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8.クリムゾン・アヤワスカ

 村を出て三時間ほど森の中を歩いていくと、肌に感じる空気に違和感が生じ出す。

 気温が急に下がったように冷たくなる。それでいて全身がピリピリと刺すような感触に襲われた。


「どうやら魔窟に入ったようだな」


「え? どうしてわかるんですか?」


「空気が変わったからな。魔窟は魔力の濃さが違うから、気温や匂いなどの環境に変化が生じるんだ」


 魔力は動植物に様々な影響を及ぼすのだ。

 源泉である魔窟では本来の物理法則からではありえない現象が生じる。

 気温が暑くなったり寒くなったり、異臭が生じたり……魔窟の中だけ天気が変わることすらも起こりうる。


「この魔窟はそこまで魔力濃度が高くないから、生死にかかわるような環境の変化は起こってない。酷い場所だと毒ガスが発生していたり、足を踏み入れた途端に重力で潰されたりもするんだけど……とはいえ、魔物は外より多いだろうから注意するように」


「……はい」


「……うん」


 メイナとアルティが緊張した面持ちになっている。

 今さらながら、自分達がとんでもない場所にやってきてしまったのだと気がついたようだ。


「さて……薬の材料である紅蓮草だけど、この辺りには見当たらないようだ。見れば一目でわかるような目立つ植物なんだけど……」


「そういえば、紅蓮草ってどんな植物なのかな? 薬師のお爺ちゃんも教えてくれなかったんだけど……」


「それは……」


 アルティの問いに答えようとするリオンであったが、すぐに言葉を止める。森の奥からただならぬ気配を感じたからだ。


「……二人とも、下がるんだ」


「え……?」


「どうかしたのかな?」


「うん、どうやら魔物が現れたようだ」


 リオンが言うと同時に森の奥から『グオオオオオオオオオオオッ!』と野太い方向が聞こえてきた。

 ドンドンと無数の足音が聞こえてくる。地面が鳴動して、何かがこちらに迫ってこようとしていた。


「キャッ……ア、アルティ、こっちに来なさい!」


「メイナお姉ちゃん……!」


 姉妹が抱き合い、恐怖のあまり地面に座り込んだ。

 数秒後。森の木々を薙ぎ倒して、十数匹のオークがリオン達に向けて走ってきた。

 二メートル近い巨体を揺らして迫ってくる人型の猪は棍棒などの武器を手にしており、目を血走らせて突進してくる。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」


 姉妹が抱き合って悲鳴を上げる中、リオンが小さく溜息をついた。


「まさしく猪突猛進だな……何をそんなに興奮しているんだか」


 リオンは武器を持たず丸腰であったが、特に気負うことなく前に出る。

 右手に魔力を集中させると、そこから一メートルほどの長さの凍てつく氷の剣が出現した。


「『凍えよ剣(グラセ・エペ)』」


 迫りくるオークは十体以上。

 その巨体、数の前ではリオンが掲げた氷剣は蟷螂の斧のように頼りないものである。

 しかし……リオンは迷うことなく地面を蹴り、地を滑るようにして先頭を走っていたオークに接近する。


「フッ!」


『グガアッ!?』


 リオンが氷剣を一閃させると、オークの太い胴体が一刀両断に斬り裂かれた。

 傷口が凍りついたことで血を噴き出すことなく、オークが絶命する。


『グオオオオオオオオオオオッ!』


 仲間が殺されたのを見て、他のオークがリオンのことを敵として認識した。

 棍棒や石斧などの原始的な武器を振り回し、リオンのことを押し潰そうと迫ってくる。


「遅いなあ………………俺が」


 言いながら、リオンは踊るようなステップで攻撃を回避する。

 振り下ろされた棍棒を避けると同時にオークの腕を、脚を、胴体を、首を斬りつけ、次々と巨体を地面に沈めていった。


「すごい……」


「お兄さん、あんなに強かったんだ……」


 戦っているリオンを後ろから見つめて、メイナとアルティが呆然としてつぶやく。

 リオンが剣を振るたびにオークが倒れていく。ただ倒すだけではなく、姉妹が震えて座り込んでいる場所に近づけることもしない。

 リオンが強いということは昨日のことでわかっていたが……これほどまでとは思わなかった。

 彼らは改めて、リオンが自分達の常識の外にいる人間であることを思い知る。


「いやいや……全然、ダメだろう。俺はこんなに(のろ)くなかったはずなんだけどな」


 一方で、リオンは自分の不甲斐なさに心の底から気落ちしていた。

 本来の自分はこんなに遅くない。鈍くない。

 もっと素早く動くことができるはずだし、もっと鋭く剣を振ることができるはずだった。


(百年ぶりに復活したせいなのかな……こんなに身体が(なま)っているとは思わなかった)


 姉妹の目にはとんでもない強さに見えるリオンであったが、魔王を討伐した全盛期に比べるとあまりにも動きが拙かった。

 女神に仮初の命を与えられて生き返らせられたものの、どうやら完全ではないようだ。身体に後遺症のようなものが残っているのかもしれない。


「さて、残りは一匹だが……」


『グ……グウウウウッ……』


 最後の一匹となったオークは仲間がことごとくやられたことで怯えており、ジリジリと後ずさりしている。

 そのくせ、背後もチラチラと気にしているような素振りを見せていた。


「もしかして、後ろに何かいるのか? 急いでいたようだし、天敵に襲われて逃げていたとか……」


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「あ……」


 リオンが言葉を終えるより先に地面から何かが飛び出してきた。

 長くうねった巨体をのたうたせ、大蛇のような怪物が生き残りのオークに喰らいつく。

 オークはバタバタと脚を動かして抵抗していたが、すぐに丸呑みされて怪物の口の中に消えていった。


「なるほど……これに襲われて逃げていたのか。悪いことをしてしまったな」


 目の前の巨大な怪物を見上げて、リオンは申し訳なさそうに表情を曇らせた。

 どうやら、オークはリオン達を襲おうとしたわけではなく、捕食者に襲われて逃げようとしていただけのようだ。

 仕方がないこととはいえ、命を奪ってしまったことを申し訳なく感じる。

 もしかすると、昨日、姉妹を襲っていたオークも『コレ』によって魔窟の外に追いやられてしまったのかもしれない。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 リオンの視線の先にいるのは、緑色の胴体を蛇のようにのたうたせた植物の魔物だった。

 長い胴体には竜の鱗のように葉っぱが貼り付いており、先端部分には血のように赤い頭部が鎌首をもたげている。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「食人植物『クリムゾン・アヤワスカ』。よくぞここまで育ったものだな」


 巨大な植物の魔物を見上げて、リオンは呆れた様子で肩を落とした。


 長くのたうつ身体は大蛇か龍のようにも見えるが、緑の体色の触手を振り回すそれはまぎれもない植物だった。

 食人植物――クリムゾン・アヤワスカ。

 高濃度の魔力によって突然変異をした、魔窟の怪物である。


「り、リオンさん! 逃げましょう!」


 常識を超えた怪物を目の当たりにして、後ろからメイナが叫んでくる。


「こんな化物に勝てるわけがありません! 殺されてしまいます……早く逃げましょう!」


「そうだよ、お兄さん! 食べられちゃうよっ!」


 アルティも一緒になって、逃げるようにと訴えてきた。

 リオンは「何を今さら……」と苦笑しながら、魔法で生み出した氷剣の切っ先を怪物に向ける。


「心配しなくてもいい。すぐに片付けるから、そのまま待っていてくれ」


「あっ!」


 怪物に飛びかかっていくリオンの姿に、姉妹が絶望の声を漏らす。

 自分の恩人が……自分達のために薬草を採りに付き合ってくれた男性が、怪物の餌食なろうとしている。

 激しい無力感を感じながらも、姉妹は抱き合って震えることしかできなかった。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 怪物が赤い頭部をもたげて、リオンめがけて喰らいついてくる。

 リオンが巨大な口による噛みつき攻撃を避けて、頭部を斬りつけた。


「うん、やはり効果は弱いか」


 裂けた傷口が凍りついてダメージを与えるが、すぐに内側から傷がふさがってしまう。驚くほどの治癒力である。


「一番の有効打は炎なんだけど……燃やしてしまうわけにもいかないよな」


 リオンが使用できる魔法は『氷』だけではない。『炎』の魔法も使うことができた。

 植物系の魔物にはそちらの方が有効なのだが……とある事情により、目の前の怪物――クリムゾン・アヤワスカを燃やしてしまうわけにはいかない。


「ム……」


『ジャッ! ジャッ! ジャッ! ジャッ! ジャアッ!』


 怪物が無数の触手を伸ばしてきて、リオンのことを捕まえようとする。

 リオンは氷剣で触手を切り裂き、攻撃を捌いていく。


『ブシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


「これは……!」


 触手を切り裂いて身を守っているリオンであったが、怪物が触手の先端から黄土色の煙のようなものを吐きつけてきた。

 毒の霧である。少しでも体内に入れてしまえば、身体が痺れて動けなくなってしまうだろう。


「これは不味いか……!」


「「キャッ!?」」


 リオンは氷剣を捨てて後方に走り、アイルとメルティの身体を抱きかかえる。

 二人の身体を肩に担いで、空気中に拡散していく毒の霧から逃げていく。


「り、リオンさん!?」


「おにいさっ……!」


「しゃべるな! 舌を噛むぞ!」


 二人を抱えたまま追いかけてくる毒霧から逃げる。

 恐るべきスピードで周囲の景色が後方に流れていく。まるで自分達が風になってしまったようだった。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 怪物が毒を吐きつけながら、リオン達を追いかけてくる。

 蔦の身体を激しくのたうたせて、大蛇が獲物に飛びかかるようにして迫ってきた。


「先に謝っておくよ。二人とも……ごめんな」


「「ッ……!?」」


「飛ぶぞ」


 リオンが地面を蹴って跳躍した。

 後方から噛みついてきた怪物の(あぎと)を躱して、前方に立っていた木の幹を踏みつける。

 勢い良く蹴りつけられた幹が衝撃によって軋み、今にも折れてしまいそうだ。


「ハアッ!」


 そして、三点跳びの要領で上空に高々と跳躍した。

 怪物の巨体を悠々と見下ろせる高さまで跳び上がり、リオンは抱えていた二人の身体を宙に放り投げる。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」


 空中に投げ出された二人が悲鳴を上げる。

 お互いの身体を抱きしめ合って、スカートをブワリと広げて絶叫する。


風よ吹け(ラファル・エペ)


 二人を手放して両手を開けたリオンは魔法を発動させた。

 リオンの両手に嵐を凝縮したような風の刃が出現して、淡い(みどり)の輝きを放出する。


『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 下から怪物が喰らいついてくる。

 リオンは両手の風剣を構え、怪物の口の中へと突っ込んだ。

 怪物がガブリとリオンの身体を飲み込むが……戦いはまだ終わってはいなかった。


「吹き荒れろ……嵐刃(ストームジャベリン)!」


 リオンは高速で身体を回転させながら、両手に握りしめた風の刃を振り回す。

 放たれた無数の斬撃が内側から怪物を斬り裂き、巨大な植物の肉体が解体されていく。


『ギジャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』


 怪物が絶叫を上げて、触手で地面を激しく殴打する。

 しかし……もはや勝敗は決まったも同じ。無駄な抵抗だった。

 嵐のような斬撃。再生能力を超える速さで千々に斬り裂かれ、怪物は紫色の体液を地面にぶちまけながら絶命する。


「よっと……」


 バラバラになった怪物の残骸の上に着地して、リオンが両手の風剣を消す。

 それなりに強い敵だったが……終わってみれば圧勝である。リオンはかすり傷一つ負うことなく勝利することができた。

 メイナとアルティという足枷をこの場に連れてこなければ、もっと早く決着がついたことだろう。


「「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」


 一方で、その足手纏いの二人が落ちてきた。

 宙に投げ出された二人は悲鳴を上げ、涙を流しながら地表に向かって落下してくる。

 リオンは風の魔法を発動させて落ちてきた二人の勢いを弱め、そのまま両手で受け止めた。


「初めての魔窟体験だったけど……どうだったかな? まだ、冒険者としてやっていくつもりはあるかい?」


「「…………」」


 リオンの腕の中にすっぽりと収まった二人の美少女であったが……どちらも目を回して放心した様子。


「あ……」


 おまけに……彼女達の下半身から、アンモニアの匂いがうっすらと匂ってくる。


「あー、やり過ぎたかな……薬が効きすぎたみたいだな」


 リオンが二人を魔窟に連れてきたのは、こうして怖い思いをさせることが目的である。

 後先を考えない行動の結果、どのような危険を招くのか……それを肌で体験させることにより、昨日のような無謀な行動をとらないように抑止しようとしたのだ。

 ちょっと怖がらせるだけのつもりだったのだが……予想以上の衝撃を心に与えてしまったらしい。


「ともあれ……これで薬の材料が手に入ったな。目的達成だ」


 リオンは落ちていた怪物の残骸……赤い頭部の破片を拾って肩をすくめる。

 食獣植物『クリムゾン・アヤワスカ』……その真っ赤な花肉こそが、薬を生み出すために必要な材料『紅蓮草』の正体だった。


「思っていた以上に育った個体が出てきたのには少しだけ焦ったけど……あっちから出てきてくれたおかげで、探す手間が省けたな」


 こういうことを『結果オーライ』というのだろう。

 リオンは冒険の成果を手にして、満足そうに笑うのであった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

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