第88話
オイデイン兄さんにはすぐに会えた。
成長した俺を見て兄さんも驚いていたけど、父と違って特に反応はなかった。俺が男爵だと知らないのも兄さんの精神安定に一役買ったに違いない。
俺たちは拠点の確保に努めた。テントを立てるべく雑草を引き抜く作業に励む。
拠点をうろつく兵士へのあいさつも考えていたけど、アストレイカーさんに殺到する人影があいさつの不要さを教えてくれた。
アストレイカーさんは法衣貴族じゃない。
しかし領地こそなくとも王認勇者だ。名を覚えてもらえば後々家臣への引き立てといった出世につながる。
アストレイカーさんが屋敷で告げた通りだ。誰だって理由なく命は懸けられない。
それは領主の指揮下にある兵も同じだ。この場に集った者は名誉やお金のために参じている。
この世で最も難しいのはチャンスを得ること。
勇者とのコネは絶対的なプラスになる。努力ではどうにもならないからこそ、この千載一遇のチャンスを活かそうと必死に自分を売り込んでいる。
血気盛んな大勢を前にしてもアストレイカーさんの受け答えは淡々としている。こういった売り込みには慣れているのだろう。両者の温度差がちょっと哀れに映る。
俺とシークランドさんが昼食の用意を済ませた頃には人もはけていた。
「ニーゲライテ、シークランド。準備を任せてしまってすまない」
「気にしないでくれヴァラン。貴方を前にして平静を保てる者などいないのだから」
さすが信者の言葉は説得力が違う。
一応俺も同調した。あらためて三人で鉄釜を囲む。
濁った煮汁の中で干し肉と豆がくずれる。脂が膜のように浮き上がって煙とともに獣臭が漂う。
俺は木製の椀に煮込みをよそった。手でちぎった黒パンをスープにつけて口に運ぶ。
勇者には聞きたいことがある。
内容を考えると人には聞かれたくない。
勇者と二人きりになりたいところだけど、視線を振るとこっちをチラチラ見る人影が目につく。
当分は質問する機会もなさそうだ。
「みんなアストレイカーさんを気にしていますね」
「気になるか? ならば俺は別のところで食事を摂るが」
「そこまでする必要はありません。みんな一生懸命ですよね。ここぞとばかりにコネクションを作ろうとしてる」
「いいことじゃないか。恐怖で現場から逃げられるよりはよほどいい」
「やっぱりそういう方もいるんですね」
「そりゃあいるよ」
シークランドさんが木製のべらで鍋の中身をかき混ぜる。
「誰だって戦うのは怖いものさ。だからこそ我々は戦う理由を与えなければならない。領土への愛着、家臣への起用、そして叙爵。どれか一つでは一部の兵しか縛れない。だからこそ領主には普段からの振る舞いが求められる」
あの領主にそれができているかは甚だ疑問だがね。そんなつぶやきが空気に溶けた。
「縛るって、まるで犯罪者に対して行うみたいですね」
「犯罪者か、面白い発想だ。確かにヴァランを只人とするなら全人類が犯罪者のようなものだろうな」
ハッハッハッハ! シークランドさんの一人笑いが食事の場をにぎわせる。
誰もそんなこと言ってないんだけど、ここも笑えばいいんだろうか。
「シークランド」
「おっと失礼。まあ要するに、あればあるほどいいってやつだよ。理由一つで戦えるのはヴァランくらいさ」
「アストレイカーさんは何のために戦っているんですか?」
問いかけた瞬間に聞くまでもないと悟る。
人々のために。俺はそんな答えを予想して。
「責任だ」
想像と全く違う理由を告げられたものだから、俺は戸惑う羽目になった。
「責任って、王認勇者としての責任ですか?」
「違う、選ばれた以上は背負うのだ。俺は勇者認定を受ける前からこれを理念に掲げている」
彼が何に選ばれたのか。それを理解できるのはたぶん俺だけだ。
俺たちは食事を終えて装備を身に着けた。
「王認勇者殿!」
男性が駆け寄る。
まだ若い兵だ。衣服が泥にまみれていることからも急ぎの用事がうかがえる。
「報告しろ。何があった」
ただならぬ慌てぶりを前にしてもアストレイカーさんは平然としている。慌てふためく男性とのギャップで笑いを誘われる光景だ。
男性が背筋を伸ばして声を張り上げた。
「六幻征です! 北西の森に氷界のエルグリムを確認いたしました!」
六幻征。魔族の中でもとりわけ強い力を持つ六体の魔族。
勇者に討ち取られて今は五体だけど、この戦場の危険度が跳ね上がったことは明らかだ。
周囲が一気に静まり返った。微笑を絶やさなかったシークランドさんも表情を引きしめる。
六幻征という異名は、士気を一変させるくらいには高いネームバリューを備えているようだ。
それでも。
「問題ない。俺がいる」
勇者の一言が場の緊張を一気にほぐした。
「指揮官への連絡はすませてきたのか」
「いえ、まだです」
「ならば伝えてくるといい。俺も形式上はニーゲライテ男爵の指揮下に入っている。上も知らねば統率が取れまい」
「し、失礼いたしました!」
男性が声を裏返らせて走り去った。
「どうするヴァラン。我々だけで行くか?」
「ああ。彼の話では、六幻征は我らがおもむく方角にいる。被害が拡大する前に接触したいところだ」
「では呼びかけるとするか」
部隊に死傷者はつき物だ。出た分だけグループには欠員が発生する。
俺たちはそういったグループと合流して戦力を補充する予定だったが、まだグループの構成は成っていない。
「お供させてください!」
シークランドさんが声を張り上げる前に立候補する者がいた。
食事の前に名を売り込んでいた兵の一人だ。
「お、俺も!」
「私も!」
次々と仲間が集まる。
数分とせず一つのまとまりができ上がった。アストレイカーさんを指揮官にすえて目的地への道のりを歩む。
恐怖でうずくまる人はいない。
魔族のネームドがいる地へおもむくのに、仲間は微笑すら浮かべている。自分たちは勝利すると誰も疑っていない様子だ。
これが勇者の力なのだろう。
そこに在るだけで周りに多大な安心感をもたらす。この人といれば大丈夫だと何の確証もなく確信させられる。
俺もその恩恵に預かる一方で、微かな不安だけはぬぐえない。




