5.孤児院と戦う理由
「あ、リオンさん!」
「君は……アルティだったな」
墓地から出てきたところで、昨日、助けた女性の一人に出くわした。
リオンの幼馴染であるアリアの子孫……と思われる少女、アルティである。
「あそこの宿屋、朝食は出ないでしょう? ウチで一緒にどうかなって思って誘いにきたの」
「そっか……それじゃあ、御馳走になろうかな」
両親の墓参りをしたせいだろうか。子供の頃、よくアリアとメープルと一緒に食事を摂ったことを思い出してしまった。
リオンはどうにか動揺が表に出ないように抑え、平然を装って答える。
「ちょうど腹が減っていたんだ。助かるよ」
「本当!? 良かった、それじゃあウチまで案内するね!?」
アルティは嬉しそうに笑って、リオンの手を引いて村の中を歩いていく。
「おや、アルティちゃん。そちらの若旦那はどなただい?」
「男と手をつないで歩いたりして、アンタも隅におけないねえ」
村の老人達がアルティのことを揶揄ってきた。
娯楽の少ない寒村にとって、若者の恋愛事情は立派なエンターテイメントなのだろう。
「もうっ! そんなんじゃないって! こっちの人は私を助けてくれた旅人さん。失礼なことを言わないでよねっ!」
「おお、おお。そうかいそうかい。パンを焼いたから持っておいき」
「わっ! ありがとう!」
アルティがホクホク顔で布に包まれたパンを受けとる。
「おお、アルティ。魚たくさん釣れたから一匹やるよ」
「アルティちゃん、こっちの野菜を持っておいき」
「お、アルティじゃねえか。葡萄酒ができたから、持ってきなよ!」
「みんな、ありがとう! すっごく助かる!」
村ですれ違う人々がアルティに次々と食べ物を渡してくる。
アルティは人懐っこい笑顔で応じて、渡された食べ物を快くもらっていく。
「君は人気者なんだね。みんなが君に食べ物を渡してくる」
「えへへへ、別に私がすごいわけじゃないよ。人気者なのは私のお婆様だよ」
「へえ、どんな人なんだい?」
「お婆様はね、元々、王都で冒険者をしていたの。引退して戻ってきたんだけど……村の周りに出た魔物を狩ったりして、みんなから尊敬されてるんだ」
アルティがニコニコと満面の笑みで言う。
その顔を見るだけで、アルティがどれだけ祖母のことを愛しているのか伝わってくるようだ。
「着いたよ、ここが私達の家!」
「ここって……」
リオンは目を瞬かせた。
そこはリオンも良く知っている場所である。リオンが住んでいた頃から建物が立て直されているが、まぎれもない教会だった。
「そう、私とメイナお姉ちゃんは子供の頃に親を亡くして、シスターであるお婆様に育てられたんだ」
「…………」
孤児だったようである。
明るく活発な性格から、てっきり幸せな家庭に育ったものだとばかり思っていたのだが。
「……大変だったんだな。辛かったろう?」
「でも、別に寂しくなんてないよ。私にはメイナお姉ちゃんもお婆様もいるし、弟妹だっているから」
「そうか、だったら同情するのも烏滸がましいね。さっきの言葉は忘れてくれ」
「うん、いいよ! それじゃあ、中に来てくれるかな? お姉ちゃんが料理を作って待ってるから!」
リオンはアルティに腕を引かれ、教会の中に連れていかれた。
教会には神に祈りを捧げる礼拝堂の裏に、聖職者が寝泊まりするためのスペースがある。
食堂らしき部屋に入ると、大きめのテーブルに数人の子供が座っていた。
「あ、アルティ姉ちゃんが帰ってきたよ」
「お姉ちゃんが男を連れてる! 彼氏さんだ!」
「もう! だから違うってば!」
子供達の声にアルティがプリプリと言い返す。
ここにいる子供達も孤児だろうか。いずれも十歳前後の年齢に見える。
(この村にこんなに孤児が……?)
リオンは怪訝に眉根を寄せる。
疫病や飢饉、魔物の襲撃など辺境の寒村にも人が死ぬ理由はいくつもある。
どんな村にも親のいない子供はいるものだが……それでも、さほど人口が多くもないであろう村にこんなに孤児がいるのはおかしくないだろうか?
(それも同年代の子供ばかり。ひょっとして、村の大人が大勢いなくなるような事態が起こったのか?)
「何年か前に戦争があってね。村の大人がたくさん死んじゃったんだ」
リオンの疑問に、アルティが答える。
「隣の国との戦争でね。もう和睦しているみたいなんだけど……仲直りをするなら、どうして最初から戦争なんてしたのかな?」
「戦争……この時代では、人間同士が戦っているのか……」
リオンが勇者として生きていた時代には、人間同士の戦争はほとんどなかった。
邪神という人類共通の敵がいたことにより、人と人とが争うような余裕がなかったのである。
(邪神を倒せば世界が平和になると思っていたけど……そうでもなかったみたいだね)
どうして、人間同士で争うというのだろう。
どうして、平和な世界にあえて戦火を振りまくことができるのだろう。
ただ平和を築くために戦い続けてきたリオンには、とても理解しがたいものである。
「あ、リオン様。いらしてくださったんですね」
考え込んでいると、キッチンからメイナが現れた。
修道服の上にエプロンを身につけたメイナは両手で鍋を持っており、食欲を誘う香りが漂ってくる。
「ちょうどスープができたところです。一緒に食事にしましょう」
「ああ、いただくよ。ありがとう」
リオンは空いている椅子をすすめられて座った。
メイナがスープを皿に注いでリオンの前においてくれる。さらに籠に入ったパンを差し出された。
「どうぞ、お召し上がりになってください」
「ああ……いただきます」
リオンは両手を合わせて感謝の祈りを捧げる。
食事の前に世界の創造主である女神、糧となってくれた命に感謝の祈りを捧げるのは、この世界では一般的な習慣だった。
メイナとアルティ、子供達も同じように祈りを捧げてから料理に手を付ける。
「わあ! このパン、美味しい!」
「焼きたてだからね。道具屋のお婆さんにもらったんだ」
「あぐあぐっ、むしゃむしゃっ」
「ほらほら、こぼれてますよ。慌てず良く噛んで食べなさい」
騒々しくも温かみのある食事は一時間ほど続いた。
正直、パンとスープだけの食事は豪勢とは言えない貧しいものである。
それでも、つい先日まで戦場にいたリオンにとって、温かい食事にありつけるだけでもありがたいことだった。
「美味いな……本当に」
リオンは何年かぶりに味わう家庭料理に舌鼓を打って、穏やかに相貌を緩ませた。
「フウ……ごちそうさまでした」
やがて和やかな食事の時間が終わった。
リオンは満足そうに息をついて、両手を合わせる。
「お口に合いましたか、リオン様?」
「……ああ、とても美味しかったよ」
メイナの問いにリオンは素直に答えた。
どことなく懐かしい味がするのは、幼馴染の面影を残した少女達と一緒に食卓を囲んでいるからだろうか。
「そういえば……君達にはお婆さんがいるんじゃなかったかな? 姿が見えないようだけど……」
「お婆様は臥せっており、部屋で休んでいます。これから食事を運ぶのですが……よろしければ、リオン様に紹介させていただけませんか?」
「ああ? そうだね、挨拶したいかな?」
メイナがお盆にスープとパンを載せて、ダイニングから出ていく。
ちょうどリオンも食事が終わったところなので、彼女の後ろをついて行くことにした。
階段を上り、教会の二階にある一室へとやってきた。メイナは腕を使って食事を載せた盆を器用に支えたまま、部屋の扉をノックする。
「お婆様、お食事をお持ちしました」
「……ああ、入っておくれ」
一拍の時間を置いて、部屋の中からしわがれた声が返ってくる。
メイナが扉を開いて部屋に入ると、奥にあるベッドに一人の老婆の姿があった。
「いつもすまないね……おや、そちらの方はどなたかな?」
「こちらは旅の方です。森で困っていたところを親切にしていただいたので、お礼に食事にお誘いしました」
「……リオンといいます。旅人です」
リオンは軽く頭を下げながら、ベッドの上で上半身を起こした老婆を観察する。
年齢はおそらく七十前後だろう。平均寿命が五十年ほどのこの世界においては、かなり長生きしていそうである。
顔には深いシワが刻まれており、身体つきはかなり痩せていた。
それに……何よりも気になるのは顔色の悪さだ。血の気が消えており、蒼白を通り越して土気色になっている。
一目でその老婆が病人であることがわかってしまい、リオンはわずかに表情を強張らせた。
「ああ……話は聞いているよ。娘達が世話になったようでありがとうねえ。私はここの院長をしているリーベルという者さ」
「いえ……こちらこそ、道に迷っていたところだったので助かりました」
「そうかい? そう言ってくれると有り難いけど……ところで、娘達と会ったのは森の奥じゃないだろうね?」
「え……?」
老婆が探るような視線を向けてくる。
「この娘達は冒険者の真似事をしているらしくて、薬草や魔物の素材を採りに森の奥に入ろうとしたことがあるんだよ。絶対にやめるように叱っておいたんだけど……」
「ああ……なるほど」
リオンは苦笑した。
メイナとアルティは自分達が『見習い冒険者』だと名乗っていたが、考えても見ればこんな辺境の村に『冒険者ギルド』の支部があるわけがない。
どうやら、二人がしていたのは冒険者の真似事だったようである。
「お婆様、大事なお客様に詮索なんてしないでちょうだい。心配しなくても、村のすぐそばで山菜や野鳥を採っていただけよ?」
メイナが困ったように説明するが、それが偽りであることをリオンは知っている。
二人は森のかなり奥まで入り込んでいたし、危険な魔物に襲われていた。
見事に老婆の言いつけを守っていたのだが……メイナがリオンを横目に見て、ウィンクをして合図を送ってくる。
「……ええ、村のすぐそばにいましたよ。山菜を採りすぎて持ち切れなくなっていたようなので、手伝いをさせてもらいました」
リオンは苦笑したいのを堪えながら、メイナの嘘に乗っかった。
美味しい朝食を振る舞ってくれたことだし、これくらいの嘘には付き合ってあげようと思ったのだ。
「そう、それなら良かったんだけどね。ここは田舎で何もない村だけど、どうかゆっくりしていって……ゴホッ、ゴホゴホッ!」
「お婆様!?」
老婆が急に咳き込んだ。メイナが慌てて傍に寄り添い、背中をさする。
「……ああ、大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「…………!」
ベッドに赤い血痕がついていた。どうやら、老婆が血痰を吐いてしまったようだ。
「……旅人さん、みっともないところを見せてしまってすまないね。人に感染る病じゃないから、安心しておくれ」
「……ご病気なんですね。薬は飲んでいるんですか?」
「こんな辺境では薬草も出回らなくてね。それに私はもう十分生きたことだし、順番が回ってきただけさあ」
「お婆様……」
老婆が弱々しく笑い、メイナが泣きそうな顔になる。
老婆はメイナの手を握り、安心させるように何度も頷いた。
「若い子が病気になるんじゃ可哀そうだけど……私みたいな年寄りじゃあ、仕方がないね。だから、そんな顔しないでくだされ」
「…………」
リオンは沈痛な面持ちで黙り込んだ。
こういう時、どんな励ましの言葉をかけて良いかわからなかった。
(気の利いたセリフの一つも出てこないな。勇者だなんて持て囃されてきたけど、所詮は戦うことしか知らない粗忽者ってことか……情けないね)
「……どうぞ、お大事にしてください」
リオンは心の中で自嘲しながら、無難な言葉をつぶやいたのであった。
老婆への挨拶を終えたリオンは部屋から出て、悲しそうな表情をしているメイルに訊ねる。
「間違っているかもしれないけど……君達が森に入っていたのって、お婆さんに飲ませる薬草を探していたのかな?」
「…………はい、その通りです」
メイナが目を伏せて問いに答える。
「お婆様の身体を蝕んでいるのは酷い病なんですが、決して治らないわけではないんです。『紅蓮草』という名前の薬草があれば、薬を煎じることができるはずなんです」
「紅蓮草……」
聞いたことがある薬草である。
邪神討伐隊に参加していた仲間の錬金術師がそんな薬草を調合に使っていた。
「俺の記憶が確かなら、あの薬草は魔力濃度が濃い場所にしか生えなかったはずだけど……」
「よくご存じですね……その通りです」
魔力というのはこの世界に生きる人間や動物の身体に宿るものだったが、豊かな自然の中でもまれに噴き出すポイントがあった。
『魔窟』、『地脈炉』、『精霊の住処』など呼ばれ方は様々だったが、そういった場所には決まって強力な魔物が棲みつくものである。
「昨日のオークも、薬草を探していて遭遇してしまったのかな?」
「……はい。薬草を採取するため、森の奥に入ったところを襲われてしまいました。あの森の深部には『魔窟』があって、強い魔物が生まれやすいんです。お婆様には絶対に近づかないように言われていたんですけど……」
「……薬草欲しさにナワバリに入ってしまったわけか。冒険者としては失格だね」
リオンは溜息をつく。
メイナとアルティがやったのは非常に危険なことである。
自分達の身をさらしただけではない。二人の血肉を貪った魔物が人間の味を覚えて、この村を襲う可能性だってあったのだ。
冒険者というのは何よりもリスク管理を重んじなければいけない職業だ。
二人は見習いとしても、真似事としても、絶対に踏み越えてはいけないラインを越えてしまっている。
(とはいえ……責めることもできないか。家族が病気なんだもんな。なりふり構っていられないのも無理はない)
それだけ、あの老婆のことを愛してるのだろう。
二人が孤児であるというのならば、親代わりだったのかもしれない。
「仕方がないな……一飯の恩を返そう」
リオンは深々と溜息をついて、これからやるべきことを決めた。
女神からの使命は果たさねばいけないが……少しくらい、故郷に生きる人達のために力を尽くしたって許されるだろう。
「俺に任せなよ。薬草……取って来てあげるからさ」
「え……いいんですか? とっても危険なんですよ?」
メイナが驚きに目を見開いた。
当然だろう。昨日会ったばかりの見ず知らずの相手のため、危険地帯に足を踏み入れて薬草を採ってくると言っているのだから。
「別にいいさ……俺も懐かしいスープを飲ませてもらったからね」
リオンは先ほど飲んだスープの味を思い出しながら、そっと笑った。
メイナが作ってくれたスープはリオンの母親が作ったものと全く同じ味がした。似ているとかではなく、同じ味だった。
(そういえば……メープルがよく母さんから料理を習っていたな)
メイナがメープルの子孫であるとすれば、スープの味を受け継いでいてもおかしくはない。
もう二度と会うことのないと思っていた母の味に会わせてくれたのだ。薬草を採ってくるくらい、お安いものである。
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