しっぽのついたサンタクロース
クリスマスにプレゼントを買って貰う、という習慣がなかったせいだろうか、彼の言葉はまるで外国の言葉のように聞こえた。
「ごめん、何て言ったの?」
聞き返しながら、鳥羽かぐらは風で乱れた髪を手櫛で梳きながら、平静を装う演技をする。
後輩である深山奏斗が声をかけてきたのは、丁度駅から会社へ向かう道すがらだ。
駅から会社までは十五分で、冬特有の分厚い雲の立ち込める空気と痛い程冷たい空気に、誰もが首を竦めて眼を細めながら歩いている。
深山は短く切った髪と吊り目がちで怒っているのかとよく聞かれている顔立ちをしているが、その顔つきからは想像がつかない程に人懐っこく、従順に仕事をこなし、周囲から指示を受けなくても自ら気を利かせて動いてくれる、よく出来た後輩だ。
そのせいだろうか、一緒に信号待ちをしていると、まるでシベリアンハスキーと散歩でもしているかのようだ、とかぐらは密やかに思っている。
彼はとても寒がりで、コートはしっかりと着込み、ワンポイントの入ったグレーのマフラーとツイード生地の手袋をきちんと身につけている。
鼻先を少し赤くしているのが何だか不憫に思えて、かぐらは思わず身近なコーヒーショップを脳内で検索してしまっていた。
「いや、だから、先輩ならクリスマスプレゼントを貰うなら、何が欲しいですか?」
ぼんやりとしていた為か、慌てた様子で再び同じ質問を問いかけてくる彼に、かぐらは苦笑いを浮かべてコートのポケットに手を突っ込んだ。
共働きの両親と年の離れた姉妹がいるからか、クリスマスや誕生日にプレゼントだなんて小学生の、それも低学年の頃しか貰った試しはない。
プレゼントを自慢している友人が羨ましくて堪らなくて、その癖、両親に言い出す事も出来なくて、布団の中で声を堪えて泣いていた事もあったけれど、それも気がついたらいつの間にか忘却な彼方に消えてしまっていた。
ケーキといつもより豪華な食事だけはかろうじて用意してくれたけれど、サンタクロースという存在すら知る事もなかったので、その事実に気がついた時には友人に絶句された程だ。
だから、と考えて、返事を真剣な表情で待っている彼を見て、かぐらは小さく息を吐き出して、肩を竦めた。
「ああ、ごめん。うちの家、あんまりそういう文化がなくって。物欲もこの年齢になったせいか、殆どないんだ。だから、特に欲しいプレゼントとか思いつかないんだよ」
答えが思いもしなかったものだったからか、彼は吊り目がちの目を瞬かせると、ぎゅうと眉を寄せている。
「じゃあ誕生日とかは? プレゼント貰いますよね?」
「誕生日はケーキ食べる日でしょう?」
「本気で言ってるんですか?!」
大きな声で驚いている彼を通行人がじろじろと不躾な目で見ているので、かぐらは慌てて彼を嗜めて、信号が青になった途端に流れる人の波に埋もれていくように踏み出した。
朝に会社へ行く為にこんなにも沢山の人々が歩いているけれど、その中の何人が、自分と同じような考えを持っているのだろう、と思いながら、冷たい空気を吸い込んで吐き出す。
彼女や奥さんに高価なプレゼントを要求された、と毎年この時期になると嘆く男性社員がいるので、プレゼントを欲しがらない人間というのは逆に有り難いものではないのか、とかぐらは思うのだけれど。
隣を歩く深山は、叱られた犬のように落ち込んだ様子でしょぼくれていて、それがあんまりにも不憫だったので、横断歩道を渡り終えたかぐらは彼と一緒に道の端へと寄った。
「深山、良かったらコーヒー買いに行こうよ」
丁度クーポンあるから奢る、と言って顔を上げれば、吊り目がちな瞳が真っ直ぐに向けられている。
「困ります」
「コーヒーの気分じゃなかった?」
「違います。コーヒーの話じゃなくって……」
言い淀んで視線を背けた彼が不思議で、かぐらは先程まで渡っていた横断歩道を見た。
トラックがよく通るような大きな道路なので、信号はもう赤になっていて、暫く青になる事はない。遅刻寸前の時には呪ってしまいかねない道だけれど、今は渡ってしまった人々がどんどん先へ進んでしまって広々としているせいか視界も広くなり、街路樹に取り付けられた電飾にも気が付けてしまう。
夜になるとライトアップされる街路樹は綺麗ではあるが、自分にはまるで他人事のようにしか感じられないな、とかぐらが息を吐き出すと、深山は少し赤らんだ鼻先をすんと鳴らして、呟くように、言う。
「だって、クリスマスですよ? プレゼント持って告白したい人だっているでしょう」
「告白?」
思いもしなかった単語が飛び出してきたので思わず聞き返すと、深山は慌てて咳払いをしたり、首の後ろを掻いたりして一生懸命に誤魔化そうとしている。
自分が、ではなくて、そういう人もいるでしょう、って意味です、と言いながら耳まで真っ赤にしている彼は、嘘の吐けない犬みたいで少し可愛らしい、と、かぐらは思わず苦笑いを浮かべてしまった。
プレゼントなんて、特に欲しいと思った事はない。
別に何も貰わなくたっていい。
だけれど、こうして誰かが大切なひとを思って贈り物を用意しようとしている、というのは、なんて微笑ましいものなのだろう、と感じて、かぐらは視線を俯かせて地面を見た。
「じゃあ、渡したい人につけて欲しいアクセサリーでも買ってあげれば?」
無難な答えだけれど、彼が想定するシチュエーションで考えられる適切なプレゼントを思い浮かべてそう言えば、彼は途端に嬉しそうに顔を輝かせている。
尻尾があったのなら、きっと千切れんばかりに振っているに違いない。
彼が思い描くクリスマスがどんなものなのかはわからないけれど、そんな笑顔で満ちたものであって欲しい、と思っていると、不意に両手を掴まれた。
ツイード生地の滑らかな手袋の手触りをぼんやりと感じて、そっと顔を上げれば、満面の笑みを浮かべた深山が見下ろして、いて。
「じゃあ、青い石がついたピアスにします! 先輩、青い色が好きですもんね!」
顔を綻ばせてそう言った彼に、かぐらは思わず眼を瞬かせて、大きく開いてしまいそうな口を掴まれている両手に押し付けた。
青い色が好きな事も、社会人になって以来ほったらかしのピアスホールも、何で知ってるの! と叫びそうになってしまいそうな所をどうにか押し止められた自分を、どうか褒めて欲しい、と誰に言っているのかわからない事を思いながら、かぐらがこっそり深山を見上げると、彼は失態に気がついたのだろう、先程より更に真っ赤な顔をして口をぱくぱくと開閉している。
「せ、先輩、コーヒー買うんですよね! 行きましょう!」
慌ててそう言いながら、混乱のあまり、手を引いたまま見当違いな所へ行ってしまいそうな彼を見て、かぐらは思わず苦笑いを浮かべていた。
震える程に寒いのに、頰はとてつもなく熱い。
深山、と呼び掛ければ、彼は振り返らないものの、きちんと立ち止まってくれる。
プレゼントなんて、特に欲しいと思った事はない、だけど。
「クリスマスプレゼント、楽しみにしてる」
だけど、こんなにも嬉しいものなのだ、と知れたのは、きっと彼のおかげだ。
寒さではないだろう頰の赤みなんて気にせずに笑ってそう言えば、ゆっくりと振り返った彼は、それはそれは嬉しそうに顔を綻ばせていた。