第58話
夜を明かして出発した。
追っ手が来る気配はない。黙々と歩いて、お腹が減ったら野草で空腹をごまかす。
途中でクランシャルデさんから仮面をもらった。
ドクロを思わせる不気味な仮面。仮面には特殊な機構が込められていて、使用者が魔力を込めると魔族に似た魔力の波長を発する代物らしい。
俺は今日からリッチ。今日からリッチ。
自己暗示をかける内に大きな門が見えてきた。門の両側には槍を持った魔族の姿がある。
左胸の奧がバクバク鼓動する。一歩足を進めるたびに鼓動が強くなって、心臓の音が聞こえるんじゃないかと不安になる。
クランシャルデさんが前に出た。魔族と言葉を交わして俺に横目を振る。
おもむろに門がギィィッと音を立てた。大きな扉が向こう側の光景をのぞかせる。
「行きましょう」
クランシャルデさんにうながされて足を前に出した。仮面の下で口元を引き結びながら門番の横をすれ違う。
「おい」
足を止める。
俺が人間だと気づかれた? 左胸の奧で響く鼓動が強さを増す。
「がんばれよ」
発破をかけられた。
俺は小さくえしゃくして前に向き直った。小走りでクランシャルデさんのとなりに位置取る。
「ね? 大丈夫だったでしょう」
「はい。一瞬ばれたかと思いましたけど」
「あら、私の研究成果を信用してないの?」
「信用はしてますよ。それでも不安なんです」
パンジージャンプがいい例だ。命綱が千切れないと確信していても高所から飛び降りるのは怖い。この価値観は魔族に当てはまらないんだろうか。
おっと、これは魔族差別だったか。
これから踏み入るのは魔族の本拠地。発言をとがめられるどころか袋だたきにされかねない。これからはより一層言動に注意を払わないと。
石だたみの地面を歩きながら視線を左右に振る。
ゴブリン、オーク、他にも翼を持つ人型や魔物がうろついている。
魔族と言うから薄暗いイメージを持っていたけど、街並みだけで言えば人類領の光景と変わらない。屋根があって壁のある建物に住まうさまはまさに人間だ。
大小の様々な建物の横を通り過ぎる。
何十分歩いただろう。街の景観も領内に入った時とは違ってきた。
「クランシャルデさん、どこまで行くんですか?」
「私の屋敷よ」
「屋敷を持っているんですか?」
「ええ。言ってなかったかしら? 私ここじゃ貴族やってるのよ」
「魔族にも貴族制度があるんですね」
「もちろん。数が増えれば統率しなきゃ国が成り立たないもの。私が貴族じゃなければ、私は今の職に就けてなかったでしょうね」
「やっぱり魔王国にもあるんですか? 身分の格差で望んだ職に就けないっていうのは」
「あるわよ。それが普通じゃない? 研究職は国の力を左右する。何の名誉もない平民が就いたって誰も納得しないわよ」
「言いたいことは分かりますけど、平民にだって優秀な人はいるでしょう」
「どうやって探すの?」
「え」
「優秀な平民よ。誰だって優れた人に仕事を任せたいに決まってる。でも魔法の適性を調べるために会場を設けるのだってコストが掛かるのよ。調査が行われることを広めるにも人員とお金が要る。当日には、会場に人員や誘導員を配置しなきゃいけない。そこまでやって得られる見返りはどれほどかしら」
俺は認識の相違に気づいて息をのむ。
よくよく考えてみれば、俺が元いた世界には便利な道具があった。元々教育機関に人が集まっていたこともあって情報の伝達がスムーズだった。
この世界にスマートフォンはない。
学校の態勢はもちろんのこと、コピー機すらない現代で情報を広めるには限度がある。
メリットとコストがつり合わない。だったら幼いころから教養を高められる貴族に絞って職をあっせんした方が効率的。
そう語るクランシャルデさんの言葉を否定するだけの材料は、今の俺にはない。
「クランシャルデさんは見識が深いんですね」
「だてに百年以上生きてないもの」
「え」
思わずバッと振り向いて目を見開く。
眼前にあるのはどう見ても二十代前半くらいの若々しい美貌。人間と魔族の寿命が違うのは当たり前として、百年経ってもここまで若いものなのか。
そうか! これこそがアンチエイジングってやつか!
「アンチエイジングとか言ったら大衆の面前で仮面剥ぐからね?」
俺は開きかけた口を閉じる。
しばらく気まずい沈黙にひたりながら足を進めた。




