好き嫌いで評価する教師
通知表を受け取る時にはいつもドキドキする。僕は自分への評価を結構気にする方だ。ただ今回は期待している。結構いい線いってるんじゃないかと思って、通知表をもらう前からすでにニヤついていたりする。
「山田ぁ」「はい」
席から教壇までいって、担任の先生から通知表を受け取る。席に戻って、通知表を開く。開く時は、周りに見られないように注意すべきだ。特に斜め後ろの席のやつには要注意。それから表情に出すのもよくない。むしろ、成績なんか全然気にしてないよ的に振舞おうじゃないか。僕はおそるおそる通知表をあける。
上から「国語 2」「数学 3」「社会 2」。ここまではどうでもいい。本当にどうでもいい。厳密に言うとちょっとへこんでなくもないがそれはいい。問題は次の理科だ。
「理科 1」
「はああ?!」
思わず声を出してしまった。教室のみんなが僕に注目して、クスクス笑っている。僕は通知表を閉じて、しばらくうつむく。やってしまった、かっこ悪い。
みんなが僕から注目を外すのをじっと待ってから、僕はもう一度通知表を開けた。やっぱり「理科 1」だった。
なんでだよ。テストも80点をとった。宿題だって全部提出したじゃないか。授業中の手を上げたり、発言したりというは確かに少ないかもしれない。だとしても「1」はないでしょ。これは納得できない。到底納得できるものではないのだ。
僕は理科の担当教師に理由を問い質して、修正を求めることに決めた。
放課後、職員室に向かった。歩きながら担当教師との議論を入念にシミュレーションする。まずはこう言ってやって、こう言ってきたらこう、もしもこう言ってきたらこう……。
職員室の扉の前に着いた。なかなか緊張する。なんだかんだ年上の人に、しかも教師に論争を挑むのは度胸がいる。正義は我に在りだと言い聞かせて意を決す。
ガラガラっと職員室の扉を開ける。独特の雰囲気、大人の仕事場としての空間。理科の担当教師を見つけた。職員室の中、狭い通路を進む。教師の前に立つ。
「橋本先生。通知表のことでお話があります」
橋本先生、理科の担当教師。パソコンから目を離し、座ったままイスを回して僕に向かう。
「おう、なんだ?どうした?」
「先生、僕の理科の成績が1になっています。間違いじゃありませんか?もう一度テストの結果を確認してください」
先生は少しの間目を上に向けて、何かを思い出した後、納得するように答えた。
「……ああ、はいはいはい。そういうことね」
修正してくれるだろうか。それとも反論してくるのか。
「俺さあ、嫌いなんだよ。お前のこと」
ん?と思った。嫌いって言った?それは想定外だ。
「お前さあ、なんかこう、分かってますう、みたいな顔するじゃん。俺嫌いなんだよそういうの。あとほら、宿題にも余分な事とか書いてんじゃん、そういうのも嫌いかな。字も、なんかふにゃふにゃしてるっつうか。ま、全体的にこうなよなよしてるのも、嫌いだったりするかな」
「…………」
何を言っているんだこの教師は。どうして僕は今悪口を言われているんだ。
いや落ち着け。事前に用意した僕の理屈があるじゃないか。それを主張するんだ。
「先生。僕、テスト80点とったはずで――」
「知ってるよ。宿題も出してる。授業も出席してる。知っている。でもさ、嫌いなんだわ」
「いや、嫌いとかそういう――」
「うん、今回はあれだったな。次頑張れ。な」
「…………」
先生は、席から立ち上がって、僕の肩をぽんぽんと叩いた。そして僕の肩を抱えて、職員室の外まで連れて行った。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。あんま気にすんな」
そう言って先生は僕を置いたまま、職員室へ戻っていった。
僕はその場に立ったまま、さっきまでのやり取りを思い返している。自分が変なのだろうか。嫌いって。授業態度ならまだ分からなくもないけど、なよなよって、それは性格じゃないか。やっぱりあの先生が変だと思う。
変だとは思うが、教師相手にこれ以上論争をして勝てるとも思えなかったので諦めて帰ろうとした時だった。
女性教師がコツコツと靴音を鳴らして正面から歩いてきた。音楽の浅井先生だ。そういえば、音楽の成績が「5」だったのを思い出した。いままではずっと「3」だったのになぜ?と思っていた。
「あら。山田君。さようなら」
浅井先生は歩きながらニコリと僕に笑いかけて会釈した。僕も軽く会釈する。浅井先生が職員室の扉を開けようとした時に、僕は思い切って声をかけた。
「あの、浅井先生。聞きたいんですけど……」
「いいですよ。何でもどうぞ。どうしたの?」
浅井先生は扉から手を離して僕に向き直った。いつもの様に優しそうな表情だ。
「僕の音楽の評価が5だったんですけど。どうしてですか?自分ではそこまでとは……」
「ええ、5ですよ。間違いないわ。」
浅井先生は頷きながら答えた。そして僕の頭の方を指さす。
「私ね、山田君のその髪型、好きよ。あとそうね……、そのポケットからはみ出てるキーホルダーも、可愛くて好きよ」
僕はちょっと顔が熱くなって、それ以上追求ができなかった。
「……そう、ですか。ありがとうございます」
「それじゃ。冬休み、楽しんでね」
先生は職員室へ入っていった。
まさか浅井先生の今の発言が「5」の理由なのか?なんら音楽と関係ないじゃないか。すごく変な感じがする。
ただ、さっきよりも好き嫌いで評価するのも悪くないかもと思える。
僕も下駄箱に向かって歩きだした。
次の学期。僕は各担当の先生達に聞いてみた。どういう風に評価を付けているのかを。そして判明した。この学校の教師はなんと全員が好き嫌いで評価していたって事だ。そして先生達はみんな好みが違ったのだ。
国語の先生は、授業をよく聞いてくれて、感情豊かな生徒が好きだ。数学の先生はテストの点数が高い生徒が好き、それ以外は全く興味が無い。社会の先生は一生懸命取り組む生徒とマニアックな生徒が好きだった。英語の先生は面白い生徒が好きらしいが、何を面白いと思うかはよく分からなかった。
みんな結構癖がある。本当にこれでいいのかとも思う。でも先生達は、好き嫌いと、ダメとか正しいとかは別ものだって言っていた。僕は今までより先生達と打ち解けたように感じている。
僕はなるべく先生達の好き嫌いに合わせて、今学期の授業に取り組んだ。次の通知表がとても楽しみになる。
しかし問題はやっぱり理科だ。僕は理科なら勉強を頑張れる。頑張りたいのだ。いい成績も取りたい。でも理科の先生の好き嫌いがいまいちよく分からない。僕はまた職員室の先生を尋ねた。
「先生。最近の僕、どうですか?」
「おうそうだな。宿題も小テストもよく出来てるし、授業も積極的に発言してて頑張ってると思うぞ」
「テストの勉強も今から頑張っているんです。通知表も期待していいですか?」
「うん、楽しみしてるぞ。ただ、通知表の評価は……、まあそれは全部終わってから決めるもんだ」
「……わかりました。よろしくお願いします」
僕は職員室を出た。先生の僕への態度を見るに、好感を持ってそうではある。ただ、通知表の評価はちょっとはぐらかされてしまった。手ごたえと不安を持って僕は期末テストに臨んだ。
テストが終わり、またこの日がやって来た。通知表を受け取る日。今学期は先生達の好き嫌いに合わせて行動してきた。きっと評価が上がっているだろう。楽しみだ。
「山田ぁ」「はい」
教壇で通知表を受け取る。席に戻って通知表を開いた。
「国語 4」「数学 3」「社会 4」「理科 1」「英語 4」「音楽 1」「美術 4」
「やっ!……」
また声を出してしまった。やった!と言いかけた。嬉しかったのだ。通知表を開いてブワッと「4」という数字の多さが目に飛び込んできたのだ。そりゃ嬉しいさ。教室のみんながこっちを見ているのを恥ずかしく感じないくらいに誇らしい気分だ。しかし――
「んなっ?!」
またまた声が出た。もう周りの視線が完全に気にならないくらいに動揺した。「理科 1」だなんて。あんまりだ。理科のテストは87点だった。授業の態度だって純朴な好青年風で通したはずだ。いったいなんなのだ。
「ひっ!?……」
なぜ「音楽 1」なのだ。髪型はそのままじゃないか。キーホルダーも変えていないぞ。
僕はもう「4」が4つという快挙などどうでもよくなった。ただ理科と音楽の評価に混乱する。どうして「1」なんていう評価になるのか理由が分からない。
授業が終わって下校の時間になった。僕は、真っすぐ職員室に向かう。
職員室の扉をガラガラっと開ける。職員室の中、狭い通路を進む。理科の教師の前。
「橋本先生!どうして1なんですか!」
先生は、落ち着き払った態度でゆっくり僕に向く。僕の動揺とはうらはらに。
「おう。山田。通知表のことか?」
「そうです。1っておかしいじゃないですか。理由を説明してください」
「理由ってさ、そりゃあー。嫌いだからだよ」
「先生はテスト頑張るとか勉強頑張るのはいい事みたいに言ってたじゃないですか?」
「そらお前、俺は学校の教師だから。勉強させるのが仕事だから。まあいいんじゃないか勉強は絶対将来役に立つよ」
「じゃあどうして評価しないんですか?僕が勉強するかはどうでもいいって言うんですか?」
「……。あのな……。お前が勉強してるのはさ、特に理科をよく勉強してるのはさ。お前がそれを好きだからじゃないのか?好きなんだろ、理科の勉強?だったらそれでいいじゃねえか。自分のそういうのは、大事にしろ」
「…………。んーじゃあ、先生の好きを教えてくれませんか?」
「そりゃわからんよ。自分でも説明できねえよ。それに俺がこういうの好きとか言ったら、お前それやるだろ?だから気にすんな、大した事じゃねえんだ通知表の評価なんか。どうでもいいのは勉強じゃなくて、俺の評価なんだよ」
先生は俺の肩をぽんぽんと叩いた、そして俺を職員室の外まで送っていく。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
先生は職員室に戻った。
僕はしばらくその場にぼーっと突っ立ていた。
コツコツと靴音が聞こえた。音楽の浅井先生だ。浅井先生は今学期から銀縁のメガネをかけている。こちらに向かって歩いてくる。僕は密かに音楽も結構頑張っていたのだ。楽器の演奏も前回より上手くできてたはず。しかし「1」だった。
「こんにちは、山田君。さようなら」
「浅井先生。通知表、1だったんですけど、どうしてなんですか?!前回5だったのに」
「うーん、そうねえ。私の好き嫌いっていうのはね、変わるものなのよ」
銀縁のメガネの奥はいつものように優しい目だった。僕が評価に落胆している事などまるで気にしていないようだった。何かを言っても意味が無いように思えたから、ただ先生の笑顔を眺めていた。
「それじゃあ、春休み、楽しんでね」
先生は職員室に入っていった。
僕は踵を返して下駄箱に向かって歩き出す。
みんな結構勝手な人たちなんだなと思った。
<了> 蜜柑プラム