07 追いかけっこの始まり
「誰?」
ティーゼリラが心底不思議そうにそう呟くと、見上げた先の眉目秀麗な青年の瞳が揺れた。
ショックを受けた様子ではあったが、上着を脱いで下着姿のティーゼリラを包み込んでから部屋の中に促した。そして、ティーゼリラに背中を向けた後に、気まずそうに告げる。
「すみません。何か着てください。そうでないと、私の理性が……」
最後は、小声でごにょごにょとそう言った青年の言葉で自身の姿を思い出したティーゼリラは、ひゅっと息をのんだ後に慌てて手近なところにあった、適当なドレスを身に着けた。
さっと、身なりを整えた後に、背中を向いたままの青年に向かって声をかける。
「もういいわよ。それで……」
不審そうな眼差しで、紳士的な振る舞いをしていた青年にそう言うと、ティーゼリラの方に向きなおった青年が口を開いたのだ。
「そう……ですよね。ティーゼリラ様を悲しませた私なんて……、もうお忘れですよね……」
泣きそうな表情をしたのは一瞬で、ティーゼリラが瞬きをした時には、きりりとした女性が見たら胸が高鳴るだろう表情になった青年が片膝をついて挨拶の言葉を口にした。
「ティーゼリラ様。ディーディライン、ただいま戻りました。これからは、文官として、アメジシスト王国のためお仕えいたします」
片膝をつき、頭を下げた栗色の頭の旋毛を見つめながら、青年の言葉を口の中で反芻していたティーゼリラは、小さく悲鳴を上げることとなった。
「ディ…ディーディライン?! えっ? 嘘? だって……」
目の前で跪く麗しい青年と、記憶の中にあるモチモチの少年が結びつかないティーゼリラは、目を丸くする。
それを見たディーディラインは、微かに微笑みを浮かべて、見るものをときめかせる様な甘い笑みを浮かべる。
その笑顔に胸がドキリとしたティーゼリラだったが、それどころではなかった。
ディーディラインの近くに座り込み、早口に言ったのだ。
「ディー? 本当にディーなの? お肉は? お肉はどこに落としてきたのよ!」
そう言って、体中をペタペタと触っては、「お肉~」と騒ぎ出したのだ。
ディーディラインとしては、心を寄せる女性に触れられる嬉しさ半分、今まで自分は愛しい相手に「肉」と認識されていたことにショックを受ける。
しかし、そんなことを一切表情に出さないディーディライン。
ひとしきり、ティーゼリラの細く華奢な指の感触を味わった後に、やんわりとその手を握って言うのだ。
「ティーゼリラ様。私は留学先で変わったのです。以前の肉の僕ではなく、変わった今の私を見てください」
決して、今まで肉として見ていたわけではなく、以前と比べて激やせしているディーディラインを心配しての発言だったが、それが伝わることはなく、こうして再会してすぐに二人の気持ちはすれ違ってしまったのだった。
それから、毎日のようにティーゼリラの元を訪れるディーディラインとそれから逃げるティーゼリラの追いかけっこが始まった。
昔から王宮に務める者たちは、その二人の以前とは違った様子に最初は驚いていたが、すぐに微笑まし気な表情で見るようになっていった。
そう、ディーディラインが留学に行く前は、ティーゼリラが追いかけて、ディーディラインが慌てふためくというのが定番だったのだ。
それが、現在は麗しい青年に成長したディーディラインが、ティーゼリラを追いかけ、追いかけられるティーゼリラがあたふたとする様はとても微笑ましいものだった。
ただし、娘を大層可愛がっている国王は面白くなかった。
第一王女はいろいろと問題の多い女性だったため、嫁いだ際も「破天荒なあの子を受け入れて結婚してくれるなんて流石獅子王だ」と胸を撫で下ろしたのだが、ティーゼリラは違った。
息子どもは嫁一筋というか、嫁バカ。嫁いだ娘は、旦那バカ。誰も父親である国王をかまってくれないのだ。
いや、息子どもに構われるとそれはそれでうざいのだが……。
そんな中、第二王女のティーゼリラは、小さいころから国王に良く懐いていた。
ただし、ディーディラインに出会うまでという注釈はつくが。
下の双子の王子と末の王子もいろいろと問題のある子供で、ある意味安心して見ていられるのがティーゼリラだけだったとも言えた。
その反動なのか、子供たちの中でティーゼリラを特に溺愛していた節のある国王だった。
ただ、娘の幸せを思う心は本物で、大切な娘に近づく糞虫に見える男だろうと、ティーゼリラを本当に心から愛していることや、その胸の内にある覚悟を理解している国王は、苦い表情ながらも二人の無意識下のイチャイチャ追いかけっこを王宮内で繰り広げることを黙認していたのだった。