出立準備1
短めです~。
夜が明けて、部屋の中にうっすらと明かりが差してきた。
騎士団で鍛え上げられているブラッチェは、毎朝の習慣も相まってぱちりと目を覚ました。薄暗い中で時計を見れば、ガイネが起きる時間にはまだ余裕がある。
そっとベッドに近寄って様子を見ると、ガイネはまだ寝ていたが、たった一晩で眼の下にクマを作っている。精神的なショックもあって、予想以上に体力を消耗していたのだろう。頬に乗せたハンカチは両方とも落ちていたが、多少なりとも冷やしたおかげか腫れてはいないが、多少の赤みは残っている。だがこんな程度なら問題はないだろう。
大体が積極的に行動を起こすような人ではないのだ、ガイネは。オッタヴィーノ嬢にいじめられても反撃も出来ないほど、よく言えば優しく、悪く言えば臆病なのだ。
それがクライネを守りたいと行動を起こした。自分は近くにいなかったけれどもそれは耳に入っていた。その時に聞いた話では、いじめられていたクライネをガイネが助けてから仲良くなった、という程度だったのだ。珍しいことがあるものだと、ガイネも少しは大人になったのだろうかと見守りモードに入ってしまったのも良くなかったのだろう。そしてその後、ブラッチェも騎士団の仕事が舞い込み、あまり話をする時間もなかったのが不運だった。
ずっと一緒にいて一番ガイネの事を知っていたのに。一応、婚約者がいるのだから女性と仲良くなりすぎるのはどうかと思うと忠告はしたが、ガイネは色恋に惑わされるタイプではないから大丈夫だろうと、と軽く考えていた。自分も側近失格だ。
せめてもの罪滅ぼしではないけれど、この国を出る事になってしまったガイネに、してやれることは全部してやりたい。
食欲もないだろうが、この城を出てしまえば次はいつまともな食事にありつけるか分からない日々が始まるのだ。せめて今日くらいはしっかり食べさせてやろう、とブラッチェは厨房に頼むべく、部屋を出て行った。
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「おいガイネ、もう起きろ」
「うん……?」
肩をゆすられたガイネがゆっくりと瞼を開く。目の前に怒ったような顔のブラッチェをみて、慌てたように言った。
「ああ、昨日はすっかり任せてしまって、さっさと寝てしまって悪かったよ。もう迷惑をかけないようにと思ったのに、この体たらくだ……」
「……そんなことはどうでもいい。早く起きてくれ」
「うん」
ガイネは腫れぼったい瞼を少しだけ擦って、重そうに体を起こした。
「今、何時だ?」
「もう8時だ。朝食の用意も出来ている」
学院へ行く時は7時半に起床だから、一瞬遅刻だ、と思ったがすぐに、もう自分は学院を退学したのだったと思い出し、大きくため息をついた。
「もう少し早く起こしてくれても良かったんだけど」
「今後は日没とともに寝て、日が昇ると共に起きる生活が中心になる。惰眠を貪れるのも最後だろうから」
「……そうか、そうだね、ありがとう」
ガイネは言いながら布団をはいでベッドから降りた。
「持っていく服は適当に見繕ってみたから後で選んでくれ。荷物も必要そうなものはまとめてある。だが先ずは食事が温かいうちに食べてしまおう」
「ありがとう。あとでちゃんと選ぶよ。あと、今日は迷惑をかけてしまった人たちに謝罪の手紙を書きたい。その後に街に行って、当面の食糧とポーションなども買い込みたい」
「買い物は俺が行っておく。お前は出来るだけ屋敷を出ない方が良いから。……その、お触れが出されて、結構話題になっているんだ」
テーブルに着きながらガイネは力のない目でブラッチェを見た。
「そうなんだ……。クライネ嬢は、どうなっているんだろう?」
ブラッチェはガイネの座った上座から1つ椅子を開けた横に座った。部屋で二人で食べるときはいつもこの位置なのだ。
「3日後に処刑が決まった。馬に乗せて市中を見世物として回したのちに、ギロチンでの処刑だそうだ」
「女の子なのに引きまわされるのか……」
「男なら馬の後ろに縄で縛りあげて、城下街中、文字通り引きずりまわさられてから一日磔にされたのちに、斧での打ち首だろうな。そしてその首を城門付近で腐るまで晒すだろうよ。磔にされているときに鳥に突かれて目の玉抜かれるとか、肉をついばまれる恐怖と痛みつきでな」
「……そうか」
「お前を魅了魔法でたぶらかして、国家転覆を狙ったんだ。むしろその程度で済んだのは幸運だと思うぜ」
「……そうだな」
暗い話題はここまでだ、とブラッチェは言って、二人は静かに食事を始めた。
食欲がないだろうと、ガイネ向きに料理人が作ってくれたのは、ゆるいリゾットと肉入りスープ、デザートに果物という質素なものだったが、元々小食気味なガイネにはちょうど良かった。ブラッチェが扉を開けて侍女を呼ぶと、またもや彼女たちは扉の所での礼はするものの、あとは一言も発せずに食器類をもって下がっていった。
続いて従者が二人入ってきて、ガイネの着替えを無言で手伝い、彼らも礼だけして去って行く。
ガイネはそれを悲しそうに見送ると、昨晩のうちにブラッチェが用意しておいてくれた服を選びに入り、ブラッチェは手紙の用意をして、旅の用意をすべく城下町に出かけて行った。
普段の学院が休みの日は家庭教師が来て、朝から帝王学の講義が始まる。だがそれももうない。それに誰も部屋に来ない。静かな部屋のなかで、ガイネは服や靴を選び、ブラッチェの用意した袋のそばに置いた。後で見分に来るのだ、袋に入れても出されるだけだ。二重の手間は省きたい。
それから手紙を書き始めた。父親である国王に、母親である皇后に、弟に、元婚約者だったオッタヴィーノ嬢に、家庭教師たちに。学園の園長にも書いたし、ブラッチェをはじめとする警護隊に。そうしてこの屋敷の使用人に。今までの礼と、謝罪を心を込めて。
最後にクライネ嬢に。自分に処刑を止める力はないけれど、せめて極力苦しみのないようにしてほしいと国王へ訴えておいた。実現してもらえるかは分からないけれど、そのように願っていると。
きっと尋問もされるだろうから素直に供述してほしい。そうすれば減刑してもらえるかもしれないからとも。最後に、あなたに死んでほしくはないのだと心からの一文をくわえて。
書き終わって一息つくと、いつの間にか昼食が運び込まれていた。すでに冷めているからだいぶ前に持ってきてくれていたようだ。集中していたから全く気が付かなかった。
いや、気が付いてはいた。だが手紙を書くことに集中していたので認識していなかったというか、無意識で全力でスルーしていたというか。
ああ、こういう高慢な態度がいけなかったのか。ちゃんとありがとうと伝えなかったから。
昨日から誰にも口を聞いてもらえないほどに屋敷で働く皆に、嫌われていたのか。
また沈み込む思考を、頭を振ることで振り払い、ガイネはテーブルに着いた。
ガイネの好みの甘いスクランブルエッグ、好みの野菜がたっぷり入ったスープ、麺料理はのど越しも良く、トマトソースがよく絡んでいて本当に美味い。ガイネ一人分しかないから、ブラッチェは昼食を断ってから出かけて行ったのだろう。いつもなら侍女が周りにいてくれて、メニューについて程度だが多少の会話もあったのに、今は誰もいない。完全に一人で静かに食べる食事はとても寂しかった。
だがこれからはこれにも慣れなくてはいけない。
街に行ったブラッチェが旅に必要なものを買ってきてくれるのは嬉しいが、彼より非力な自分が持てるだけの分量にしてくれるといいなあと思いつつ、静かに食事を終えたガイネは、荷物整理に入った。
部屋の物は、使用人たちが欲しいのものがあれば貰ってほしい、という書置きも作った。許可してもらえるかは分からないが、そんなに高価なものはないので、きっと大丈夫だろう。
持っていく剣と、アミュレット、マントや服、銀行の札、荷物を入れる袋をいくつも。下着にタオルに、と確認をしていると、扉をノックされてブラッチェが入ってきた。
「買ってきたぞ。……荷物整理、出来たようだな。ほら、当面の食料とポーションを中心にしてあるぞ」
「うん。大体はできたよ。あとはそれをくわえるだけだよ。それから、持ち物検査で承諾が出たら、すぐにでも街をでる」
「おい、あと一晩あるんだ、急がなくてもいいんじゃないか」
「そうかもしれないけれど、城下町にお触れが出ているのなら、僕が追放されるのを皆知っているんだろう? 本当はその時の罵詈雑言を受けるのも、罰の一つなんだろうけれど、今の僕には耐えられそうにないんだ。それに大騒ぎになれば、けが人が出るかもしれない。だから皆が待ち受けていない、今日のうちに出て行きたいんだよ」
「……そうか。それを含めて許可が出ればそうしよう」
「うん。じゃあ帰ってきたばかりの所を悪いけれど、検閲の人を呼んできてくれるかな」
「分かった。呼んでくる」
ブラッチェが出て行くと、直ぐに買ってきてもらった荷物を確認した。さすがブラッチェだ、ガイネが持てる程度の食料とポーションが入っている。
「食事が2日分かな。確か次の街まで歩いて1日だから、迷っても安心だな」
城下町をでた辺りに生息するモンスターは、定期的に警備兵たちが見回ってくれているので、出会うのはスライムと呼ばれる軟体生物がほとんどだ。子供でも狩れるから、冒険者や剣士になりたい子供、初期経験値を稼ぎたい子供が狩場にしている。
ガイネも小さい頃、ブラッチェと一緒になって狩ったことがある。そんな程度なら襲われてもポーションなど必要ないが、ポーションはどの街でも手に入るわけではなく、また街によって価格も違う。ここのような大きな街はそれなりに安いが、小さい街では高いから、今のうちに買っておくに限る。
そうか、服だってそう簡単には買えなくなるのか。ならばもう少し用意したほうが良いかな。
ガイネはさらにクローゼットを漁って、旅に来て行けそうな服を取り出した。
仕事とレポート書きがあるので、次の投稿は少々開きます。よろしくお願いいたします。