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お嬢様とわたし  作者: ふとん
お嬢様と彼の日々
15/19

二回目のクリスマスのこと

 秋が駆け足で過ぎて冬を迎える頃、私は就職先をようやく決めた。                    

 夏から就職活動を始めたというのに運が良かった。

 というのも、私が主に面接を受けていたのは募集人数が一人か二人の小さな会社ばかりだったから。

 最初の頃は大きな会社の面接を目指していたが、高円寺の名前を持つ私をまともに取り合ってくれる会社はほとんどなかったのだ。私一人が勝手に就職先を探しているのならともかく、落ちぶれた旧家の娘を何のメリットもなく雇おうとするところはないと思い知った。

 だからターゲットを中小企業に絞って、手当たり次第に面接を受けることにした。

 そうアドバイスしてくれたのは、意外にも吉之助だった。

 ほんの一握りの大企業より中小企業の方が断然数が多いのだから、と。


「麗子さんのことをちゃんと見て、雇ってくれる会社に入る方がいいよ」


 特別な資格も持たない私は、仕事を選べるはずもないと思っていた。けれど、吉之助は私の方が会社を選んでもいいと言う。


「仕事はできるようになっていく。でもこの会社に入りたいと思って入った方が、麗子さんにとっても会社にとってもいいことでしょう?」


 過剰な期待もへりくだりもない、働きたいところで働くことが重要、と吉之助は断言した。


「もっと自分に自信を持って、麗子さん。君が思う以上に、君は何でもできるんだから」


 大げさね、と笑って返したけれど、吉之助の言葉があったから私はどんなに面接を落ちてもチャレンジすることができたのだと思う。


 私を遅めのインターンとしても受け入れてくれたその会社は、輸入商品を扱う会社だ。社員が十六人と小さな会社ながら、デザイナーズジュエリーから子供向けの菓子まで取り扱っている。社員のほとんどがバイヤーも兼任していて、現地に赴いて買い付けも行うという。


「うちは普通の会社より海外への旅行経験が多い方が喜ばれるの。だからあなたみたいな新人は大歓迎」


 私についてくれるチューターとなった先輩はそう言って笑った。

 彼女は私の面接にも立ち会った先輩だ。制服はないという会社の気風か、彼女はオシャレで軽やかだった。


「お嬢様なら目も肥えてるでしょ? その年で英語だけじゃなくてドイツ語と中国語が話せるならもう即戦力! いいバイヤーになれるわ」


 幼い頃から海外旅行は頻繁に行っていて、夏休みに入ればホームステイすることもあったから海外経験という意味ではそれなりの経験者だ。

 けれど社会人としてならどうかと言われれば、きっと私は他の学生より劣る。

 私の弱音を先輩は「関係ないわ」と言う。


「どの学生もお嬢様と一緒よ。社会人じゃないんだから。仕事は一生懸命覚えればいいの。だから頑張ってね」


 彼女は吉之助と同じように笑ってくれた。


 

 インターンと卒論の仕上げに追われた私の毎日は慌ただしく過ぎて、やっと時間が見つけられたのはもうクリスマスも間近に迫った頃だった。

 インターンを終え、本格的に卒論を仕上げる頃になるともう大学の講義はない。すでに卒論は終えたという美由紀に連絡を取ると、私はクリスマスイブを明日に控えて久しぶりに親友に会うことができた。


「まぁ、ここが麗子さんがお勤めなさっている喫茶店なのね」


 おっとりと彼女は喫茶店の中は物珍しそうに見回した。

 毎日花嫁修業で大変だという彼女の息抜きになればと連れてきたが、住宅街の小さな喫茶店など人生で初体験なのだろう。少々興奮気味だ。


「すごいわ。テーブルも椅子も輸入ね。ちゃんと手入れされていて素敵だわ」

 

 美由紀は嬉しそうに使い込まれたテーブルを撫でる。

 素直に喜んでくれているようなので、私はそっと胸をなでおろした。


「……バイトの分際で客としてくるとは、いいご身分だな」


 今日もウェイターとして入っていたらしい葛原は私たちのオーダーを持ってきてくれたようだ。


「ったく、卒論はどうしたんだよ。インターンもぎりぎりなくせに」


 悪態をつきながらも葛原は丁寧な手つきでコーヒーを置いてくれる。


「まぁ、麗子さん」


 葛原と私を不思議そうに見比べていた美由紀がぽんと手を叩く。


「殿方にモテモテね!」


「ちげぇよ! 勘違いすんなお嬢様!」


 唸る葛原にも怯えもしないで美由紀はにこにこと笑った。


「だって、麗子さんの心配をなさっていたのでしょう?」


「……おい、お前の周りって何でこんな変人ばっかりなんだよ」


 美由紀に指をさして呆れる葛原を私は睨んだ。


「変人なんていないわ」


「お前の後見人」


 葛原は一度会っただけなのにどうして吉之助が変人なんて分かるというのか。

 けれど、吉之助が常識人かといえばそうでもないので私は言葉に詰まった。


「……吉之助は、確かに変わってるけど」


「認めるのかよ」


 葛原の呆れ顔に、どう言い返してやろうかと言葉を選んでみたけれど、最近の吉之助は以前にも増して変わった。

 いつものように穏やかで、私の料理を喜んで食べるけれど、どこか違うのだ。

 忙しいこともあって、それが何かをなかなかつかめないでいる。


(吉之助)


 今までのようにそこに居るというのに、今の彼はまるで空気のようにつかめない。

 今まで少しずつ分かっていたと思っていた彼が、突然霧の向こうへ隠れてしまったような。


(本当に、それは私が忙しいせい?)


 お互いに忙しくて話せないことが、本当に理由なんだろうか。


(私、何か間違えてない?)


 考えても考えても分からない。

 まるで失くしたパズルのピースを探すようだ。

 あと一つはめれば完成するパズルのピースを、突然失くしてしまったような。


「麗子さん?」


 美由紀の声がどこか遠い。


「おい、大丈夫か!」


 珍しく慌てた葛原の声がする。


(……あ)


 体から力が抜ける、と思ったら、私の意識は途切れた。




 ※




 美味しいよ、といつもの声で言ってくれる。

 ありがとう、といつものように返してくれる。


(でも、どうしてそんな風にあなたは寂しそうに笑うの)


 振り返るその瞬間。

 微笑むその一瞬。

 

 彼の顔は苦く歪む。




「――麗子さん」


 耳慣れた声がする。

 そっと目を開けると、見慣れた天井があった。

 私の部屋だ。


(……私の部屋?)


 私は美由紀と喫茶店にいたはずだ。


(どうして…!)


 咄嗟に起き上がろうとしても、体が重くて起き上がれなかった。

 

「駄目だよ、無理しちゃ。病院に連れていったら風邪だって言われたけど」


 見上げると吉之助が困ったように微笑んだ。

 ネクタイもないワイシャツ姿だ。きっと、会社帰りなのだろう。


「……風邪?」


「そう。着替えまでは美由紀さんがやってくれたから。さっき田上君に送ってもらったところ」


 美由紀さんは病院まで付き添ってくれたんだよ、と言い添えて吉之助は少し怒ったような顔をする。


「麗子さん、最近忙しいからってあんまり寝てないでしょう」


「だって、覚えることとかたくさん…」


「それで倒れてしまったら仕事にならないよ」


 吉之助の言う通りだった。

 最近は忙しくて睡眠が二、三時間だったときもあった。


「……まぁ、忙しい麗子さんにご飯を作ってもらったりして甘えていた僕も悪いんだけどね」


「それは…好きでやってることだから」


 卒論に行き詰ったときに料理をすると気分転換になるのだ。


「……それに、放っておいたら吉之助、何にも食べないでしょう?」


 私の言葉に吉之助はくしゃりと苦笑する。

 でも、それは理由の半分。もう半分は、吉之助とご飯を食べたいから。


「……明日、クリスマスイブなのに」


 今年のクリスマスは、久しぶりに豪勢な食卓にしようとたくさん買い込んでいる。

 今年はケーキも焼いて、吉之助には早く帰ってきてもらって、二人でたくさん話そうと思っていた。

 

(聞いてもらいたいことがたくさんあるのに)


 忙しかった分、聞いてもらいたいことが山ほどある。

 それをクリスマスイブからクリスマスまで、聞いて欲しかった。


「冷蔵庫、いっぱいだったね」


 柔らかく微笑んだ吉之助がこちらを覗きこんでくる。


「今年は、麗子さんのご馳走が食べられると思って楽しみだったよ」


 でも、とゆっくりと私の額を大きな手が撫でる。


「今はゆっくり休んで、麗子さん。サンタクロースからの休暇だと思って」


 ひんやりとした手は優しく私を撫で、「まだ熱が高いね」と離れていった。




 それから、美由紀が作っておいてくれたというおかゆを吉之助が自室に運んでくれ、ベッドの上で食べると風邪薬を飲んで再び寝るように彼は私を言い含めた。

 私の隣に椅子を運んできて一緒に食べた吉之助がお盆を手に部屋を去ろうとするので、何気なく「吉之助」と

呼んでしまった。

  

「どうしたの、麗子さん」


 優しい吉之助は嫌な顔もしないで戻ってきてくれる。

 きっと、熱のせいで気が弱くなっているせいだ。こんなにも彼にそばに居て欲しいなんて。

 ベッドの隣に座ってくれた吉之助を見つめていると、何故か言葉が出なくなっていた。

 たくさん、話したいことがあるはずなのに。

 何も話せず困っていると、吉之助は「麗子さん」と穏やかに微笑んだ。


「眠るまでそばにいるから」


 大丈夫だよ、と言われると肩の力が抜けた。

 すると、もうずっと誰にも話さないと決めていたことだけがするりと言葉になった。


「……私、夏にあなたのことを田上さんから聞いたの」


 静かな瞳が私を見つめる。それは本当に静かな瞳で、何の感情も見出せなかった。


「あなたのことを聞いたからというわけではないけど、私のことも聞いて欲しいの」


 どうして今、そんなことを話そうと思うのか。

 本当のところは自分でも分からなかった。

 でも、何も話さないままでいるより、彼には私のことを知ってほしいと思った。

 誰でもない、吉之助に。


「……私、男の人に襲われそうになったことがあるの」


 じっと動かなかった吉之助の表情がわずかに揺れる。突然こんな話で驚くのは無理もないかもしれない。


「襲われた、といっても腕をつかまれて部屋に連れ込まれただけ。カウチに押し倒されそうになっていたところを、助けられたの。実際は、何もされてない」


 それでも、あのときのことを思い出すと体が震える。

 強い力で引っ張られて、抵抗しようと暴れたら打たれそうになった。


「……逃げようと無我夢中で、細かいことは覚えてない。でも、私の腕をつかんだ男の言葉はよく覚えてる」


――落ちぶれた令嬢には、これぐらいの使い道しかないんだよ!


 あの日は、父に無理矢理連れ出されたパーティだった。

 すでに家は没落寸前で、両親が私を成金の後家に出そうか、と画策している頃だった。

 私をパーティに参加させたのは少しでもいい嫁ぎ先を探させるためだったのだろう。             それがまったく分からないわけでもなかったから、両親の助けになるならと大人しく挨拶回りに付き合った。弟にはこんなことはさせられない。だから、どんなに陰口を言われようが、嘲笑されようが構わなかった。

 でも、両親が挨拶に離れた隙に若い男たちに囲まれ、部屋に放り込まれたとき。

 私は知った。


「私を囲んだ次男坊たちは、少しでも私を傷つけたかったのでしょうね。口々に私の両親の悪い噂を話してくれたわ」


 金遣いが荒くて、両親共に愛人がいる。落ちぶれてもその生活をやめられないから、今度は娘を売ろうとしている。

 彼らは始終笑っていた。私の痛みなんて欠片も知ろうとしないで、ただの遊びだと笑っていたのだ。

 

「……そんなこと、言われなくても分かっていたの。いくら世間知らずの私でも」


 私も弟も分かっていたのだ。知らないのは両親だけ。

 それでも、私は両親の役に立ちたかった。それは今まで働いてくれていた使用人たちのためでもあったし、弟のためでもあった。


「でも、襲われて思ったの。……私、ペットみたいだって」


 もらわれたり、買われたり、可愛がられたり、飽きられたら棄てられたり。


「誰かに選ばれるだけのペットみたいだと思ってしまったの。親の言うことを聞いて、今までそれなりに努力してきたことも私の商品価値を上げるだけのもので、品評会に出されるだけのただのペット」


 ただペットのように生きてきた。

 そんな風に感じてしまったら、今までの世界が無残に崩れ去ってしまった。

 親も家族も友人も、何もかもが信じられなくなってしまった。


 私をペットたらしめるものが、すべて信じられなくなってしまったのだ。


「ペットのように生きていれば良かったのかもしれない。何も考えず、何も感じないで生きていければ、私は今までの私を否定せずに済んだかもしれない。……でも、もうできない」


 知らなかった頃には戻れなかった。

 何も分からないふりもできなかった。

 ただどうすればいいのかも分からず、どう生きればいいのかさえ分からなくなった。


「……だから、家族と離れて暮らすと決まって、正直とてもホッとしたの」


 知らない男との同居など、どうでも良かった。ただ、あのゲージから出たかったのだ。

 どの場所が幸せかどうかなんてわからない。

 でも、私はあの場所にはもういられなかった。


「……ねぇ、吉之助」


 私の話をじっと聞いていた吉之助を見つめる。彼の静かな目はどこまでも凪いでいた。


「私を連れ出してくれて、ありがとう」


 どうしてこの話を、今しようと思ったのかはやっぱり分からなかった。

 でも、何か言わなければならないと思っていたことが全部言えたようで、私は思いのほかすっきりとした心地になった。


 吉之助は細く長く息を吐いた。

 それは呆れからではないようで、ゆっくりと深呼吸する。

 そして「麗子さん」と静かに言った。


「僕は、君の助けになれることが一番嬉しいんだよ。……だから、こちらこそありがとう」


 そうやって微笑む吉之助は穏やかだった。

 けれど、その微笑みの合間に苦し気に目を細めた。


 

 眠るまでそばにいると言った吉之助は、ベッドのそばに居てくれた。

 風邪薬が効いて、私が眠る瞬間まで。



 だから、それはどこか幻のような声だった。

 それは優しく穏やかで、泣きたくなるほど静かな声で。



「――クリスマスプレゼントなんていらないよ。一分一秒でも長く、君がそばにいてくれるだけでいい」




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