第55話
シュバルが走った先では戦乱が繰り広げられていた。
仮面をつけた集団がジマルベス軍の兵士を襲っている。シュバルの仲間一人、また一人と凶刃に倒れる。
ジマルベスの軍事力は世界トップクラスを誇っているが、今はエンシェントドラゴンとの戦いで疲弊している。
加えて相手の練度も高い。統率の取れた動きは見るからに賊の類ではない。
シュバルも応戦した。手当たり次第に敵をほうむり、無事な人員で部隊を再構成する。動けるグループでしんがりを努める。
シュバルに臆した集団が一歩たじろぐ。
「退くな! 奴は強いが無敵ではない。包囲して叩け」
シュバルは目を見開いて声がした方向を見すえる。
鋭くも品のある声。シュバルはその声色に覚えがある。
「その声、ネメスか?」
返答の代わりに魔法が放たれた。
シュバルは両腕を交差させて防御態勢を取る。
衝撃はない。
代わりに仲間が風に乗って吹き飛んだ。敵兵が迅速にシュバルを取り囲む。
銀の甲冑を身にまとう騎士が集団の中から現れた。
シュバルは包囲した敵兵を視線でなぞり、歩み寄ってくる知り合いをにらみつける。
「ネメス! これはどういうことだ!」
仮面が外される。
シュバルに負けず劣らずの剣呑な視線があった。
「見ての通りだ。私はお前たちを裏切ってこっちについた」
「何故だ⁉ オレたちはともに苦難を乗り越えてきた仲間だろうが!」
「私を軽々しく仲間と呼ぶなァッ!」
シュバルは息を呑む。
鞘から剣が抜き放たれた。剣身の周りを稲妻がほとばしる。
包囲陣形を活かした袋叩きが始まった。頑強なシュバルの体に傷が一つ、また一つと増える。
一対一では誰もシュバルに敵わない。
しかし今は一対複数。シュバルの体は一つだ。攻撃や防御に移れば他の人員が死角から斬りかかる。
強固な竜人のうろこといえど、魔法を帯びた攻撃は確実にダメージを積み重ねる。
シュバルは口角を上げる。
ネメスがまゆをひそめた。
「何故笑う。おかしくなったか」
「いや、以前にも似たことがあったと思ってな。あの時はお前がとなりにいたが、どうやって切り抜けたかは覚えているぞ」
「何?」
告げてネメスが目を見開く。とっさにシュバルへ剣先を向ける。
「遅い!」
シュバルは足元に魔法を放った。土ぼこりが舞い上がって視界を濁らせる。
茶に濁った空間に大きな影が落ちた。
「上だ!」
ネメスが呼びかけて仰ぐ。
シュバルはすでに腕を振り上げている。手には自身を打ち上げた岩の柱が握られている。
「おおおおおオオオオオオオオオオッ!」
振り下ろされた岩の柱が地面を爆ぜさせた。悲鳴に遅れていくつか人影が宙を舞う。
包囲が解かれた。シュバルは着地するなり最寄りの人影になぐりかかる。
数的不利は変わらず。
されど遅れは取らない。一対複数と一対一を繰り返すのは突破難易度に大きな差がある。
浮き足立った兵士が隙を突かれて次々と気を失う。
いまいましげに奥歯を食いしばるネメスだけが残された。
「どうした。いつものお前ならすぐ狙いに気づいて出鼻をくじいたろう。心のどこかでまだ迷いがあるんじゃないか?」
「黙れエエッ!}
ネメスが雄たけびを上げて地面を蹴った。距離を詰めて剣を振り上げる。
「そのにやけ面をやめろ! どうしてこの状況で平然としていられる⁉」
「まだこの状況を打開できると信じているからだ」
「不可能だ! いくらジマルベスの軍が強かろうと、エンシェントドラゴンとの戦いで疲弊した状態では勝ち目はない!」
「そうだな。だからいつものようにお前が考えてくれ」
「ふざけるなァァァァッ!」
空振りが続いてもなおネメスが腕を振る。
シュバルは武、片やネメスは智の異名を持つ。
一対一の状況下、どちらに軍配が上がるかは明白にもかかわらず剣は止まらない。魔法も混ぜてシュバルを討たんと吼える。
「何故私を憎まない? 仲間が現在進行形で死んでいるんだぞ! 怒り荒ぶれ! 平民の出の分際で、私より大きな器を見せるなァァッ!」
「何だお前、オレに憎まれたいのか?」
「そうだ! そうすれば私もお前を憎める。魔族をこの世から排斥せよと、声高らかに叫ぶことができる!」
シュバルの表情から笑みが消える。
魔力装甲に保護された腕と剣が激しく打ち鳴らされた。
「お前の家族が魔族に殺されたことは知っている。だがそれと他の魔族は関係ないはずだ。頭のいいお前なら分かるだろう」
「そんなことは百も承知だ! だが気持ちはついていかないんだよッ! 私は魔族という種族が憎い! この手で一匹残らず消してやりたい! なのにお前がいるから、この胸を焦がす怒りと憎悪をぶちまけられない! お前さえいなければ私は楽になれるのにッ!」
稲妻を帯びた剣が魔力装甲を裂いた。
シュバルが飛び退いたのを機に、黒いうろこが一枚斬り飛ばされる。
ネメスが顔の近くで剣を縦に構える。
「死んでくれシュバル。もう私を楽にしてくれェェェェッ!」
二つの人影が地面を蹴る。
交差は一瞬だった。剣が重力に引かれて地面に落下し、遅れてひざが地面を打ち鳴らす。
「何故殺さない。お前にとっての人間は、殺す価値すらないと言うのか」
「なあネメスよ。憎めなくて苦しいとか、オレにはそんな難しいことは分からん。だが人間を手にかけたいと思ったことならオレにもあるぞ」
「適当なことを言うな。お前は昔からヘラヘラ笑っていただろうが」
「吹っ切れたからだ。お前のおかげでな」
「俺のおかげ、だと?」
ネメスが顔を上げる。
シュバルが力強くうなずいた。
「そうだ。人間は数が多いだけで世界に覇を唱え、自分たちより醜いというだけでオレの同胞を狩る。か弱いくせに小賢しい人間が憎くてたまらなかった」
過去形の言葉を耳にして、ネメスが口元を引きしめる。
「だがお前は違った。困難な状況を頭一つでどうにかしてみせた。さながら奇跡にも等しい所業を起こしながらも、お前は驕ることなく貴族の在り方をくずさなかった。そんなお前を見て、力にもそういう方向性があるのかと一定の理解を示せた。それができたのはお前のおかげなんだ」
魔族は力を尊ぶ。
それは知力も例外じゃない。興味を持ち、知って、悪くないと断じて関係を持つ。
リティアが料理を通じて人間を認めたように、シュバルはネメスを通して人間という種族への認識をあらためたのだ。
「そうか。お前も、そうだったのか」
ネメスがうなだれる。
シュバルは笑みを引っ込める。
「事態は最悪だ。このままでは中立国家は人間に滅ぼされる」
「そうだな。お前は早く逃げろ。抵抗しない人間は殺されないが魔族は別だ。お前も殺されるぞ」
「逃げん。俺はジマルベスを守る」
「バカな! 無理に決まっている!」
「無理なんて思ったことはこれまでにもある。こういう武力ではどうにもならん時こそお前の頭脳が必要なのだ。力を貸してくれ。俺の半身、智のネメスよ」
ネメスが目を見開く。
沈黙を経て、苦々しい笑い声が騒々しい空気を震わせた。
「まったく、とんだ無理難題を押しつけてきたもんだ」
「お前でも無理か?」
「バカ言え。私とお前がそろってできないことなどあるものか。
互いに笑みを交わし合う。
シュバルはネメスに肩を貸して立ち上がらせた。
「それで、これからどうする? 協力を要請した俺が言うのもなんだが、こちらが勝つビジョンは見えんぞ」
「厳しいのは確かだが、幸い奴らは俺を味方だと思っている。奴らの陣形や戦力は把握済みだ。まずは司令部に俺が持つ情報を伝えて、それから――」
ネメスが腕を突き出した。シュバルの靴裏が地面を離れる。
振り向いたシュバルの眼前で黄金光が駆け抜ける。
「おわっ⁉」
高熱で膨張した大気に叩かれて上下感覚が失われた。重力に引かれた体が地面の上を数回バウンドする。
シュバルは地面に腕と脚を突き立てた。体にかかっていた慣性をころして、状況を確認すべく顔を上げる。
地面に残った直線状の焼け跡。その上には友人だったモノの下半身が転がっていた。
「ネメスゥゥゥゥゥゥゥッ!」
シュバルはわき目も振らず亡き骸に駆け寄る。
静まった空間に軍靴の音が鳴り響いた。
「即死したか。裏切り者にはすぎた選別になってしまったな」
仮面をかぶった人型が歩み寄る。
その手には剣。シュバルは殺意を込めてにらみつける。
「貴様ァァァァァァァァッ!」
シュバルは腕をかかげた。頭上からズッとゴツいかたまりが現出する。
それは大きな岩だ。グツグツに煮えたぎって赤みを帯びている。
火と土属性の複合魔法。人相手なら粉みじんにする威力のそれを容赦なく射出する。
黄金光が空間を金一色に染め上げる。
爆風が砂ぼこりとともに仮面をめくり上げた。シュバルは目を見開いて呆然とする。
「貴、様。なぜ」
金色の髪、掘りの深い顔立ち、激戦を思わせる火傷の跡。
そして目の前に立たれるだけで怖気立つ堂々とした振る舞い。それら全て、シュバルの知る人物の特徴に合致している。
「何故ここにいる⁉ 勇者ヴァラン!」
魔王を打倒せんと人々から期待が寄せられている猛者。
勇者ヴァラン・アストレイカー其の人の姿があった。
「その問いには答えられん。悪いが何も知らないまま逝ってくれ」
「ふざけるな! 何が勇者だ、この卑怯者がッ!」
「非難は甘んじて受けよう。自分が畜生にも劣る殺戮者だと自覚はしている。だがこの身は神に選ばれたのだ。民草は俺が灼いた地面の上を歩く。罪咎ごときで歩みを止めるわけにはいかんのだよ」
「ほざけ! この偽善者がああああアアアアアアアアッ!」
シュバルの体が見る見るうちにふくれ上がって、見上げる勇者に影を落とす。
人を丸飲みにできそうなサイズの口から紅蓮がもれた。有機物を秒で炭化させる火炎が手加減なしに放たれる。
迎え撃つは黄金の閃光。地形を彩る影が暴かれ、全ての黒がシュバルの後方に集約される。
決着は一瞬。凄絶なまでの黄金光が曇天をまばゆく照らし上げた。




