突然ですが、ってな話
今回、第5章まで書く予定だったのだが、第3章で完結とすることにした。
今回の話は、いつもの自分のペースとは違う。
カラーも違う。
最初からコメディベースで書こうと思って書いてきた。
タグにも入れてあるように。
自分の中のコンセプトは、なにも変わっていない。
だが、書いていて非常に窮屈に感じる。
見えない圧迫感に晒されているような気持ちになる。
だから、更新するたびにしんどくなっていく。
どうしてこうなのか、なぜこんなふうなのか。
そういうのを、今までの話はかなり書き込んできた。
でも、この話については、それをやり過ぎると面白くなくなる。
と、自分では思っている。
そこは変えたくない。
しかし、段々に助長なところが出てきている。
続きを書かなければ良かったと後悔するほどだ。
あそこでやめていれば、スッキリだったのになぁと。
正直、2と3章を削除して閉じ直そうかとも思ったが、それはさすがにやめた。
自分の中での、という意味しかなくても、納得感を持って書いた。
続きを書かないほうが良かったと後悔はしても、書いたものに対しては、いい加減に書いたつもりはない。
だから、ここまでに関しては更新は続ける。
ただ、この先となると、微妙。
なんだろうな、説明を入れたくなってしかたがないというか。
さらに助長感が増すのが目に見えているというか。
書き上がった時に自分の納得感が得られなさそうというか。
要は「外圧」?みたいなものに話の流れが揺らされるのが嫌なのだよ。
書いていて楽しくなくなる。
とはいえ、自分とて人間ですからね。
どんだけ打たれても平気、ということはない。
そういうのもあって、3章で完結とする。
それとともに、しばらく投稿を休むことに決めた。
こっちでの更新が終わったら、カクヨムさんのところの修正完了させて終わり。
しばらく書くのは休む。
新しい話を書いて、また投稿したいなぁという気持ちになるまでは。
もちろん他サイトで新作を書く予定もない。
書くこと自体を休むのだから、当然なのだが(笑)
てなわけで、突然ですが、ってな話。
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この「外圧」について、少しはっきりした。
これは、自分がほかのサイトを知ったから、というのが大きく影響している。
今まで自分は「評価」について、ほとんど意識していなかった。
読んでくれているかたがいる、ということの指標のひとつという認識。
が、アルファポリスさんには、この「評価」という仕組みがない。
そこで初めて、自分は「評価」ということの意味を感じ始めた。
レストランに置かれている「アンケート」みたいなイメージ。
そのイメージだと、こんなふうになる。
1:大変つまらなかった
2:つまらなかった
3:どちらとも言えない
4:面白かった
5:大変面白かった
単純に数値としての意味でしか捉えないのであれば「評価」とは言わない。
ポイント(数値)がほしいだけなら、評価という仕組みの存在意義もない。
本当につまらなかったら、☆なんてつけないという意見はあるが。
圧倒的に評価が少ない中「あえての評価がなされている」のだよ?
つまり「評価」は単なる数値ではなく「読み手の意識が介在」する。
単なる「ポイント」なら「評価」とする必要はない。
ということを、別サイトで更新するようになって気づいたって感じ。
そこはポイントがPVで自動計算されるので読み手の意識は介在しない。
読み手が意識的にポイントをつけるわけではない、ということだね。
本当に単純な数値でしかない。このくらいは読んでもらえてるんだなぁと。
その純粋な数値の有り様を知らなかった時は平気でいられたのだが。
ならば「評価」の設定を外せばいいってことなのだろう。
でも、それはもう「ここで投稿しなくてもいい」と同義となる。
ここの仕組みを否定するわけだから。
とはいえ、やっぱりこの「評価」をいったん意識するとしんどい。
総合のポイントの多い少ないではなく、ランキングとかも無関係に。
読み手の意識の介在を強く感じてしまうのが、しんどい。
しかも、理由もなにも分からないのが、なおしんどい。
投稿初期、更新途中でも「評価」が入ってくるので、意識してしまうのだろうな。
5や4なら、当然だが「先を楽しみにしている」といった前向きに捉えられる。
もちろん、がっかりさせることになったらどうしよう、という気持ちもあるが。
そして、存外、1は平気だ。
万人受けするものなんてないので、合わなかったんだな、と思うから。
最も、ダメージを食らうのが、2と3。
レストランで言うなら、ひと口、ふた口食べて「不味い」と言われたか。
もしくは「まぁ、不味くもないけど美味くもない」と言われたようなものだ。
これは、かなりクリティカルなダメージとなる。
その後「食べる価値なし」として席を立ったのか。
「意外と癖になるかも」と評価が上がったのか。
「最後まで不味かった!」と評価が下がったのか。
なにもわからん。
ゆえに「ここでこの判断されてもなぁ」とか「どこでこの判断になったのか」とか。
いろいろと考えさせられてしまうわけだよ。
レストランのアンケートにしたってさ。
「味はいいけど見た目が悪い」「店員の態度が悪かった」とか。
書かない人も多いが、悪い評価の場合には書く人もそれなりにいるだろう。
でも、いっさいわからないんだよ、ここの「評価」では。
なのに、こちらには「読み手の意識」が伝わってくる。
それが「評価」だと思っていないうちは平気だったのだがね。
そして、なにが問題かと言えば「評価」を意識すると、話が歪みそうになること。
ここは分かりにくかったかなぁとか。
こういう性格の人は嫌われるよなぁとか。
いらんことを考えるようになる。
それが「窮屈」の元。
でもさ、読み手を意識しない書き手なんていないんじゃないかな。
良い評価だけがほしいというのではなくてさ。
見えない「外圧」に振り回されずにはいられないって話なのだよ。
読み手には読み手の自由がある。
同様に、書き手には書き手の自由がある。
両者、迎合する必要はない。
しかして、それが成立しなくなるという。
自分の書きたいものが書きたいように書けない感じ。
迎合的な意識に抵抗するのが、とてもしんどくて窮屈。
で?
なら、やっぱり「じゃあ、ここでやらなきゃいいじゃん」ってことになるわけさ。
もしくは自分の意思を強く持つ(笑)
評価を無視するってことでもなく、単なる数値として捉えるわけでもなく。
まぁ、気持ちのバランスというか。
それがないと、ここで書くのは継続しづらい。
それも含めて、書くのを休んでいる間に、ちょっと考えることにする。




