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猫と飛脚

作者: なち

佐助という飛脚がいた。口数の少ない無愛想な男だが滅法足が速く仕事は確か。

加えて五尺五寸の長身になかなかの美丈夫とあって、しばしば江戸で人気の若衆を題材にした錦絵に取り上げられた。若い虎のような凜々しくも雄々しい錦は若い娘によく売れたという。

この日も佐助は預かった親書の挟み箱を担ぎ、尻っ端折りに腹掛け脚絆という姿で街道をひた走る。

「ごめんなすって」

声を張り上げれば商家の一行も籠かきの六尺も端に寄って道をあけた。

汗の玉の散る粋な若衆に黄色い声を上げるのは旅芸人一座の若い娘達だ。

その声すらも風のように去って行く佐助の背中に追いつくことは出来なかった。


夜明けからひた走り、宿場町も幾つか通り過ぎてようやく昼飯時だ。足にものを言わせる飛脚衆の中でも抜きん出て早い。

佐助は庚申堂の軒先を借り弁当をつかうことにした。

竹筒の水で喉を潤し、手ぬぐいでざっと全身の汗を拭う。

竹の皮に包まれた大きな握り飯に糠のきいた漬物、それに焼いた鰺の切り身。飛脚屋の女将が出発の際に用意してくれるもので、これを楽しみに働く者も多いという。

黙々と握り飯を頬張っていると、不意に何か柔らかいものが足を擦っていった。

すわ白昼から脛擦りでも現れたかと驚いて足元を見れば、何のことはない。

猫が一匹佐助の足に掏り寄っていた。

多少汚れてはいるが、江戸の市中ならば好事家が可愛がりそうな、なかなかに見栄えの良い三毛猫である。

「にゃーん」

三毛猫は甘えた声で鳴きながら佐助を見上げていた。

もっと言うなら佐助の手の竹の皮の包みを。

「鼻の利くヤツだな」

「にゃーん」

三毛猫のお目当ては、良く焼いた鰺の切り身だろう。

佐助は切り身を半分噛み千切り、残りを三毛猫の前に放ってやる。

三毛猫は素早く切り身をくわえ、金色に光る目でまるで佐助の顔を覚えるかのように見つめていたが、やがて何度も佐助を振り返りながら茂みの向こうに消えていった。

猫なりに恩でも感じていたのかも知れない。

貴重な弁当だが、まあ施しの徳を積んだという事にして、食休みもそこそこにまた佐助は走り出した。


日が暮れる頃に定宿のある宿場町に辿り着いた。

その宿は佐助のいる飛脚屋で取り決めているところで、貴重な預かり荷も金庫で預かってくれるし、何より足の濯ぎとは別にたらいにいっぱいの湯を使わせてくれるのが売りだ。

顔見知りの女中がすぐにたらいの用意をしてくれた。

中庭に板を立てただけだが、そこの井戸とたらいの湯を使って汗を流せるのがありがたい。宿場の名物である山菜の天ぷらを添えた蕎麦で夕飯を済ませ、延べられた布団にごろりと横になった。

この宿に泊まり明日の朝一番に起てば、夕方になる前に江戸の市中に入れるだろう。

向こうの飛脚屋に親書を収めた箱を渡せば仕事は終わりだ。

帰りの足のついでに預かれる荷があれば有難いのだが。

そんな事を考えながらうつらうつらとすると間もなく。

風もないのに行燈の火が激しく揺れて消えた。

空に十日ばかりの月が昇る雲のない夜なので、雨戸を立ててない障子窓越しに部屋の中は薄らと明るい。

「……うう」

ずしりとした重さを胸に感じ、佐助は呻いた。

まるで誰かにのしかかられているような。

預かり荷以外にロクな金子を持ち合わせていない飛脚を、宿で襲う物好きな物盗りもないだろうが。

ざらりとした何かが佐助の口元に押し当てられた。

湿っていてざりざりとした感触の生暖かい何か。

それが佐助の顔中を這い回る。

息苦しさに耐えかねて、佐助は目を開けた。

佐助に覆い被さっていたのは、白と茶と黒が斑に混ざった不思議な髪色の男であった。

「起きたか」

「物盗りか。飛脚が金を持ってないのは天下の理ってもんだ」

佐助は落ち着いた声で訪ねた。

粋がった博徒がしそうな珍妙な髪だ。

日々街道を行き来する佐助は、これ迄に江戸を落ちる罪人も旅がらすの渡世人もいやという程見てきている。

本当に危険な人間は、不思議と人相に出るものだ。

斑の男の釣り上がった目は爛々と金色に輝いているが、むしろ人懐っこい部類で大それた悪事を働いているようには見えなかった。

「バケモノに金が欲しいヤツなんてそうそういねぇよ」

きゅうっと金色の瞳孔が細まる。

にんまりと笑った口の端から小さな牙が零れている。

はて、つい近頃にそれをどこかで見たような気もするが。

「バケモノか。俺を食うのか」

「締まった脹ら脛だなあ」

斑の男は佐助の足を担ぎ上げ、かぷかぷと歯を立てる。

痛くはないがどうにもこそばゆい。

佐助は独り身だ。

両親を早くに亡くし、妹と共に祖父母に育てられた。

その祖父母もとうに鬼籍に入り、妹は先日真面目で腕の良い錺職の幼馴染みのところに嫁に行った。

それなりにちゃんとした祝言も挙げてやれたし、花嫁道具も持たせてやれた。

一生懸命飛脚として働いてきたが、気が付けば佐助はすっかり手持ち無沙汰になってしまっていたのである。

「嫁いだ妹に葬式を出させるのも忍びねえ。バケモノに食われちまうのも面倒がなくて良いかもしれねえなあ」

「ヒヒ。腿まで日に焼けてる。きっと香ばしいに違いねえ」

「俺は焼き鰺じゃねえぞ」

「アンタ、あの鰺より美味そうだ」

あの鰺。

どの鰺と比べられているのか。

そもそもバケモノは人だけでなく鰺も食うのか。

佐助は妙なところに感心する。

「人は二世の契りと言うが俺の命は九十九だ。安心しなよ。食いっぱぐれはさせねえよ」

「まあ、食われちまえば二度と腹は減らねえわな」

薄ぼんやりとした障子越しの月明かりの下。

お互いの言葉が微妙に噛み合っていないのに、どちらも気付いていないようだ。

「ああ、でも今日の運び荷がここで止まっちまうのは申し訳ねえな。おいバケモノ。俺を食うなら荷を届けてからにしねえか?気がかりでここに化けてでてきちまう」

「それはいつだ?」

「明日の日のあるうちに江戸に入れりゃ用は済む。妹に達者で暮らせと一筆書けりゃあ御の字だ」

「なら二日やる」

「二日も良いのか」

「俺の度量の広さを知れば今後も安心だろう」

短い毛に覆われた尾が、佐助の手首に絡んだ。

同じ物がもう一本担がれた脛に絡む。

尾が二本のバケモノだ。

「逃げようなんて思うなよ。逃げたら追う、それだけの事よ」

「武士じゃねえが二言はねえよ。食われる方も心を広く持とうじゃねえか。江戸の風呂屋で身綺麗にしといてやらあな」

「ヒヒ。綺麗にしといてくれるのか」

斑の男はそれはもう嬉しそうに笑った。

口が大きく裂けたが、三日月のように細まった目にはやはり不思議と愛嬌がある。

「近所の奴等に江戸に集まれって声かけねえとな」

「おい、俺は何匹に食われんだ」

「祝言は賑やかな方がいいだろうよ」

どうやら尾頭付きの鯛の代わりに祝言の御馳走になるらしい。

ならば食われる前に長屋の大家みたいに高砂でも歌ってやればきっと盛り上がるだろう。

斑の男の長い舌が、またしても佐助の顔を舐め回す。

ざりざりとしていて少し痛い。

「摘まみ食いかよ」

「ヒヒ。がっつく野郎はいただけねえな。飛脚は早立ちの中でも一番に宿を立つもんな」

「よく知ってんな」

「これでも長く宿場にいたんでねえ」

低く低く男の喉が鳴る。

不思議と恐ろしく感じないのは佐助が食われる覚悟を決めたからだろう。

「さあ、寝た寝た。俺が余計なもんが近付かねえように見張ってやろう」

べろりと瞼を舐められると、もう目が開かない。

疲れ切っていた佐助はそのまま眠りに落ちていった。


まだ暗いうちに起き出して、朝告げ鶏が鳴くより早く佐助は宿を立った。

不思議と心が浮き立って、無愛想な男の口の端に笑みが浮かぶ。

宿場の外れには何匹も猫が居たが、佐助が近付いてくるのを分かっているかのように道をあけていた。

風のように走り去る飛脚を見送る猫の群れの中に、どこかで見たような三毛猫が一匹。

ゆらりと揺れる尾は二本あった。

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