出立
ここでこの国の事を少し説明しておこう。
アルキ王国は広大な領地をもつ王国の一つだ。領土の周りを山々に囲まれていて、どこからも攻めて来にくい立地ゆえ他国との戦争も少なく、平野が広がっており、海はないものの農耕も商業もさかんな事から、内戦もなく、豊かな王国になっている。
国の北寄りにあるここ王都は、国王の住む城が北側の街の奥に位置している。城の後ろにはガイネたち身内のすむ屋敷、さらにその後ろには騎士団長の屋敷があり、北からの侵入者に備えている。
城の左右には国の政治を王と共に支える宰相と、それらを補佐する秘書官がそれぞれ屋敷を構え、いつでも招集に対応できるようにしている。
さらには城から南にむかって、街を取り囲むように軍務長官、徴税長官、儀典長、外務長官などの屋敷があり、それらを囲むように外壁がそびえたち、さらにその中に城下町が出来ている。
学院はその広大な街の南に位置している。
外壁には東西南北の城門があり、北は狭く、南は大きな城門になっており、メイン街道がまっすぐ城まで続いている。これでは南門から攻められたら一直線で城にたどり着きそうだが、道の中央には一定間隔で噴水や様々な像が設置されており、彼らの行く手を阻める作りとなっている。また、王都の上半分は外壁の外に森が広がっており、さらに攻め込まれにくくなっている。
この城門から伸びる大きな道の両側には様々な商店が立ち並ぶ。道に寄って東西南北に分けられたそれぞれの区画には、庶民の家々がある。役人たちの屋敷には及ばないものの、商人たちの屋敷も大きい。さらには裁判所、冒険者ギルド、商人ギルド、病院、教会などもある、国内最大の都市なのだ。
学院にはこの街に住む役人、庶民のほかに、領地にあるそれぞれの地方を治める貴族たちの子息令嬢も通っている。馬や馬車で通える範囲のものはそうしているが、遠いものは学院の裏手に作られた寄宿舎で生活をしている。寄宿舎と言っても、2階建ての家がそれぞれ建っており、そこに令息・令嬢と彼らの家政婦、侍女、従者、執事、料理人、護衛なども一緒に住んでいる。
ガイネはもちろん屋敷から通っていたが、クライネが名をかたったフレーテ男爵は、領土の南東の端を治めている。そこにも領主の屋敷を中心に街が栄えているが、規模は大きくはない。そこからこの王都までは片道馬車で2週間。通うのは無理なので、彼女もこの寄宿舎に住んでいた。もちろん従者たちも一緒に。
王都の学院は小学部、中等部、高等部、大学部に分かれており、高等部までは授業料と教科書、制服は無料だ。ノートと筆記用具さえ買えれば誰でも入学できる。
ゆえに絶対数の多い一般市民の方が多いし、この国の豊かな人材は、この学園のお陰と言える。
貴族はいくら寄宿舎があっても、小さいうちは誘拐や暗殺などの危険が高く、王都周辺に住むもの以外は通ってこない。もともと貴族の子供自体が少ないのもあり、ゆえに小学部には全学年合わせても10人程度しか生徒はいない。
中等部になると、早めに社交界にならそうと通えなかった貴族の子供が寄宿舎に入るので、さらに5人程度増える。
高等部から入ろうという貴族の子供は、体が弱いなどの問題で家から離れられなかった者だけとなる。
ただし、今の中等部~高等部までは例年よりも生徒が多かった。王族のガイネがいるせいだ。
せっかくなら近い学年で王太子と知り合いになり、その後も役職に着こうとする令息たちと、あわよくば婚約者にと夢見る令嬢──正確にはそれを狙う彼らの親たち──がいるからだ。
王族が生まれる前後には貴族の子供が増える。これもいつの時代でも変わらない事だった。
さて王都の広さはというと、南門からの大通りを歩くと城まで3つ時半ほどかかる。だ円状に配置されているので、東から西までは3つ時ほどだ。そしてその中に一般市民の住居と店がひしめいているのだ。
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ガイネとブラッチェは部屋を出ると、屋敷の玄関に向かった。服装からも出立するのが一目瞭然だが、使用人たちは二人を見ようともせず、だれも立ち止まりも礼もしない。
俯きそうになる頭を必死に上げて、ガイネは玄関まで早足で歩いて行くと、一度だけ、振り向いた。
玄関周辺には多くの使用人たちがいたが、全員が忙しそうに動き、やはり誰もガイネを見ない。一緒に住んでいる弟さえ、出てこない。
ガイネは誰も見ていないのを知りながらも、内部に向き直り、ゆっくりと一礼し、姿勢を戻すとマントを翻して屋敷を出た。
そこからはブラッチェが先を歩き、屋敷の右側に進んでいく。屋敷から街へ出るには、来た時のように城を経由するか、脇の通用門を使うかになる。今回は正面から出るのではなく、秘書官屋敷を通って出るのだとブラッチェが言った。右側通用門は秘書官の屋敷に通じており、内側門を警備する近衛にブラッチェが話をして、秘書官屋敷側の近衛に話をつけてもらい、庭を通らせてもらって秘書官屋敷の正面門から城下町へと出た。当然勝手に庭を通り抜けられるわけはなく、その許可も今朝のうちにブラッチェが取っておいてくれたそうだ。ガイネは考えてもいなかったので、また自分の判断の甘さに打ちひしがれていた。
門の正面は中央メイン道路から一本ずれた大通りになる。中央ほどではないがそこそこ広い道路には多くの人が歩いていた。何人かは秘書屋敷から出てきた二人を見たが、無反応で通り過ぎていく。
ガイネが街に出るのは、学院への往復と、王族も出席する祭や式典などのみだ。それも馬車か馬で、さらに護衛に囲まれての移動なので、直接歩いて移動するのは初めてだ。
だがガイネの顔は王都では知られている。式典などのたびに馬車から顔を見せて手を振ったし、城で開催される剣術大会にも参加した。18歳以下の部での優勝は、騎士団に入る前は毎回ブラッチェだったし、ガイネも頑張った。ただしガイネは中等部以降は準決勝以上には出ていない。対戦相手が皇太子に怪我をさせてはと余計な気を回すし、実際にガイネが大怪我をしても困るからだ。それ以上の配慮はないから、一回戦から一般市民とも対戦してきた。
美術館や音楽劇場でも護衛に囲まれていたとはいえ、普通に観覧、観劇していたし、王立図書館の常連でもある。そこそこ一般市民とも交流はあったのだ。それにお触れでガイネが廃嫡されたとなれば、話題にもなっているに違いない。
そんな中を見世物のように歩くのは嫌だ。今も屋敷で散々無視されてへこみまくっているのに、これ以上市民に何か言われたら立ち直れなくなってしまう。
「なあ、ブラッチェ。馬車を使おう」
「お前な。馬車は使えないと宰相に言われただろうが!」
「それは城のだろう? 誰でも使える貸し馬車があるじゃないか。それで門の外まで行こう」
そうガイネが言うと、ブラッチェは額に手を当てて、深くため息をついた。
「お前なあ、追い出される人間が馬車だと?」
「いやだって、今から歩いたら門を出た辺りで暗くなってしまうじゃないか!」
「だから明日にしようと言ったのに、今から出て行くと言ったのはお前だろうが! まさか最初から馬車に乗るつもりだったのか!?」
むしろ乗らないつもりだったのか!? とガイネが驚けば、ブラッチェはまた深くため息をついた。
「追い出されたヤツが優雅に馬車に乗るとか思うかよ……。まったくこれだから世間知らずは!」
「……」
親友でもあるブラッチェにそう言われると、ガイネはまた自分が考えなしな事をしてしまったのかと、悲しくなってしまった。
「……分かった、歩くよ」
重い足取りで、重い荷物を背中に背負って、ガイネはトボトボと歩き始めた。
「そっちじゃない、こっちだ!」
すぐにブラッチェに腕を引かれて、方向を変えさせられたが。
まだ7つ時のこの時間は、日も高く、多くの市民は仕事時間だ。
アルキ王国では1日を12の時に分けている。3つ~3つ半くらいで夜が明け、4つ~4つ半で学校や仕事が始まる。6つ時にご飯を食べ、8つ時を過ぎると学校が、9つ時には仕事が終わる。11の時には朝が早いものは寝る。ガイネは宵っ張りな方だったから、12の時過ぎにならないと寝なかったが。
スタスタと歩くブラッチェの後ろをトボトボと歩くガイネだったが、ブラッチェは程なく止まった。
「ガイネ、レベルを上げるためにも、冒険者協会に登録をしないとな」
「僕はもう登録しているぞ? ほら、昔、剣の修行をした時に、一緒に登録しただろう?」
「ああ……。そうか、俺は騎士になるときに冒険者登録を破棄したからな。お前はそのままだったのか。なら俺だけ登録しなおしてくる。お前はここで待っていてくれ」
「分かった」
小さい時にガイネも剣の手ほどきを受けた。その時に魔物を狩るときには必需と、冒険者協会に登録をしたのだ。
王都を南に出ると、平野が広がっている。そこにはスライムくらいしかいないが、子供にはそれで十分だ。だがどんな生物でも乱獲や虐殺してはいけない。そのために子供でも、魔物を倒して経験値を手に入れたい場合には、冒険者協会に登録をして、正式に依頼を受けてからとなる。
今のガイネは、今ここで何らかの依頼を受けたとしても、もうこの王都に戻ってくることは出来ないから、中に入る必要がない。ブラッチェも小さな町では冒険者協会もない場合があるので、ここで登録しなおしておいた方がいいが、依頼を受ける気はない。
この秘書官邸を出た通りには、冒険者協会や、商人協会、武器屋に防具屋が並んでいる。城へとつながる大通りには食品を扱う商店と飯屋、土産物屋に宿が多く、一日中賑わいを見せているが、こちらはそうでもない。王都の武器、防具は高レベル品も取り揃えられているが、王都周辺自体にはさほど強い魔物などが出るわけではないので、武器マニアの貴族が買うか、初心者が装備を整えるのに使うか、冒険から戻ってきてレベルが上がった冒険者たちしか利用しないのだ。
ガイネもブラッチェも装備は揃っているから冷やかそうとも思わない。それでもただ待っているのもヒマなガイネは、ふらふらと周辺を歩き回っていた。
「おい! ガイネ! 入口でまっていろと言っただろうが!」
「……ああ、ごめん。暇だったから」
王都を自由にぶらつくなどしたことがないから、物珍しくて、と上目遣いで言うガイネに、まあ無事だったからいいけどよ、とぶっきらぼうに答えて、ブラッチェは気が付いた。
「おい、これ……」
ガイネがいたのは、国王が出したお触れを貼った掲示板の前だったのだ。
「うん、本当に今回の事が書いてあるんだね。皆には本当に悪い事をしたよ」
悲しそうな顔でお触れを見ているガイネを、ブラッチェは乱暴に引っ張った。
「起きてしまったことは仕方がない。さっさと行くぞ。早く王都を出ないと日が暮れてしまう」
王都の通りは基本的に、大通りが真ん中で仕切られていて、城に向かって左側が北に、右側が南に向かう馬車と馬専用となっている。その両端に徒歩専用の通路が作られている。今いる通りは片側が馬車が1台ほどが余裕で通れる大きさだ。中央は2台が並走した上に馬も並べる広さになっている。
その歩道を南に向かって歩き始めた二人だったが、直ぐに後ろから来た馬車に追い抜かれたと思ったとたんに、その馬車が停まって声を掛けてきたのだ。
「そこの二人、乗れよ」
「え?」
見れば見慣れた御者が仏頂面でこちらを見ていた。彼はガイネを毎朝毎晩、学園まで送り迎えをしてくれた御者の一人だ。
「でも、僕は馬車を使ってはいけないって……」
ガイネの呟きに、御者はチッと舌打ちをした。そんな事を元とはいえ主人にするなんて、と地道にガイネは衝撃を受けた。
「買い物のついでに乗せてやるだけだ! ……早く乗れよ! 鈍くせえなあ!」
「え……」
御者の罵倒やその態度の衝撃に、呆けてしまったガイネの腕をブラッチェが強引に引いて馬車に乗り込み、ブラッチェがドアを閉めると同時に馬車が走り出した。
整備された路面を、馬車は快適に走っていく。通学用に使っていた馬車は貴族用ではあるけれど華美さを押さえたものだった。今乗っているのは、従者用の質素な馬車なので、座面がいつもより硬い。それでも歩くのとは比べ物にならないほど速い。
いつもの大通りとは違う路並を、ガイネは何も言わずに窓から眺めていた。
時間ですが、1つ時は2時間の設定です。半時が1時間。読み方はひとつとき、ふたつとき~ ここのつとき、じゅうのとき、じゅういちのとき、じゅうにのとき、となります。
レポートなどようやく提出物終わったので、投稿します。年内にもう一話は上げたいです。