


 なんで俺が奪わなければならないんだ。


 最初から俺のものじゃないか。


 「もっと出せ! もっとだ!」


 健二が叫ぶ。


 その声は、もう人間の声ではなかった。


 金属をこすり合わせたような、不快な響きだった。


 仲間たちが健二を見る。


 健二の体に、異変が起きていた。


 皮膚が硬化し、金色に変色していく。


 瞳が金貨のように光っている。


 「健二? おい、健二!」


 佐藤が声をかける。


 でも、健二には聞こえなかった。


 健二の意識は、既に強欲という名の渦に飲み込まれていた。


 もっと、もっと、もっと。


 すべてを俺のものに。


 この世のすべてを俺のものに。


 健二の体が膨れ上がる。


 金貨や宝石が、体の表面に現れ始める。


 それは健二が今まで手に入れたかったもの、手に入れたものすべてだった。


 でも、まだ足りない。


 全然足りない。


 もっと、もっと欲しい。


 健二の理性が消し飛んだ。


 残ったのは、純粋な欲望だけ。


 強欲という名の化け物だけ。


 そして、田村健二という男は消えた。


 後に残ったのは、金と宝石でできた異形の怪物。


 強欲のゴーレム。


 それが、健二の最後の姿だった。


 何でもできた男の、哀れな末路だった。


 でも、怪物になった健二に、もう悲しみはなかった。


 ただひたすらに、欲しがるだけ。


 永遠に満たされることのない、欲望の化身として。


-----

 


 目が覚めたとき、俺はやけに爽やかな気分だった。


 「あー、よく寝た」


 《今日もめっちゃスッキリした感じするな》


 (そうそう、なんかやけにスッキリする時あるな)


 なんだろう、今日もよく眠れた気がする。夢を見たような気もするけど、思い出せない。


 悪いことをしちゃった時のような、それを見つかった時のような、そんな感じの夢


 《変な夢でも見たか?》


 (覚えてないってことは、たいしたことないってことだろ)


 俺は大きく伸びをして、窓の外を見る。


 今日もいい天気だ。


 (そうだ! 今日は日曜日! 乙葉ちゃんとケーキ屋デートの日じゃん!)


 《テンション爆上げてけ、おれもケーキ食べていいよね?》


 俺は飛び起きて、シャワーを浴びる準備を始めた。


 今日は特別な日だ。完璧にキメていかないと。


 今日は乙葉ちゃんとのデートに全集中。


 そう思いながら、俺は一日の準備を始めた。


たむけん……

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