第60話
俺はリッチのラズルとして魔王国での生活を始めた。クランシャルデさんと外に出て大きな建物に踏み入った。
研究施設の中も魔族だらけだ。小柄な魔族ばかりで威圧感はなかったものの、ギョロギョロと見られて気が気じゃなかった。
研究チームの面々に自己紹介をすませた。
当初は怪訝な目で見られた。
でもクランシャルデさんがジマルベスで出した成果を口にすると、彼らの俺を見る目が変わった。
ジマルベスでは研究成果を報告する前だった。カムル・ニーゲライテの名前は広まっていない。
俺の正体につながる書類は、エンシェントドラゴンとの交戦前にクランシャルデさんがまとめ上げていた。人類側からリークされることもないだろう。
所属初日ということで俺は見学に努めた。研究機材を確認しつつ、実験を眺めて機材のあつかい方を覚えようと試みた。
翌日からは朝のラボミーティングにも参加した。
ジマルベスにいた頃とは研究メンバーが違う。
エンシェントドラゴンとの交戦で戦場に出ていたのはクランシャルデさんだけだ。勇者率いる人類軍から襲撃を受けて合流する時間はなかった。
研究員どころか研究室のコンセプトも違う。
そのせいか、あつかわれる魔法はどれも攻撃的なものばかりだ。部門の名前からして侵略魔導だし察するものはあった。
ともあれ仕事は仕事。手は抜けない。
俺の立場はクランシャルデさんの意向で確立されている。彼女の顔をつぶすわけにはいかない。
魔族の世界は実力主義。機材のあつかい方も分からない俺にやれることは限られる。
逆を言えばやるべきことは明白だ。俺は研究員に声をかけて、実験のサポートを口実に知識の吸収に努めた。
機材の操作方法や実験のコンセプトを一通り覚えて、俺はクランシャルデさんに実験の企画を持ち込んだ。
企画の内容は汎用魔法だ。
リティアに使わせた、複合魔法を使わせる術式。合同訓練時に使わせて修正点も見えた。
クランシャルデさんのチームはともかく、研究室を出ると他の魔族にはからかわれる。実績もないコネで配属された研究員。そう思われている。
すぐに見識を改めさせる必要がある。
不平不満が嫌がらせに発展して絡まれたら面倒だ。仮面をはがされたら一大事じゃすまない。
俺の存在を認めさせるには何よりも実績がいる。
この研究室での成果は軍事転用される。
複数属性持ちの一方で複合魔法をあつかえない魔族は多い。雑兵が複合魔法を使えるようになれば軍事力は化けるはずだ。
俺は休日も返上して術式の研究開発に勤しんだ。
途中クランシャルデさんに提案されて、魔法を使えない個体でも使えるように魔導具を作る方向性に舵を切った。
元々サンプルとなる術式ができているだけあって、改良型は一か月とせず完成した。
術式のコンセプトは、複数属性持ちなら誰にでも使える魔法だ。その性質上、魔法に造詣のない者でもあつかえる術式でなければならない。
そんなわけで、今日は実験台となる魔族が研究室を訪れる。
相手は新入りの兵士。実験体にはうってつけだ。俺は研究室で実験ノートとにらめっこしながら時を待つ。
「どうしてそんなにそわそわしているの? まるで子供みたいよ」
クランシャルデさんがクスッと笑う。
子供ですので、とは言えない。俺は一人の研究者として活動しているし、この世界では大人と見なされる年齢も早い。
魔族にとっての大人はもう少し年をかさむみたいだけど俺は人間。クランシャルデさんは俺を大人として認識している。
「今日のでき次第で俺の立ち位置が決まるんです。緊張くらいしますよ」
「そんなに周りの目が気になるの? あなたは私が認めた人間なのだからもっと自信を持ちなさいな」
「ずっとクランシャルデさんにおんぶにだっこってわけにはいきませんよ」
ドアがコンコンコンと鳴らされた。クランシャルデさんが声を張り上げて入室許可を出す。
失礼いたしますの声に遅れてドアが開く。
「え」
戸惑いが言葉となって口を突いた。
開いたドアがのぞかせた顔は、ジマルベスで生徒をしていた頃の知り合いそっくりだった。
少女と視線が交差する。
紫の瞳が見開かれた。
「どうして、あなたがここに」
「それはこっちのセリフだ。何でリティアがここにいるんだよ」
てっきりジマルベスの避難所にいると思っていた。それがまさか、こんな場所で再開するなんて夢にも思わなかった。
あどけない顔から視線を落とすと、華奢な体が黒い衣服におおわれている。
それはまがうことなく軍服だった。




