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11*

「おぉーす」


 間の抜けた声とともに、美術室の扉が開く。二人が視線を向けると、片腕に飲み物と菓子パンを抱えた潮田が立っていた。


「お待たせ志賀ちゃん。と、関口も」

「俺、ついでかよ」と関口が呟く。


 後ろ手で扉を閉めた潮田は、志賀ちゃん、と名を呼んで四角い物体を投げた。志賀が片手でキャッチしたそれは、桃色の紙パックのいちごみるくだ。


「さんきゅ」

「おう」


 志賀の感謝に答えて、次に関口に紙パックを投げて潮田は駆け寄ってくる。何の話してたの、という問いに関口が志賀に友達ができないって話、と受け取ったコーヒー牛乳にストローを刺しながら答えた。


「別に、俺らがいるんだからいいじゃん」

「そうだね」と志賀が答える。

「潮田がそうやって甘やかすから志賀に友達できねえんだろ」

「別に、なあ、困ってねえもんな、志賀ちゃん」

「うん」

「お前らのその感じ、ほんと気持ち悪いわ」


 潮田は関口の悪態に笑って志賀の隣に腰掛ける。関口の口の悪さには二人共慣れているし、不快に思うようなこともない。思ったことを包み隠さず伝えるという点では、一方では美点なのだ。

 潮田が机の上にいちごみるくと、自販機で買うことのできるカレーパンを置いたのを見て、志賀が首を傾げる。


「潮田、さっき早弁してたじゃん。また食べるの」

「育ち盛りだからさ」


 答えになっているか怪しい返事をして、潮田はいちごみるくを一口吸う。それから二人の手元を覗き込んで、なんだこれ、と素直な感想を口にした。


「キリン……と、志賀ちゃんのは何?」

「猫」

「ねこ」


 志賀の解答を潮田が復唱する。潮田の目には、禍々しいばかりの黒い物体にしか見えない。目を凝らせば三角形の二つの耳があるような気もした。それでも、一目見て猫と言えるかは微妙なところだ。


「志賀ちゃんには、猫ってそう見えてんの?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「え? なに? 難しいこと言わないでよ」

「物の見方は一つじゃないってこと」


 志賀の言葉に潮田が首を傾げる。いまいち理解できていないらしい。関口は二人のやりとりに呆れたように息をついた。


「志賀の感性は独特だから、相手にすんな潮田。芸術家の言うことはわからん」

「志賀ちゃんって芸術家だったんだ」

「本気にしないでよ潮田。関口が勝手に呼んでるだけ」


 志賀の言葉に関口がせせら笑った。


「芸術家だって、志賀は。潮田、お前一年のときの志賀の絵見たことねえの?」

「あ、そういえば無いな」

「見なくていいよ」


 志賀がため息をつく。一年のときの選択授業で美術だったのは志賀と関口の二人で、潮田は音楽選択だった。そのため、授業で作成した成果物を潮田だけが知らない。見せる機会もなかったし、特段見せたいものでもなかったがために潮田に披露することなく、きっとあの絵は美術室のどこかに埋まっている。

 今更掘り起こされるのもな、と志賀は思う。自身で描いた絵は別に気に入っていないわけでもないが、二年たった今頃見るのはなんだか気恥ずかしかった。


「どうせ志賀は持って帰ってないんだろ。今度探して見せてやるよ」

「まじで? さすが関口。俺も志賀ちゃんの絵見てみたい」

「志賀の絵はな、独特だけど、悪くない」


 関口が口癖で志賀の絵を評して頷く。悪くない悪くない、といつだって口にしている癖に、この男が何かを「良い」と評価するのを志賀は聞いたことがない。


「関口がそう言うのって珍しいな」と潮田はカレーパンの袋を開けながら言った。「でもさ、志賀ちゃんは絵っていうより文章だよな。文豪っぽいし」

「なにそれ」


 どういうことなの、と志賀が問えば潮田はパンを咀嚼しながら首を傾げた。


「なんか、そんな感じしねえ? 色んな言葉知ってるし、言い回し不思議だったりするし、本もよく読んでただろ」

「本は別に、暇だったから読んでただけだ」

「志賀ちゃんが本書いたら面白いと思うけどなあ」

「陰鬱なだけだろ」


 割と真剣に言っている風の潮田に反して、揶揄するように関口が口を挟む。志賀は何も答えずに、潮田がくれたいちごみるくにストローを刺した。軽く吸えば、口内が一方的な甘さで満たされる。特別好きな飲み物というわけではないが、潮田が志賀にいつも買ってくるのはいつもこれだった。理由を聞いたことはないが、潮田も毎回同じものを飲んでいるのを見る限り、彼が好んでいるのだろう。ふと見れば潮田はカレーパンをいちごみるくで流し込んでいて、その相性ってどうなのだ、と志賀は思う。


「何、志賀ちゃん、食う?」


 志賀の視線に気づいた潮田が、パンを差し出してくる。いいや、と志賀は首を横に振った。潮田は何かと志賀にものを食べさせようとするきらいがある。断れば無理強いすることはないが、彼なりに食の細い志賀を気遣っているらしい。

 潮田は志賀に差し出したパンを頬張る。


「まあ、食わなくて正解かも。知ってた? この自販機のカレーパンってめちゃくちゃ不味いんだぜ」

「は? 何でそれ知ってんのに買うわけ?」


 関口のもっともな問いに、えー、と潮田は首を傾げた。


「面白いだろ、不味いの」

「だからって買うか? お前のそういうとこ、わかんねえわ」


 なあ、と関口に同意を求められる。志賀は先ほどの潮田に習うように、首を傾げた。


「潮田って、面白いこと好きだろ。そういうとこあるんだよ」

「なんだよお前ら。その以心伝心みたいなの、気持ちわりいわ」


 関口が顔を歪めて自分を抱えるポーズをして見せる。本日二度目の暴言に、志賀も潮田もまた少し笑う。

 そうこうしている間に、潮田が食していたパンが無くなる。潮田は急に手持ち無沙汰になったようで、紙パックのストローをくるくると弄った。


「そういやさ」と潮田が急に切り出す。「昨日、映画見たんだけど」


 唐突なように感じるこの台詞も、二人にとってはかなり馴染み深いものだ。潮田は両親の影響からか映画好きで、暇なときには録画しておいた地上波放送や、父親が収集しているミニシアター系の映画を繰り返し見ている。志賀も彼の家を訪れた際に見せられたことがあるぐらいで、映画好きの血は脈々と受け継がれているようだった。

 そのため、二人は潮田が見た映画の中での一場面の内容や疑問点を聞かされる。関口はどうかわからないが、志賀はそんな時間が好きだった。覚えていないほどくだらないことが大半でも、そういう時間が一番楽しいのだ。

 潮田は案の定、すげー面白かったんだけど、と前置きをして話し始める。


「その冒頭でさ、学校の屋上を開けるシーンがあったんだよ。ピッキングで。ああいうのって、現実的に出来るもんなのかな」

「そんな簡単じゃねえだろ」


 関口がすぐさま答える。志賀も同意するように頷いた。


「確かに。余程器用なら違うかもしれないけど」


 志賀の言葉に、どうしてか二人が揃って志賀の方を見る。え、なに、と狼狽えた志賀をよそに、二人は顔を合わせた。


「まあ、志賀ならワンチャン……」

「ありそうだよなあ」

「俺のことなんだと思ってるの、二人共」

「ミスター器用だろ、志賀は」

「そんな称号はないよ」


 関口の軽口に志賀が呆れたように返す。志賀の手先が器用というより、何でもできるという印象があるらしい。実際そんなに器用な人間ではない、と志賀自身は思っているが。


「映画ではどうやって開けてんだよ」


 何故か俄然としてやる気になった関口が、身を乗り出して潮田に問う。えーっと、と潮田は身振りしながら答える。


「鍵穴に針金入れてライターかざして、カチャカチャすんだよ。そしたら開いて、すげーって」


 やや安直で素直すぎる感想だ。関口はへえ、と頷いた。


「まあ、やってみる価値はあるかもな。お前ら、どうせ暇だろ」

「え、本当にやるの? 暇だけどさ」

「いーじゃんいーじゃん、志賀ちゃん。俺屋上行ってみたかったんだよなあ」


 若干渋る志賀をよそに、二人は既に腰を上げかけている。まあ強く拒否する理由もないのだ。わかったよ、と志賀は頷いた。


「で、ライターは?」

「俺が持ってねえわけないだろ」


 関口が銀色に鈍く光るジッポを取り出す。年の離れた兄のもとからくすねてきた代物だ。関口は教師の目を盗んで煙草を吸っていることも少なくないため、持っていない方が珍しい。


「美術室なら針金の一つぐらいあるだろうしな」


 この中で誰よりも美術室のことを把握している関口が、隣接する美術準備室へ移動して探し始める。こうなると話は早い。三人は揃って屋上へ向かうことにした。


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