3.童貞勇者とオークと少女
「思い出した……どうして、忘れることができたんだ?」
気がつけば、リオンは鬱蒼と木々が生い茂った森の中に横たわっていた。
何の前触れもなく現れたリオンに驚き、枝に止まって羽を休めていた野鳥が慌てて空に飛んでいく。
目覚めると同時に、邪神と戦ったときの記憶を思い出した。
大勢の仲間、友が地に倒れていくときの光景も鮮明に頭に残っている。
仲間達が犠牲になったおかげで、邪神を倒して世界を救うことができたのだ。
(……許せないな。絶対に)
もしも女神が話していたように邪神が復活しようとしているのなら、絶対に阻止しなくてはいけない。
仲間達の骸を礎にして築かれた平和を、砕かれるわけにはいかなかった。
(とはいえ……邪神を再び倒すために必要なのが、まさか子作りとは……女神があんな性格をしているとは思わなかった)
先ほど、拝謁した女神は働きを評価するようなことを言っていたものの、終始、リオンの言葉を聞くことなく一方的に話していた。
実際に上位者なのだから仕方がないのかもしれないが……「自分に従って当然」という態度は、人によっては酷く不快に感じることだろう。
(『女神は偉大にして崇高なる方である。されど、決して慈愛は持っていない』……どうやら、預言者エランタルの言葉は正しかったらしいな)
エランタルというのは、リオンがかつて勇者として活動していた時代にいた預言者である。
女神の言葉を聞くことができるという奇跡の異能の持ち主であり、彼の助言には何度となく助けられた。
リオンは一度だけ、エランタルに女神がどのような人物なのかを訊ねたことがある。
その時、エランタルは「創造主たる御方について語ることは憚られるが……」と前置いてから、その言葉を口にした。
『女神は偉大にして崇高なる方である。されど、決して慈愛は持っていない……残酷である、冷酷であるという話ではない。女神は人間をあくまでも【種】として見ており、【個】として認識することはないのだ』
女神に祈るのは良い。信仰するのは結構。
だが……見返りとして慈しみが返ってくるとは、期待してはいけないのだ。
実際に預言者エランタルからその話を聞いた時、リオンはいまひとつピンときていなかったのだが……実際に女神と顔を合わせて見ると納得することができた。
女神は必死に戦い、邪神を倒したリオンのことでさえ愛したりはしていない。
その働きぶりを評価していても、世界を守るための駒程度にしか考えていないのだろう。
「いや……それはもういい。そんなことよりも、これからどうするかな……」
森の中にポツンとたたずみながら、リオンはこれからどうするべきか思案した。
女神から与えられた使命は『百人以上の子供を作ること』。
いずれ復活するであろう邪神を最小限の被害で倒すため、勇者の血を引いた子孫を一人でも多く生み出すためである。
復活した邪神を倒すため……そう言われたら、リオンとしては首を振ることはできない。
邪神は憎むべき人類の仇だ。リオン自身、多くの仲間や友人を邪神のせいで失ってきた。
個人的な感情としても、勇者という立場からしても、邪神を再び倒すために使命を果たすことに異存はない。
(だけど……問題は使命の内容だな。子供を作るようにとか無茶苦茶だろ……)
女神は簡単に言っていたが、それはリオンにとってあまりにも荷が勝ち過ぎている。
リオンは物心ついてから、ずっと勇者として訓練を積んで戦い続けてきた。
恋愛も色欲も断ち、邪神討伐のことだけを考えて生きてきたのである。
女性経験は皆無。まぎれもなく童貞なのだ。
(女神は力ずくで襲えとも言っていたが……そんなことができるわけがない。女性を無理やり孕ませるなど、人の道に外れている)
リオンは倫理や正義感は人並みである。
いくら邪神討伐のためとはいえ、女性に非道なことなどできなかった。
それに……仮に女神が口にしていたように無理やりに女性に子供を孕ませたとして、愛情なく与えられた子供を産んでくれるだろうか。育ててくれるだろうか?
愛情もなく暴力から産まれてきた子供が、世界を救うために邪神と戦ってくれるというのだろうか?
答えは否である。女性経験のないリオンにだってそれくらいは理解できた。
(どうにも、あの女神は人の感情に疎いようだな……世界を管理する神ともなれば、個人の心の内にまで目をやる理由がないのは理解できなくもないけれど)
リオンは溜息をつき、ならばどうするべきかと考えを進める。
(女性に事情を話して、同意を得たうえで行為に及ぶ……これが理想的だ。問題は邪神がどうのと話して、それを信じてくれるかだけど。百年の時間が経過していなければ、あるいは可能だったというのに)
百年も時間が経過しているのであれば、リオンが勇者であることを知っている人間もほぼ残っていないはず。
リオンが勇者だと信じてもらえたら、子供を産みたいと言ってくれる女性は大勢いたのだろうに。
(おまけに、制限時間は一年間……無茶が過ぎるだろう、女神よ)
この世界における一年は五百日。
つまり、五日に一人のペースで子供を作らなければいけないことになる。
考え、策を練る時間すらも不十分だ。こんな無理難題を課してきた女神を憎みたくなってしまう。
(泣き言を口にしても仕方がないか……世界を救うと決めたからには、出来る限りのことはやるとしよう……)
リオンは沈痛な面持ちで肩を落としながらも、女神の使命を精いっぱいに果たすことを心に決める。
リオンは望んで勇者になったのではない。
たまたま、女神以外には知りえぬ因果によって勇者の力を生まれ持ち、人類の先頭に立って戦うことになった。
だが……勇者になったのは偶然でも、最終的にその道を選んだのは自分である。
自らの意思で選び取った道を踏み外すことはしない。
それは同じ道を歩み、途中で倒れてきた仲間への侮辱になるからだ。
(仲間達と守った世界を滅ぼしはしない。そのためならば、子供でも何でも作ってやろうじゃはないか……!)
リオンは先の見えない使命を受け入れ、顔を上げた。
どうやって女性を口説くのかはまだ考えていないものの、まずは人がいる場所に行かなければいけない。
ここがどこかを把握するのが第一である。リオンはとにかく前に進もうと、最初の一歩を踏み出そうとした。
「きゃあああああああああああっ!」
「ッ……!」
しかし、そんなリオンの耳に絹を裂くような悲鳴が飛び込んできた。
間違いなく、人間の女性の悲鳴だった。
反射的に声がした方向へと飛び出し、滑るような足取りで木々の隙間を駆けていく。
リオンは勇者として国に召し上げられるまでは、田舎の小さな村で生活していた。
狩りをしたり、山菜を採ったり、森の中での行動には慣れている。
「…………!」
十秒とかからず目的の場所に到着する。
森の中にあるわずかに開けた空間に声の主はいた。二人組の女性が魔物に襲われていたのである。
「アレは……オークか!」
そこにいたのは二メートル近い巨体の怪物。獣毛に覆われた胴体と猪の顔を持ったそのそれは『オーク』という名前の魔物である。
魔物退治を生業にする冒険者にとっては駆け出しを卒業するための登竜門であり、多くの新米冒険者を屠ってきた存在だった。
オークは二人組の女性を襲っている。一人の脚を掴んで宙吊りに持ち上げ、地面にへたり込んだもう一人を捕まえようと反対側の腕を伸ばしていた。
「た、助けてください!」
リオンの存在に気がつき、地面にへたり込んでいる方の女性が声を上げる。
涙目で助けを求めてくる彼女に一瞥して……リオンは地面を蹴った。
「『吹けよ剣』!」
「ブギッ!?」
反射に近い速度で魔法を発動させると、リオンの右に手に嵐を凝縮したような風の剣が現れた。
リオンが得意としている戦闘術……魔力によって剣を生み出し、敵を切り裂く魔法剣である。
遅れてオークが振り返るが……その時には全てが終わっていた。
一陣の風が通り抜けたと思ったら、大木の幹のように太いオークの胴体が両断される。
リオンが一瞬でオークとの距離を詰め、風の刃で胴体を斬り落としたのだ。
「ひゃっ……?」
ついでに、オークに掴まって宙吊りにされていた女性を横抱きにして救出する。
救い出された女性は自分の身に何が起こったのかもわからず、リオンの腕の中で瞳をパチクリとさせていた。
「大丈夫かな? 怪我はないかい?」
「え……あ、はい。だいじょぶ……です?」
リオンの腕の中で、呆然とした様子で女性が答えた。
二十歳前後ほどの年齢の髪の長い女性で、垢抜けない雰囲気はあるものの、十分な美しさを備えた美女ある。
腰までとどく紫の髪はいかにも柔らかそうであり、同系色の瞳にリオンの顔が映し出されていた。
「ん……?」
その女性の顔を見て……リオンはふと既視感に襲われる。
初対面の相手だと断言できるのだが、何かが記憶の琴線を弾いていた。
まるで知っている誰かが別人のフリをしているような……そんな違和感を覚えたのである。
(気のせいか……この娘、どこかで会ったような……?)
「メイナお姉ちゃん! 大丈夫!?」
地面にへたり込んでいた女性が立ち上がり、こちらに駆けよってきた。
メイナと呼ばれた紫髪の女性よりもやや年下であり、赤い髪をショートカットにした活発そうな少女である。
姉のメイナとはタイプが異なるものの、こちらもなかなかに可愛らしい。男が放っておかないであろう美少女だった。
「アルティ!」
「メイナお姉ちゃん!」
メイナがリオンの腕から降りて、アルティと呼ばれた赤髪の少女と抱擁を交わす。
オークに襲われていた二人はお互いの無事を喜んで、涙まで流していた。
「…………」
そんな仲睦まじい二人の姿を見つめながら……リオンは怪訝そうに眉根を寄せる。
(こっちもだ……誰かに似ているな……)
アルティという少女にもまた、メイナと同じような既視感が生じる。
初対面、見知らぬ相手だと断言することができるのに、不思議と他人のような気がしなかった。
(やはり、彼女達に会ったことがあるのか……いや、ここは俺が生きていた頃から百年も後の時代だろう? 知り合いがいるわけがない)
百歩譲ってエルフのような長命種ならばまだしも、二人はどう見ても人間である。知り合いなわけがなかった。
「あの……ありがとうございます。助かりました」
「ありがとう! お兄さん!」
ひとしきり無事を喜んでから、二人がリオンに向けて頭を下げてくる。
「あと少しで、殺されていました。本当に何とお礼を言っていいのやら……」
「お兄さんってすごく強いんですね! ひょっとして、名のある冒険者様なんですか!?」
「わっ……」
アルティがキラキラと瞳を輝かせながら距離を詰めてくる。
女性慣れしていないリオンはたじろいでしまい、思わず一歩二歩と後退してしまう。
(いけない……ついつい、おかしなことを考えてしまう……)
女神から子供を作れと言われたせいで、年の近い女性を妙に意識してしまう。
勇者として活動していた頃はこんなことはなかったのに……まともに相手の顔を見ることができなかった。
「こら、アルティ! 命の恩人である御方に詮索するなんて失礼でしょう!」
「ひゃあ!」
メイナがアルティの首根っこを掴み、リオンから引き剥がす。
「ごめんなさい、この子が無礼をしてしまって申し訳ありません……」
「ああ……別にいい。それよりも、君達はこんな所で何をしているんだ?」
申し訳なさそうな表情をするメイルから微妙に視線を外して、リオンは訊ねた。
ここが何処かは知らないが……魔物が出るような森に若い女性が二人だなんて、あまりにも不用心なことである。
「あ……私達は見習いの冒険者なんです。この森には薬草の採取に来ました」
「冒険者……」
よくよく見て見ると、二人の服装は確かに冒険者のように見える。
アルティは短めのスカートのワンピースの上に革製の軽鎧をつけており、腰のベルトにはナイフを提げていた。
メイナは聖職者が着るローブのような服を着ており、手には神官が使う打撃武器……メイスを握りしめている。
冒険者というのは魔物を狩ることを生業としている存在であり、リオンが生きていた頃にもいた。
邪神討伐のために集められたメンバーにも冒険者がいて、遠征の途上、冒険話などを聞かせてくれたものである。
「冒険者か……だったら、森に入って魔物と戦っているのも納得だけど……」
それでも、二人がオークと戦えるレベルでないことは明白である。
「『冒険者にとって大切なのは敵を殺すことではない。生きて帰ることだ』……生きてさえいれば力を蓄えて再チャレンジすることもできるし、いくらだってやり直しも利く。命を大切にしない冒険者は二流だよ」
「う……」
「…………」
生前、知り合った冒険者から聞いた言葉を参考にして説教をする。
アルティが気まずそうに黙り込み、メイナも申し訳なさそうな表情をする。
「町か村まで送ってあげるよ。一緒に行こう」
「「…………はい」」
メイナとアルティが肩を落として頷く。
リオンは「よし」とつぶやいて、二人と一緒に最寄りの人里に向かうことになった。
正直、ここが何処かもわからずに迷子になっているリオンにとっても、これは有り難いことである。二人について行けば人の村や町まで行くことができそうだ。
「ああ、申し遅れたけど俺の名前はリオン。旅人だ」
(俺が勇者だってことは言わない方が良いよな。多分、信じてもらえないだろうから)
女神の言葉を信じるのであれば、この世界はリオンが生きていた頃から百年以上が経過しているらしい。
リオンが勇者を名乗ったとしても、それを証明する手段はない。誰も信じてはくれないだろう。
リオンは二人の女性と連れ立って森の中を歩いていき、三時間ほどかけて彼女達が暮らしているという村までやってきた。
「リオンさん、ここが私達の村です!」
「村の名前はセイルン村といいます。何もないところですけど、ゆっくりしていってください」
「え……?」
アルティとメイナに村を紹介されて……思わず、リオンは瞳を見開いて凍りつく。
その村の名前……目に飛び込んでくる光景は、かつてリオンが生まれ育った故郷の村と同じものだったのである。
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