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お嬢様とわたし  作者: ふとん
お嬢様と彼の日々
13/19

残暑のこと 2

 山坂吉之助という男は、およそ普通の家庭とは呼べない場所で育った。


 急成長した新興の財閥、赤木家の三男として生まれたものの彼は物心つく頃には実家を出て、インターナショナルスクールの寮で過ごしていた。

 山坂というのは母方の姓で、その頃からこの名字で慣れ親しんだ。なぜかというと、父親が赤木姓を名乗らせなかったからだ。

 彼が生まれたものの両親は仲が悪く、初等部へ進む頃には離婚調停が進んでいた。吉之助が中等部へ進む直前に離婚は成立し、彼は母親と共に外国へ住むことになった。


 しかし元々家庭的ではない母親と共に暮らすことはなく、吉之助はホームステイを繰り返しながらハイスクールまで進み、大学へ入る頃には知人の家に転がり込むようにしてシェアハウスを繰り返していた。


「私はその頃、山坂と出会いました」


 秘書の田上は留学生として行った大学で吉之助と出会い、意気投合した彼らは二人で起業することになった。 

 

「事業自体は順調でした」


 次第に仲間も増え、会社としてオフィスの一つも構えようかという矢先、吉之助は突然、赤城の家に日本へと連れ戻されることになった。

 吉之助の経営能力に目をつけた父親はほとんど違法ともいえる方法で、ようやく出来た小さな会社を再起不能にまで追い込んだのだ。それまで資金を融通してくれていた銀行も、親しくしていた取引先さえも赤城の力の前に一様に口を噤み、数人にまで減った仲間と会社を守る引き換えに吉之助は日本の赤城グループの支社に入社することになった。


「……体のいい人身御供でしたよ」


 田上は吉之助と日本へ戻ることを決めた。


「どんなに繕っても、共同経営者だったというのに山坂一人に責任を負わせたことには変わりありませんからね。――たとえ憎まれていても一人で日本へ返すような真似はできませんでした」 

  

 深い悔恨を込めた瞳を眇める田上はまるで私に懺悔するようだ。けれど、私にはコーヒーよりも苦い後悔を知らない小娘だ。

 それでも、


「……田上さんが思うほど、吉之助があなたを嫌っているとは思えないわ」


 今まで吉之助を怒らせたことはなかったが、今なら分かる。

 彼は嫌いな人間は徹底的に遠ざけるはずだ。


――今の私のように。


「……山坂が、麗子お嬢様を嫌えるはずがありませんがね」


 田上と入れ替わるように表情の沈んだ私に彼は苦笑して、


「日本へ帰って仕事を始めてから、山坂は人が変わったようでしたよ」


 元来穏やかな性格の吉之助が、日本の支社で働き始めると彼の生活はどんどん荒んでいった。どんな勧められても口にしなかった酒を飲み、仕事の合間には煙草を手放さなくなった。

 家になど帰らないからと用意された家はすぐに解約してしまった。


「一時は住所を会社の社屋にしていたほどですよ」


「……呆れた」


 あまりにも酷い生活に憂鬱も忘れて唖然となった私を田上は穏やかに見つめた。


「でも、山坂はあなたと出会って変わった」


 吉之助が荒れていた理由はその仕事の内容にある。

 彼が担当していたのは資金調達と投資。主に会社の買収などを手掛けていた。

 吉之助の能力として彼の父親が最も注目したのは、その交渉能力だ。会社の買収には様々な厄介事が付き物で、それを最終的に解消するのは資金力ではなく交渉、つまり話し合いが必要となる。

 生まれた時から家族ではない、親しい他人の中で育った吉之助にとって、物事を話し合いで解決して折り合いをつけていくことは処世術の一環で、人間関係をより上手く解決していく手段は生きていく上で必須だった。

 しかし、買収は起業とは違う。

 時に赤城グループの利権を保つために非情なこともする。

 家族の中で生きたことのない吉之助は、逆にいえば親族などといった濃い人間関係には慣れていない。他人の執拗な怨嗟やしがらみは今まで受けてこなかったものだ。

 赤城への怨嗟はそのまま吉之助にも降ってくる。

 それは容赦なく彼を苛んだ。




「――そんなとき、高円寺家の……あなたの家の債権処理の仕事が舞い込んだ」


 赤城グループとの共同出資に失敗した高円寺家の不良債権の処理に駆り出されたのだ。元々、この出資は仕組まれたもので、高円寺家が辛うじて所有していた土地や株を狙ってのことだった。


「最終的な事務手続きを行いに高円寺家へ行ったとき、あなたの話を聞いたそうです」


 詳しいことは田上も知らない。

 ただ、高円寺家から帰ってきた吉之助にすぐに新しい家を用意してくれと言われて田上は驚いた。


「キッチンも家具も何もかも新しかったでしょう? 全て、あなたのために山坂が揃えたものですよ」


 生まれてからずっと、必要がなければ家さえいらないと言った彼がたった一人の娘のために家を用意したいという。

 家族でもない、恋人でもない、赤の他人の若い娘のために。


「――あなたと暮らし始めて、緊張の連続だったのでしょうね。決まった時間に食卓について、共に食事をとることがこんなにも大変だと思わなかったと笑っていました」


 麗子お嬢様、と田上は口にして、普段の冷静な彼からは想像できないほど柔らかな笑みを浮かべた。


「山坂がひどい生活をしていたのはあなたの方がご存じでしょう。でも、あれほど穏やかに過ごしていた彼を見るのは、私も初めてでした」


 吉之助は朝が本当に弱くて、暮らし始めた頃は朝食をまともにとれる日の方が少なかった。根気良く起こしては食べさせ、彼の時間があるときには夕食を一緒に食べた。


 そうしていなければ、私の方がどうにかなりそうだったからだ。

 

 朝起きて、三食を作り、掃除や洗濯をする。その当たり前のことをしていなければ、私は自分に降りかかってきた何もかもに押しつぶされそうだった。

 父親の借金に始まり、話は流れたものの突然決まった結婚、それから債権者である知らない若い男との二人暮らし。怒濤のように押し寄せた出来事に私は疲れていた。


 だから、無理矢理にでも普段通りの生活をしようと思ったのだ。

 泣いてばかりでは食事はできないし、洗濯された綺麗な服も着られない。埃だらけの部屋では良い案も浮かばない。

 

 そうやって暮らそうと思えたのは、


「……私も、吉之助に助けられたの」


 吉之助が私を守ってくれたからだ。

 望まぬ結婚を押しのけてあの家から私を連れ出して、隠れ家のようなこの家に住まわせてくれた。


――美味しいよ、麗子さん。


 私の作った料理を美味しいと食べてくれた。


 それだけで、私は救われていたのに。


「田上さん」


 静かな声に田上は私を見つめ返す。


「私を、吉之助に会わせて」



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