7.魔窟へ
「それじゃあ、俺は薬草の採取に行ってくるよ。夜までには戻るから待っていてくれ」
リオンはそう言って、村から出て森に向かおうとした。
紅蓮草を入手するためには『魔窟』と呼ばれる場所に入らなければいけない。
魔窟は魔力が噴き出すポイントであり、その形は様々である。
森や湖、砂漠、荒野、海……強力な魔窟の中には、地形を作りかえて『ダンジョン』と呼ばれる亜空間を生み出している場合もあった。
リオンが向かおうとしているのは森の奥深くにある魔窟であり、ダンジョン化まではしていない。歩いて半日ほどの距離にある場所だった。
(子供の頃、面白半分で遊びに行って死にかけたよな……)
大人には絶対に近づくなと言われていたのに、リオンは好奇心から魔窟に探検に向かったことがあった。
リオンの後を二人の幼馴染がつけてきたせいで彼女達まで危険にさらしてしまい、後から両親に死ぬほど叱られたものである。
(……思えば、あれが俺の勇者としての始まりだった)
幼馴染を守るために魔窟に棲みついた魔物に立ち向かい、そこでリオンは初めて勇者としての力を解放することになった。
リオンにとっては最初の冒険。神殿に勇者としての素質を見出され、村を出るきっかけにもなった事件である。
(あの時、無謀な冒険をしなければこの村で一生を終えていただろうか? それとも、邪神の侵略で国ごと消されていたのかな?)
「待ってください、リオンさん!」
「ん? どうかしたのかい?」
物思いにふけりながら村を出ようとするリオンを、慌てた様子でメイナとアルティが追いかけてきた。
「私達もお供させてください! 微力ですけど、お手伝いをします!」
「そうだよ! リオンさんだけを危険な場所には行かせられないもん! 私も手伝う!」
「おいおい……冗談だろう? どこに行くのか説明したじゃないか」
呆れた様子でリオンは溜息をついた。
二人は冒険者の真似事をしているようだったが、ハッキリ言って、素人に毛が生えた程度の実力しかない。
才能がないとは言わないが……少なくとも、現時点で彼女達にできることはないだろう。
「俺一人で十分だよ。村で吉報を待っていてくれ」
「そんなことできません! 恩人を一人で危険な場所に向かわせるだなんて……!」
「お姉ちゃんの言うとおりだよ! 私達にだって盾になるくらいはできるから、連れていってよ!」
「うーん……弱ったな」
二人を連れていけば、もしかすると危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
もちろん、全力で守るつもりだ。今のリオンであれば傷一つ付けることなく村に帰す自信はあるが……驕りや油断は禁物である。
そもそも、彼女達を連れていくメリットがないのだ。
薬草を採ってくるくらいならばリオン一人で十分だし、荷物持ちや手伝いは必要ない。
移動速度も遅くなってしまう。孤児院の院長先生はすぐにどうなるという状態ではなさそうだったが、それでも早く行くに越したことはないだろう。
「リオンさん、これは私達自身のために言っていることなんです」
「ん? どういうことかな?」
メイナが落ち着いた口調で訴える。
「この村は小さな村です。冒険者ギルドの支部もありません。町のギルドに依頼を出すことはできますけど、酷いときには依頼してから冒険者がやってくるまで半年以上も待たされることがあります。いざということになれば、自分達でどうにかしなくてはいけないのです」
「…………」
「今回はリオンさんの助けを得ることができましたが、次があるという保証はありません。院長先生が、孤児院の子供達が、私達が病気になって薬草が必要になった時……自分達でどうにかしなくてはいけない場面はこれからも起こるでしょう」
「だから……その時のために経験を積ませてくれ、そう言いたいわけか。理屈はわからないでもないけどね……」
メイナの言わんとしていることを察して、リオンは腕を組んで考え込む。
彼女達の言い分はある意味では正しい。
かつてこの村に暮らしていたリオンだからこそ、わかる。
いざという時に誰かが助けてくれる保証なんてない。狼や魔物が村を襲ってきたとき、流行り病が蔓延したとき、飢饉で食料が足りなくなったとき……村人は自分達の力でそれを乗り越えなくてはいけない。
そのために強くなりたい、リオンと一緒に危険な場所に行って経験を積みたい……その考えには共感できるものがある。
(仮に僕が村人だった頃、同じような場面に出くわしたとしても、同じような選択をしていただろうね……)
「……わかったよ。君達を連れていく。付いてくると良い」
「やった!」
「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」
アルティがバンザイをして喜び、メイナが申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
この二人はすでに薬草のために森の奥に入り、オークに襲われてしまっている。元から無謀な性格なのだ。
(どっちにしても危険に飛び込んでしまうのならば、せめて生き残る術を教えてあげよう。メープルとアリアへの手向けとしてね)
二人とよく似た幼馴染の顔を思い浮かべて、リオンは苦々しく笑った。
決断したら、すぐに村から出発した。
彼女達の脚に合わせていたら、移動速度も遅くなってしまう。急いで出発するに越したことはない。
(それに……自分の意思で決めたからには迷うな。すぐに動け。みんなからそんなふうに教わったからね)
勇者として教え込まれた教育の一部を思い出し、リオンは二人を連れて森を歩いていく。
「さて……これから魔窟に入るわけだけど、魔物の巣窟に近づくうえで気を付けなければいけないことがわかるかな?」
「えっと……魔物に出会わないようにする、でしょうか?」
「その通りだ」
メイナの返答に、リオンは振り返ることなく頷いた。
「森は魔物の巣窟だ。弱いもの、強いもの、肉食のもの、草食のもの……あらゆる魔物が棲んでいる。彼らと可能な限り出くわさないように進むことが重要だ」
「えっと……弱い魔物だったら、別に会っても良いんじゃないのかな? 倒しちゃえば済むことだし……」
アルティが挙手をしてそんなことを言う。
アルティとメイナは森の奥に入ったことはほとんどないが、村のそばで弱い魔物を倒したことはあった。
『ビッグラット』という巨大なネズミ、『ホーンラビット』という角の生えたウサギ、それに『スライム』などは子供でも倒せる程度の力しかなく、危険はほとんどなかった。
「弱い魔物でも、倒してしまえば服や身体に血がついてしまう。魔物……特に魔窟に生息している奴らは血の匂いに敏感だ。血液が付着した状態で魔窟に入れば、すぐに獰猛な魔物に囲まれてしまうよ」
「ほあー、そうなんですか」
アルティが感心したように言う。
これは冒険者としては当たり前の知識だったのだが、やはり冒険者見習いの少女は知らなかったようである。
そんな説明を聞いて、「そういえば……」とメイナが口を開く。
「昨日、オークに襲われたのもそれが原因かもしれませんね……アルティ、ホーンラビットを狩ったばかりでしょう」
「あうー、やっぱりそうなのかなあ……やっちゃったよお……」
アルティが肩を落として消沈する。
自分の迂闊な行動のせいで自分を、そして姉を危険にさらしてしまったことを反省しているようである。
落ち込んだ様子のアルティはまるで尻尾が垂れ下がった子犬のようで、不思議と庇護欲が誘われてしまう。
「知らなかったことは仕方がないさ。これから、学んでいけばいい」
「ふあ」
ポンポンと頭を撫でてやると、アルティがビクリと肩を跳ねさせた。
驚いてこちらを見上げてくるアルティに、リオンは優しい口調で言葉を続ける。
「どんなに優秀な人間だって失敗する。それは仕方がないこと。別に悪いことなんかじゃない。ただし……同じ失敗を繰り返す人間は学習していないだけだから気をつけろよ。大切なのは、失敗から何を学んで、それからの人生にどんなふうに生かしていくかだ」
「わ、わかった。わかりまひた……」
優しく微笑みかけながら説いていくと、何故かアルティの瞳が潤んでいく。頬も真っ赤に紅潮しており、まるで熟れたリンゴのようだ。
アルティは潤んだ瞳を心地良さそうに細めて、「はふ~」と気が抜けるような声を喉から漏らした。
「な、なんかこれ、すごい気持ち良いかも……お兄ちゃんができたみたいで、とっても安心する……」
出会ってからずっと子供じみた言動が目立つアルティであったが、その顔は酷く蕩けきっている。
まるで男の愛撫に酔いしれているような艶やかな表情を向けられて、リオンは慌てて頭を撫でていた手を引っ込めた。
「あ、悪い。ちょっと慣れ慣れしかったな」
ついつい、自分の幼馴染にやるようなことをしてしまった。
アリアも甘えん坊でよく頭を撫でていたのだが、その癖が出てしまったようである。
手をどけてからもアルティは熱っぽい顔をしており、リオンの右手を残念そうに見つめていた。
「あうう……もっと撫でてほしかったかも……」
「むう……ズルいですね。アルティばかり」
そんなアルティの反応に、メイナまでもが唇を尖らせて羨ましそうな顔をしてくる。
どうしてこんなリアクションをされるのかまるで理解できず、リオンは顔を引きつらせて頬を掻いた。
「あー……先を急ごうか。こんなところで立ち止まっていたら日暮れまでに帰れなくなる」
誤魔化すように言いながら、リオンは脚を前に進ませた。
幼馴染といい、目の前の二人といい……若い女性の考えていることがわからないのは百年前と変わらない。
リオンは道に生えている薬草や、魔物が苦手としている木の樹液などについて二人にレクチャーしながら、森の奥へ奥へと進んでいくのであった。
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