10.娼婦の癒し
リオンが娼館に足を踏み入れると、昨晩と同じ受付の男がピクリと眉を跳ねさせた。
「おや、アンタは……」
「やあ、今日もよろしく頼む」
「もちろん、構わないが……指名したい女はいるかい?」
タバコを咥えたまま、受付の男が尋ねてくる。
リオンは迷うことなく「フェリエラを頼む」と答えた。
「……アンタも酔狂だな。どうせジェイルの奴から頼まれているんだろうけど、呪い持ちの女が怖くないのか?」
「別に怖がるほどのことじゃないだろう。少し珍しいイレズミをしていると思えば、オシャレなくらいさ」
リオンは何故かムッとした心境になりながら「それに……」と言葉を続ける。
「今日はジェイルに頼まれてきたわけじゃない。まとまった金が手に入ったし、ちょっと嫌なことがあって慰めてもらいたくて来たんだ。アイツは関係ないよ」
「……ますます好き者だな。まあ、払う物を払ってくれたら別に文句はないがね」
「金だよな。昨日と同じで良いな」
リオンがギルドで受け取ったばかりの報酬から、昨日と同じ金額を支払う。
受付の男が銀貨の枚数を確認して、部屋のキーをカウンターに置いた。
「昨日と同じ部屋だ。先に言って待ってなよ。すぐにフェリエラに準備をさせる」
「ああ、ありがとう」
「ん、ごゆっくり」
リオンはキーを手に取り、昨日と同じ部屋に入る。
個室に入ったリオンは上着を脱いで椅子に掛けて、無造作にベッドに横になった。
ぼんやりとした目で天井を見つめて、この都に来てからの出来事を振り返る。
(町にやって来て早々、喫茶店の店員さんに袖にされた。望んでもないのに舎弟のような奴ができて、娼館に入って女性を抱いた。冒険者ギルドに登録したのは良いけど絡まれてトラブルになって……ようやく次代の勇者を産めそうな女性に出会ったというのに、またフラれた)
喫茶店の店員、エイリー。
呪われた娼婦、フェリエラ。
Aランク冒険者の公女、アルフィラ。
スノーレストの都にやってきて二日。
三人の女性に出会ってはいるが、今のところ戦績は一勝二敗。
フェリエラは金で買っただけで子供を産んでくれる承諾を得たわけではないので、厳密に言えば勝利とはいえない。
(子供を百人も作らなくちゃいけないのに、このペースで大丈夫なのか? 本当に邪神から世界を救えるのか?)
復活してからまだ一週間ほどと考えると焦るほどの時間ではない気もするが、制限時間は一年間しかない。
目に見えた成果がないのは、やはり不安になってきてしまう。
「失礼いたします、入ってもよろしいでしょうか?」
悶々と考えこんでいると、部屋の扉がノックされた。
どうやら、フェリエラがやってきたようだ。
「ああ、入ってきてくれ……………………お?」
「失礼いたします」
控えめに扉を開けて部屋に入ってきたフェリエラの姿を見て、リオンは軽く目を見開いた。
そこに立っていたのは、もちろん指名した女性……フェリエラである。
しかし、彼女は昨晩とは異なる白いドレスを身に纏っており、顔の上半分を覆っていたはずの銀仮面を付けていなかった。
呪印で覆われた顔をさらした状態で部屋に入ってきて、ドレスの裾をつまんで軽く頭を下げてくる。
「……二日連続で使命頂けるとは光栄でございます。本日もよろしくお願いします」
「硬いな……そんなに畏まらなくてもいいのに」
「そうは参りません……ッ!」
顔を上げるフェリエラであったが……リオンと目が合うと、火が点いたように顔を赤くして俯ける。
どうしたのだとリオンが首を傾げると、言いづらそうに口を開いた。
「そ、その……今日も昨晩のようになさるおつもりでしょうか?」
「……昨晩のようにとは?」
「あ、朝日が昇るまで休まずに……その……」
「…………?」
言葉を濁すフェリエラに、ますますリオンが疑問を深める。
「それはそうだろう? 普通、男が女を抱くときにはそうするものじゃないのか?」
「ありえません! 一晩で十回以上もだなんて、普通の男性はそこまでできません! 二日連続であのようなことをされたら身体が…………失礼いたしました」
声を荒げたフェリエラであったが、すぐに冷静さを取り戻して頭を下げる。
「その……一般的な男性は一晩に一度か二度しかできないものなのです。三度もすれば多い方でしょう。可愛がっていただいて恐縮なのですが、二日連続で朝までされては身体がもちません……」
「そ、そうなのか?」
リオンは驚きに目を瞬かせる。
リオンは数日前まで童貞だったが、かつて勇者パーティーとして共に冒険をした仲間からそういう話を聞いたことがあった。
一晩中だなんて当たり前。朝まで女をいかせてやったなどと彼らは酒を飲みながら語っていて、てっきりそれが標準的なことだと思っていたのだが。
「御友人が何を仰られていたのかはわかりませんが、おそらく、それは見栄を張っていたのではないでしょうか?」
「見栄……嘘だったってことか?」
「はい。殿方というのは、同性に対して自分が女性に強い男なのだと思われたいものなのです。男として負けてはいない、女性を満足させられる男なのだと……多分ですけど、その男性も見栄を張ってそんなことを口にされたのではないでしょうか?」
「そうだったのか……」
気がつかなかった。
彼らがそうやって語っていたから、自分も同じようにフェリエラのことを朝まで抱いたのだが……どうやら、彼女の身体に負担をかけてしまったようである。
リオンは自分が世間知らずであったことを改めて思い知り、肩を落として落ち込む。
「すまない……気がつかずに、君に酷いことをしてしまったようだ。許してくれ」
「い、いえ……別に良いのです。さすがに連続では困るというだけで、私も可愛がっていただいて嬉しかったですし、その……ええっと……」
フェリエラは頬を紅潮させたまま「コホン」と咳払いをする。
「……ともかく、私は昨晩の疲れが抜けておらず、今日は旦那様を楽しませることができそうもありません。指名していただいて恐縮なのですが、今夜は他の女性を選んでいただけないでしょうか?」
「んー……いいや、君が良い」
「……はい?」
「別にどうしてもそういう行為がしたくて来たわけでもないからね……ちょっと嫌なことがあって、慰めてもらいたかっただけだ」
リオンはベッドの隣をポンポンと叩いて、手招きをする。
「何もしなくてもいい。嫌でなければ、隣にいてもらえないか?」
「し、しかし、今の私では料金分のサービスを提供することはできませんし……」
「構わない。君にいてもらいたい」
「ッ…………承知いたしました。それでは、失礼させていただきます」
フェリエラがおずおずとした様子で隣に座ってきた。
すぐ隣に女性が座っている。柔らかな体温が伝わってくる。
「ハア……」
そばにある温もり。寄り添ってくれる誰かの感触に思わずため息が出てしまう。
なるほど。
落ち込んでいる時は女が効くというのはこういうことか。
今になって、ジェイルが言っていた言葉の正しさを理解することができた。
「……随分とお疲れのようですね。何か嫌な事でもありましたか?」
「まあ……色々とな」
「私で良ければ話を聞きましょうか? もちろん、無理にとは言いませんけど」
「…………」
いくら何でも、「別の女性にフラれたので慰めてもらいに来ました」とは言えない。
女性経験の薄いリオンであっても、他の女性の話題を出すことが無神経なことであることくらいは想像がついた。
「……やらなくてはいけないことがあるんだ。とても大切な使命なんだけど、それが上手くいかなくてね」
「使命、ですか?」
「ああ……不慣れなことばかりでどうしたら良いかわからなくて、追い詰められている気分だよ」
「それはそれは……悩んでおられるのですね」
フェリエラは少しだけ考えるような素振りをして、場所を移動させる。
ベッドの頭側に座って、ポンポンと膝を叩く。
「でしたら……どうぞこちらへ」
「ん……?」
「膝枕です。どうぞお使いください」
照れ臭そうに言ってくるフェリエラに、リオンはポカンと口を開けてしまう。
膝枕だなんて、子供の頃に母親にしてもらって以来だ。
まさかこの年になって……おまけに娼館という特殊な場所で、女性から誘われるだなんて思わなかった。
「そ、それじゃあ……失礼して」
不思議な魅力に惹かれて、リオンは遠慮がちに頭を下ろす。
フェリエラの太腿の上に頭を載せると……柔らかくも芯のある感触が後頭部を受け止める。
「…………」
「どうでしょう? ご不快ではないですか?」
「いや……」
リオンは妙に落ち着かない気持ちになりながら、どうにか答える。
「よくわからないが…………悪くはない、気がする」
「そうですか、それは何よりです」
フェリエラの指先がリオンの髪を優しく撫でつける。
壊れ物でも扱うような繊細な手つきだ。
自分が目の前の女性から大切に思われているのではないかと、錯覚してしまうような。
(落ち着け……これはあくまでも娼館のサービスだ。彼女は俺が支払った対価に応えようとして、こんなことをしているんだ)
リオンは唇を噛み、心地良い感触に必死に耐える。
油断をすれば、目の前の女性に心を奪われてしまいそうだ。
リオンが背負っている使命など諸々の事情を鑑みると、それは色々と都合が良くないだろう。
「大変なことも多いと思いますけど、今日だけはしっかりと休んでください。些細なきっかけで道が開けることもあるでしょうし、悩むのは明日からでも遅くはないと思いますよ?」
「…………そう、だな」
リオンはその穏やかな声に誘われるがまま、瞳を閉じた。
冒険者として一日働いたことで突かれていたのだろう。
目を閉じると、途端に眠気がやってくる。
「おやすみなさい……リオン様」
「…………」
意識が遠ざかっていき、リオンはそのまま眠りについた。
女神から与えられた使命も忘れて寝息を立てるリオンの表情は、ここ数日でもっとも安らいだものだったのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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