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それから、数日後。
王城で夜会が開かれ、アデラも父に命じられて参加することになった。
ドレスを新調し、テレンスから贈られた宝石で作った装飾品を身に付ける。
エスコートは、いつものように年上の従兄のエディーだ。
優しい彼は、アデラをひたすら気遣ってくれた。
ひとりにならないように、心無い噂が耳に入らないようにと、ずっと傍にいてくれる。
今日は従兄の好意に甘えることにして、アデラは彼とだけ踊り、それ以外の時間も傍にいてもらうことにした。
こうしていれば、噂好きな令嬢たちでも、こちらに近付くことはできない。
「アデラ、大丈夫かい?」
「ええ。でもひさしぶりだから、少し疲れてしまったわ」
「そうか。ちょっと風に当たろうか」
そう言って、エディーはテラスに連れて行ってくれた。
冷たい夜風が心地良くて、アデラは目を細める。
従兄がしっかり庇ってくれたから、思っていたよりも楽に過ごすことができた。
もう少しだけ滞在したら、今日は帰っても構わないだろう。
そう思っていると、ふいにホールが騒がしくなった。
何事かと思って振り返ると、そこには見覚えのある姿があった。
(……テレンス)
テレンスが、ひとりの女性を伴って姿を現した。
その女性が彼の年上の従姉であることを、アデラも知っている。レナードがよく彼女の話をしていたのだ。
結婚したばかりなのに夫に先立たれた、かわいそうな従姉だと。
父も亡くなっていて、兄夫婦が爵位を継いでいるそうだが、その兄夫婦とも折り合いが悪いらしい。
だから実家に戻ることもできず、従弟のテレンスにエスコートを頼み、新しい縁談を探しているのだろう。
テレンスも爵位を継いで伯爵家当主となれば、結婚しなければならない。
だが彼には、まだ婚約者さえいなかった。
ふと、アデラはテレンスの婚約者だったエリーという女性は、どんな人だったのだろうと考える。
彼の、どこまでも冷たく凍りついたような視線は、彼女の裏切りのせいではないか。
メーダ伯爵家の没落は、おそらく彼の仕業だ。
婚約者だったエリーは彼を裏切り、他の男性と駆け落ちしてしまった。
だからテレンスは実家を没落させて援助を断ち切り、駆け落ちまでした相手との関係を悪化させた。
テレンスを裏切ったエリーは、溺愛していたはずの家族に売られ、望まぬ結婚を強いられてしまった。
彼女と駆け落ちした相手は、今どこで何をしているのだろう。
無理矢理別れさせようとしても、駆け落ちまでした相手だ。
そんなことをしても、ふたりの愛は深まるだけだったに違いない。
だからテレンスは、エリーの実家を没落させて援助を断ち切った。
レナードと同じように、ひとりでは何もできない貴族のお嬢様は、足手まといになったに違いない。
おそらくレナードとシンディーのように、喧嘩が増え、ひとりでも町で生きていける庭師は、エリーを捨てたのだ。
もしかしたら、他に女性ができたのかもしれない。その方が、エリーの絶望は深まる。
(全部、私の想像でしかないけれど……)
間違ってはいないだろう。そんな確信があった。
こんなことを瞬時に考えてしまう自分も、レナードの裏切りで随分変わってしまったと、アデラは自嘲する。
そのレナードも、今では平民となって苦しい生活を送っている。シンディーとの愛は、もう欠片も残さずに砕けてしまったに違いない。
アデラを裏切り、嘲笑い、利用しようとしていたふたりだ。
(ああ……)
テレンスの憎しみと、自分の感情が入り乱れる。
アデラも、レナードとシンディーが憎かった。
だから、あの計画を実行したのだ。
そのことは、後悔していない。
悪行の報いは受けるべきだ。
それでも憎しみは、人を簡単に変えてしまう。
アデラも、以前の何も知らなかった自分には戻れない。
「……気分が悪いの。今日はもう、帰りたいわ」
従兄にそう訴えると、彼は急いで帰りの馬車を用意してくれた。
優しく丁寧にエスコートしてくれる従兄に縋って、アデラは屋敷に戻る。
エリーにもレナードにも同情はしない。
けれど、その没落した姿を見ても、心が晴れることはないだろう。
アデラの脳裏には、冷たい視線で会場を見渡していたテレンスの姿が、いつまでも頭から離れなかった。
アデラを乗せた馬車は、気分が悪い主を気遣って、ゆっくりと進んでいく。
しばらくきつく目を閉じていたアデラは、王城が遠ざかると緊張が解けて、深く息を吐いた。
こちらに向けられた、人々の好奇の視線。
そして、かつて夜会で義妹のシンディーをエスコートしていた、婚約者だったレナードの姿を思い出す。
テレンスの冷酷な瞳。
没落したエリーと、家を追い出されたレナード。
たくさんのことを思い出してしまい、心が乱れている。
帰ったら父に頼んで、もうしばらく夜会は休ませてもらおうと思う。
婚約を解消したばかりなのだから、父もきっと許してくれるだろう。
少なくとも、アデラの次の婚約者が決まるまでは。
いつまでもこのままではいられないと、わかっている。
アデラはリィーダ侯爵家のひとり娘だ。
侯爵家を継いでくれる人を、婿に迎えなければならない。
その人はいずれ侯爵家の当主になるのだから、決めるのは父であり、アデラの意思がそこに反映されることはない。
もちろん政略結婚で、最初から愛されることなど望んでいない。
でも、せめて誠実な人であればいいと思う。
いずれテレンスも婚約し、結婚するだろう。
彼はどんな人を選ぶのだろう。
過去の憎しみを忘れるくらい情熱的な恋をして、しあわせになってくれないだろうかと、考える。そうすれば、アデラもきっとレナードの裏切りを、彼に対する複雑な感情をすべて捨て去ることができる。
心の奥底ではそんなことがあり得ないとわかっているのに、そう願わずにはいられなかった。