12*
関口が慣れた手つきでジッポに火を宿して、ドアノブの下にかざす。二人に半ば無理やり針金を持たされた志賀が、手先の感覚を頼りに針金を動かしていた。静かな空間に、カチャカチャという金属音だけが響く。
「やっぱ無理かあ?」
「ん……」
しばらくの間格闘を続けていると、諦めたように関口が嘆く。志賀は曖昧に返事をして、指先の感覚に集中する。何かの小説で同じような描写を読んだ気がする。あれにはなんと書いてあったっけ。もう少し、もう少しで開きそうな……。
「――あ」
志賀が声を上げる。同時にかちりと音がして、ドアノブが回った。
「え、すげーっ、志賀ちゃん」
「うわ、嘘だろ」
ほぼ同時に感嘆の声が上がる。長年使われていないらしい古びた扉を押して、志賀は屋上へ踏み出した。
少し生温い空気が頬を撫でる。初めて足を踏み入れた屋上は、整備されているとは程遠い。開放厳禁となって長いのだろう。元々は青みがかった灰色であっただろう地面は、今や鳥の糞やら砂埃やらで薄汚れている。志賀は白いシューズの底が黒く汚れたのを確認して、怒られそうだな、とぼんやり思う。
三人は自然と少し錆びついた柵の方へと足を向けていた。しっかりとした強度があることを確認して、身を預ける。屋上からは校庭と街々が一望できた。
「器用器用とは思ってたけど、本当に開けちまうとはな。本当に映画みてえだ」
志賀の隣で校庭を見下ろしながら関口が呟く。
「たまたま、偶然だよ」
「偶然であんなあっさり開けられちゃあ堪んねえな」
揶揄するように笑った関口は、校庭で運動をしている生徒たちの姿を見て一年か、と呟く。あずき色に近い赤の体操服が点々と運動をしているのが見て取れた。学年ごとに体操服やシューズの色は異なる。今の一年は赤、二年は緑、三年は青。毎年赤が一番ダサくて青が一番ましと言われる。いつ見てもだせえな、と隣で関口が呟くのが聞こえた。
「なあ、あれってさあ」
柵に背をつける格好で、志賀と関口のやりとりを聞いていた潮田が不意に指さした。視線の先を追って、屋上の上に築かれた小さな建物へ行き当たる。先ほど三人が出てきた塔屋だ。
「あの上も上がれそうじゃね」
よく見れば側面に梯子が設置されている。そうだね、と志賀が頷く前に潮田は梯子へ駆け寄っていった。
「あんな高いところまで登ってどうするんだろ」と志賀が純粋な疑問を呟く。
「馬鹿と煙は何とやら、って言うだろ」
「……関口がそんな言葉を知ってるなんて」
馬鹿にすんな、と怒られる前に志賀も塔屋の傍へ近づく。梯子を手にかけてするすると登っていく潮田に、落ちないでよ、と声をかけた。
潮田が登り切ったらその姿は下からは見えなくなる。その代わりにたっけえー、といういつもの間の抜けた声が聞こえた。
「二人も来てみろよ、良い眺めだぜ」
上から首を覗かせて、潮田が二人を呼ぶ。志賀は呼ばれるがままに梯子に手をかけた。楽し気に二人を伺う潮田の背後に青空が満面に広がっていて、眩しい。やはり彼には、恐ろしいほど青空が似合うのだ。
「馬鹿と煙は何とやら、じゃねえの」
先ほどの志賀の言葉にやり返すように、関口が声をかけてくる。志賀は薄っすら笑って見せた。
「馬鹿になるのも悪くない」
塔屋の上は思っていたほど狭くもない。三人は思い思いに腰掛けて、眼下をただ眺めた。
不意に関口が学ランの内ポケットから煙草を取り出す。赤い丸印のラッキーストライク。慣れた様子で火をつけるのを、志賀はぼんやりと眺めた。
「美術室だとすぐバレっからなあ。悪くねえわ、屋上」
煙草は見つかれば一発で停学や退学になり得る。流石にそれを理解しているらしく、天下の関口も堂々とはできないようだ。
「煙草は二十歳から、だぜ関口」
にやにやと軽口を叩きながらも、潮田もポケットからセブンスターを取り出す。潮田の父親が好んで吸うそれを、目を盗んでは度々持ち出していることを、志賀は知っていた。
安いライターで火を点けて一吸いした潮田は、当然のように志賀へ投げてよこす。特別好んでいるわけでもないが、仕方がないと志賀も煙草をくわえた。喉が焼けるような感覚の後、煙が肺に吸い込まれていくのがわかる。吸うたびにこれの何が美味いのだろう、と思わずにはいられない。
「これってさ、下から見られてバレたらやべえよな」
潮田が今更にそういって、志賀はそりゃね、と頷く。煙草を吸っているのまでは見えないだろうが、屋上に人が居れば教師陣は慌てるだろう。恐らくすぐに施錠され直して、管理も厳しくなる。折角開けたのに、そうなってしまうのは癪だった。幸いにも授業に集中しているらしい校庭の人間たちは、気づいて騒ぎ出す様子もない。それでも何か先に手を打っておくべきか、と志賀は頭を回転させる。
「鍵穴にガムでも入れるか」
「何それ」
志賀の提案に、潮田が疑問符を浮かべる。
「施錠できなくするんだよ。鍵穴を潰せば鍵も回らないだろ」
ああ、と志賀の説明に納得したように二人が声を上げる。よくそんなこと思いつくよな、と関口が感心したように述べるのに、本で読んだんだよと答えた。
なんだか、やけに穏やかな時間だった。三人で煙草をふかしながら他愛もないやりとりを続ける。それは三限終了の本鈴が鳴り止むまで続いた。
「こういう時間が、永遠に続けばいいのにな」
屋上からの去り際に何気なく潮田が呟いたのが、いやに志賀の耳に残った。
永遠なんてものが存在しないことは、嫌になるほど知っていた。