第87話
馬車が大学前の道路で停まった。
俺は車両から降りて大学の寮に駆け込む。
自分の装備を回収して再びアストレイカーさんたちと合流した。大学の建物を目じりに流しつつ故郷に想いを馳せる。
家族にあれこれ言われる覚悟は決めた。
それでもやっぱり気が引ける。
無駄なお節介じゃないのか、逆に迷惑をかけるんじゃないのか。そんな悪い予感が頭の中を駆けめぐる。
そんな状態でもお腹は減る。持参した補給食を口にしつつ馬車での時間を過ごす。
振動に揺られながら同乗者と情報を交換した。
各自どんな戦闘スタイルを取るか、どんな魔法を使えるか。闇属性の魔法が使えること以外は一通り伝えた。
ニーゲライテ領に到着した後の予定も話し合って飲食と睡眠を繰り返す。
やがて正面にニーゲライテ領の関所が見えた。
本来関所を守る衛兵の姿が見られない。それほど戦闘が激化しているってことか。
胸の中に焦燥を感じながら関所を通過した。
馬車が石だたみの地面を踏み鳴らしてニーゲライテの屋敷へ向かう。
まずは指揮官にあいさつしないと現場が混乱する。屋敷にいるであろう両親からオイデイン兄さんの居場所を聞くのが先だ。
馬車が停車する前に屋敷の玄関が開いた。
現れた顔を見て胸の奥がキュッとする。
「大丈夫だ。悪いようにはしない」
アストレイカーさんの言葉に遅れて馬車が停まった。俺はドアを開けて土の地面に靴裏をつける。
両親を前にして喉が詰まったような感覚に襲われる。
告げる内容は事前に決めていたのに言葉が出ない。
「誰だね君は」
両親が怪しむように目を細める。
後ろから肩を軽くたたかれた。アストレイカーさんが俺の前に出て敬礼する。
来訪者が勇者と知って両親が警戒を緩めた。
屋敷内の客室に案内された。俺はテーブルをはさんで両親と向かい合う。
父が俺に視線を向けた。
「それで勇者、そこの子供は?」
アストレイカーさんは応えず俺の方を振り向く。
さすがに名乗りまでさせるのは情けない。俺は意を決して口を開いた。
「カムルです。お久しぶりです父上」
両親が目を見開く。
「お前、カムルなのか」
「はい」
俺が屋敷を出てから五年以上が経っている。身長も伸びたし分からないのは無理もない。
不思議な感慨がわき上がったのも数秒。両親の目つきが鋭さを帯びた。
「今さら戻ってきて何しに来た」
胸の奥がキュッとする。
父が険しい表情のまま言葉を続ける。
「お前が屋敷を去ってから、私たちがどれだけ大変な思いをしたと思っている」
「ごめんなさい」
それに関しては返す言葉もない。
俺の存在でくるっていく周囲を見たくなかったとはいえ、それはあくまで俺の都合だ。
俺はレベッカ・ロールレインの許嫁だった。
手紙でフォローはしたけど、ロールレイン伯爵家とのつながりが断絶していても不思議はない。
両者の関係は今も続いているんだろうか。
気にはなるが、父にそれを問える雰囲気じゃない。
「お前にできることは何もない。帰れ」
「でも今ニーゲライテ領では戦闘が起こっていると聞きました」
「勇者がいれば問題ない。ニーゲライテの名を捨てた者に払う報酬など一銭もないわ」
「報酬なんていりません。俺はただ」
「くどい!」
ピシャリと言い渡されて俺は身をすくめる。
こうなるのは分かっていたのに、どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。体に流れるニーゲライテの血が俺にそうさせるのか。
「先代男爵。発言してもいいだろうか」
父の表情がやわらいだ。
「どうぞどうぞ。あ、茶もまだでしたね。給仕の者に持ってこさせましょう」
「不要だ。話が終わり次第現場へ向かう。それよりも先代男爵に問いたいことがある」
「何でしょう」
「カムル・ニーゲライテは貴方の子息と認識しているが、それに相違はないだろうか」
「はい。血のつながりで言えばそうなります」
「だとすれば子息に対して他にかける言葉があるのではないか」
父の表情が固まった。
こわばったのは表情だけじゃない。客室全体の空気が一変した。
「他に、とは?」
「先代男爵と子息の間に事情があるのは理解した。それを踏まえても、領土の危機に駆けつけた子息に対してその物言いはどうかと思ってな」
「カムルはニーゲライテの名を捨てたのです。もう他人なのですよ」
「だからこそだ。報酬もなく他者のために命を張るなどバカげている。それを他人がやると言ったのだ。彼に対して感謝の一つはあってもいいだろう」
客室に沈黙が訪れる。
家族に何も告げず領土を去った俺はニーゲライテを捨てたも同然。それは俺も認めるところだ。
でも俺はここにいる。
窮地に駆けつけた者には礼を払え。そう告げたアストレイカーさんに反論できる者はいない。
「そもそも先程から聞いていればあなたは自分のことばかりだ。数年屋敷に戻らなかった子息を気にかける言葉もないのか」
「な、何なのですかあなたは! どうして我々が責められなくてはならない! 先に我々を捨てたのはカムルだ。悪いのはカムルなのだッ!」
もはや敬いの姿勢すらくずれている。父の俺に対する憤りが感じられる。
敵意に近いものを前にしてもアストレイカーさんは平然としている。
「違うな」
「何が!?」
「カムルが捨てたのではない。あなた方がカムルに捨てさせたのだ。子は親なしでは世間の荒波にのまれて溺死する。子はそれを本能で知っているから親に好かれようとする。親が子に捨てられたのならば、それは子育ての過程で相当なマイナスがあったことに他ならん。それはまがうことなく親の責。子に家を捨てさせた不甲斐なさこそを嘆くべきだろう」
父が口を震わせて、しかし何も紡げずにうつむく。
文明未発達の時代では、子は親の仕事道具のようなものだった。
貧しくても人手が欲しいから産む。そんな矛盾だらけな構図が成り立っていた。
この世界にも似た価値観が根づいている。父にとっての子供はニーゲライテの家を栄えさせるための道具だ。
それでも親子関係は理屈だけじゃない。
俺が一度は捨てた故郷におもむいたのも、父がここで黙り込んだのもつまりはそういうことなのかもしれない。
さて、この空気をどうしようか。
「すまない先代男爵、独り身で知ったふうなことを言った。不用意な発言をここに謝罪する」
俺は思わず目を見張る。
謝罪への移行があっさりすぎて思考が追いつかない。父と母も目を丸くして顔を見合わせる。
困惑した空気の中でアストレイカーさんが言葉を続ける。
「今は言い争いをしている場合ではなかった。我々は魔族を討つべく参じたのだ。現男爵がどこに拠点を構えているか教えてほしい」
「え、ええ。それはもちろん」
父が戸惑いながらもオイデイン兄さんの居場所を告げた。
俺たちは屋敷を後にして馬車に乗り込む。
「アストレイカーさん。どうして父に謝ったんですか?」
「言葉の通りだ。今は一刻も早く部隊と合流せねばならん。それに先代男爵には自らを省みる時間が必要だろう。その場に俺はいない方がいい」
言葉を失う。
あの短い間にそこまで思考をめぐらせたというのか。すごい頭の回転だ。
武力だけじゃない。心理的駆け引きもこなせる器用さに人情もある。総合的に高水準な在り方が、アストレイカーさんをどん底から王認勇者の地位にまで上り詰めさせたのだろう。
御者によって馬車のドアが閉められた。窓の向こう側に映る屋敷が視界の隅に消える。
アストレイカーさんの隣で、シークランドさんが誇らしげに口の端を上げていた。




