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人間嫌いの転生貴族 ~散々恋破れたので美少女に言い寄られてもなびきません~  作者: 監色共色


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第90話


「あっけなかったわね。勇者のことだからもう少し手こずるかと思ったけれど」


 鼓膜に溶けるような声色が安堵と落胆混じりの言葉を紡ぐ。


 六幻征の仲間なのだろう。


 でもどうしてだろう。完全には敵視できない自分がいる。


 勇者を殺したのに、人質なんて卑怯な真似をした奴なのに、内なる自分が彼女をゆるさなければならないと訴えている。


 あるいはこれが二つの由来となった『魅惑』なのか。


「さて、後は残飯処理ね」


 妖しく光る瞳が俺たちを一瞥した。後方でズリッと地面をする音が鳴る。


「う、うわあああああああああっ!」


 悲鳴が上がった。一人の男性が身をひるがえす。


「今悲鳴を上げたあなた。食べてあげるからいらっしゃい」


 男性の動きがピタッと止まった。


 かと思いきや体を反転させて足を前に出す。


「あ、あれ、体が! どうして!?」


 戸惑いの声とは裏腹に男性の歩みは止まらない。


 体の自由がきかないのだろう。おそらくはビューレと呼ばれる六幻征の術か。


 食べるというからには食い殺すに決まってる。俺は男性を止めようと靴裏を浮かせて――。


「動くな」


 宙に縫い留められたように体がこわばった。


「焦らないで。ボウヤは後でゆっくり食べてあげるから」


 ビューレが優雅に髪をかき上げた。


「グラーク、あれあげるわ」

「いいのか?」

「ええ。好みじゃないから」

「よっしゃ」


 岩のかたまりが地面をドシドシ鳴らして前に出た。


「お前タイプじゃないってよ。おいらが抱きしめちゃる」


 岩の腕が左右に開かれた。


「い、嫌だ、嫌だああああああああっ!」


 叫びもむなしく、男性とグラークとの距離が見る見るうちに縮まる。


「あーん」


 グラークの大きな口が真っ暗闇をのぞかせた。

 

 止める術はない。


 俺たちもすでに魅惑の術中だ。彼女に死ねと命じられれば秒でこの人生は終わる。そしてその未来図は数分とせず実現する。


 全滅を確信したその時、希望の色が視界内を横切った。


「……あ?」


 グラークが自身の腕で胴体の側面をさする。


 ごつごつした胴体に風穴が空いていた。


「なん、で」


 三本の輝線が岩の体を貫通して左方に消える。


 六幻征の一体が、言葉の続きを発することなく瓦礫と化してくずれ落ちた。

 

「な、何だ、何が起きた!?」

「勇者に決まっているでしょう!」


 ビューレが腕を振るった。直径一メートルほどの火球が砂煙を目指す。


 黄金の光につらぬかれて火球が爆発した。


 砂煙にシルエットが浮かび上がる。


「バカな……何故動ける、勇者ヴァラン!」


 敵を前にしてのよそ見は命取りなのに、俺も砂煙から目を離せない。


 まさかとは思う。


 だってあれだけ地面が揺れた。そんな力で殴りつければ人間の体なんてグチャグチャになる。


 生きているはずがない。


 そんな至極当然の理屈すら通じないから、ヴァラン・アストレイカーは勇者足り得たのだろう。


「見ての通りだ。肉や骨を魔力でつないで動かしている」


 砂煙から血まみれのアストレイカーさんが現れた。


 腕や脚の形がどこかいびつながらも、両手に剣を持って二体の六幻征をにらみつける。


 リッチが見るからに取り乱した。


「そんなはずはない! あれだけの衝撃、骨が砕けるだけで済むものか! 第一息をすることすら激痛がするはずだ。貴様には痛覚がないのか⁉」


 リッチは元人間だ。内臓が破裂しては生きていけないことを知っているがゆえの驚愕だろう。


 至極真っ当な指摘を受けても、アストレイカーさんの表情は変わらない。


「俺にも痛覚はある。内臓もいくつか破裂した。しかし眼前に倒すべき敵がいるのだ。痛みがどうして立ち止まる理由になると言う」

「ばけものがッ」

「それは貴様らのことだ」


 リッチが杖をかざした。


「動くな!」


 ビューレの命令に氷塊が続く。


 金色を帯びた剣身が氷を両断した。


「止まれ!」


 その命令も無意味だった。六幻征の意識がアストレイカーさんに釘づけになる。


 六幻征の不意を打つチャンスだ。


 アストレイカーさんは負傷している。加勢するなら今しかない。


 頭では分かっているのに俺の体は動かない。


 本能が理解していた。彼の戦いを邪魔すべきではないと。


「行くぞ」


 アストレイカーさんが腰を落とす。


 まるで突風のようだった。魔法が発動する前にドクロが宙を舞う。


「な、何なのよあんた……一体何なのよッ!」


 ビューレが大きく飛びのく。


「ぐあっ⁉」


 金色の光が右の肩口を貫いた。優美な肢体が撃ち落とされて地面の上を転がる。


 ビューレが歯ぎしりした。


「おのれ! よくも私の体に、傷をつけたなああああアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 すらっとした左腕が掲げられた。見る見るうちに火球がふくれ上がる。


 すごいサイズだ。ざっと見て直径十メートルはある。


 まずい。


 エルグリムの魔法はどうにかなった。氷は固体だ。両断すれば二つに分かれる。


 その一方で火球はそうもいかない。


 火球を放つ術式は数あれど、魔族が好き好んで使う術式には重力魔法が組み込まれる。


 ビューレが作り出した魔法もおそらくそのタイプだ。炎は重力に引かれて球状を形作っている。


 炎はすでに現象として発現した。今ビューレを仕留めたら火球が暴発する。魅惑の影響下にある俺たちに防げるんだろうか。


「愉快なバーベキューになりなさいッ!」


 火球がアストレイカーさん目がけて投げられた。


 爆発を許せば灰も残らないであろう攻撃を前にして、アストレイカーさんが静かに腰を落とす。


「ふッ!」


 大破壊をもたらすであろう紅蓮球が真っ二つに分かたれた。


 形を失った紅蓮が宙に溶けて消える。


「炎を、斬った?」


 でたらめだ。


 魔法は術式から独立して発生した現象だ。炎を斬るなんて普通はできない。


 もはやアストレイカーさんは、人を超えた領域に足を踏み入れているのかもしれない。


「覚悟はいいか」


 呆然としていたビューレが我に返った。


 絶世の自称に劣らない美貌が、アストレイカーさんから逃げるように後ずさる。


「ま、待って」

「待てん」

「この美が目に入らないの? 醜いあなたが絶世の美女たるこの私に触れるなんて、そんなの許されないんだから!」

「貴様の許しなど必要ない」

「絶世の意味が分かっているの⁉ 世界に一つよ、取り返しのつかない世界の損失なのよ⁉ おのれの罪深さを自覚しろよォッ!」

 

 口調を繕う余裕すらないようだ。ビューレがつばを飛ばしてまくし立てる。


 美からもれ出る穢れ。


 背徳感のある光景を目の当たりにしても勇者の歩みは揺らがない。


「美しさとは絶対値ではない。貴様は知らんだろうが、ふくよかな女性こそ美しいとされた時代もあるのだ。絶世という言葉は注目を集めるためのパワーワードにすぎん」

「美が何たるかも知らぬサルが、知ったようなことをほざくなッ!」


 勇者がビューレの前で足を止めた。


 右腕の剣が音もなく掲げられる。


「貴様に心配されずともこの世は美であふれている。見かけ倒しの絶世よ、盲目もうもくなまま死ぬがいい」


 剣が振り下ろされる。


 悲鳴すら上がらなかった。爆音とともに黄金の柱が立ち昇る。


 景色が元の色を取り戻すと、赤紫の美貌は毛髪一本残らず消滅していた。


 もはや言葉も出ない。


 英雄譚を目の当たりにした感嘆と誇らしさ。人間の可能性を見せつけられたようで胸が熱い。


 戦いが一段落した今も魂が打ち震えている。シークランドさんのような信者が出るのも納得だ。


 勇者の体がぐらついた。


 剣先が地面に突き立って体勢の維持に貢献する。

 

「野戦病院まで戻りたい。すまないが、誰か手を貸してくれないか」


 俺は我に返った。他の兵ともに英雄の元へ駆け寄る。

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