王子は反省する
ソファに横になっているうちに、ウトウトしていたらしい。気が付けば窓の外は暗くなっており、時計を見れば食事の時間だ。いつもなら食堂の用意が出来ました、と侍女が呼びに来るのだが、今日は部屋に食事が持ち込まれた。持ってきた侍女も仏頂面で、ぶっきらぼうにお食事です、とだけ言って入室し、ブラッチェの分も合わせて二人分をテーブルに置いて、早々に部屋を出て行ってしまった。
勝手に入ってきて勝手に出て行くという無礼な行動だったが、それを咎める気力もないガイネは、ブラッチェに促されてのろのろと立ち上がり、のろのろと食事を始めた。落ち込んでいても腹は減る。しかも今日は朝食を食べたきりなのだ。食欲がないなりにフォークとナイフを動かしていれば、いつもより少ない食事をいつの間にか完食していた。
しかし食べ終わっても茶を入れてくれる侍女もいない。湯とティーポットは用意されていたから、ブラッチェが二人分淹れてカップをガイネの前に置く。無意識にそれを飲んで、ソファに戻ってまたもや横になるガイネ。
今日何度目だろうか、ため息をついたブラッチェはドアの外に侍女を呼びに行き、食器を片付けてもらう。その間も侍女たちは一言もない。入り口で無言で礼だけして下がっていった彼女たちを見送り、ブラッチェは衣裳部屋に移動して衣装選びに移った。
この屋敷の部屋は、皇位継承者向けとしては質素な作りだ。普通の貴族子息の部屋なら寝室にバスルーム、衣裳部屋、応接室を兼ねた執務室があるはずだが、王族にも庶民感覚が必要だという考えから、バスルームと寝室、執務室しかない。
そうは言っても庶民には一人に一つのバスルームなんかあるはずがないし、バスルームの広さで家族2~3人暮らしている人もいるわと激怒されそうだが、貴族や王族の常識から考えたら驚くほど狭いし、部屋数も少ないのだ。
衣装はその寝室の壁一面がクローゼットになっていてそこに納められている。
そのクローゼットを開けて、ブラッチェは腕組みをした。
先ずはこの城下町を出なくてはいけない。その後は狩りや依頼を引き受けて路銀と経験値を稼ぎながら移動して、一番近くの隣国に向かうしかない。どこの国へ向かうにしても歩いて行ったらひと月以上はかかるが、一年以内に国を出ればいいのだから、レベル上げでもしながら移動することになるだろう。
レベル100になったら国に戻っても良いのだ。冒険者協会に登録して、ガイネがまじめに協会任務に取り組み、また狩りをして行けば、ガイネが望めば遠くない未来にはこの国に住むことも出来るだろう。
この国はずば抜けて平和なのだ。この200年ほどは隣国との戦もない。国内でも、この100年は国王暗殺はなかった。未遂はいくつかあったが。それは国内外での戦争を繰り返している隣国と比べたら、全くの平和というしかない。隣国が戦に明け暮れているから、こちらまで手を出してこれないという事もあるのだが。
出来るだけ長く国内に滞在して、隣国に行くにしてもこの国に近い山や森の中などに居を構えて、内戦に巻き込まれないように、ひっそりとレベル上げをしながら暮らしていくのが良い。そうしていればレベルは上がるのだから。
それに将来、弟君が国王になれば、恩赦でもっと早く国内に戻れるかもしれない。まあそんな幸運を祈るよりは、まじめにレベル上げをするに限るな、とブラッチェは思いつつ、移動に適した服の組み合わせをあれこれと部屋の隅に並べ始めた。
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ガイネは夕飯のあとソファに倒れ込んだまま、本格的に眠ってしまっていた。
そこで見た夢は先ほどのダンスパーティでの出来事だった。そこで何度も何がいけなかったのだろうと自問自答を繰り返す。もし婚約解消をしなかったら? しかし自分に待つのはDV地獄だ。クライネの窮地を無視する? 人として無理だ。自分が皇太子でなかったとしても、あれを見たら自分は助けようと動く。
あれ自体が嘘だったと見抜けなかった自分がいけない? そうだ、結局は自分がいけないのだ。愚かで考えなしで、ただのお人よしになり下がった自分が。
きっとオッタヴィーノ嬢が自分にDVするのも、自分が頼りない上に、愚かで考えなしだからだ。皇太子の器などではなく、人として落第なせいだ。
屋敷の誰もが自分を無視するのも、今までの行いが悪かったせいだろう。自分では意識していなかったけれど、彼らに嫌われるような行動を取っていたのだ。学院でも昨日までの友人に罵声を浴びせられたではないか。自分は友人だと思っていたけれど、それはきっと皇太子の身分を無意識にひけらかしていた結果、仕方がなく従ってくれていただけなのだろう。
学院の実技ももしかしたら忖度されていたのかもしれない。剣や格闘技など、ブラッチェには及ばないが、そこそこ出来ていると思っていたのだが。
ああ、自分は所詮、井の中の蛙だったのだ。皆が忖度してくれ、特別扱いしてくれた結果、そこそこ優秀だと勘違いした、ただの愚か者だったのだ。
お父様が怒るのも無理もない。王族なら魅了魔法と毒殺に対抗する手段を身に着けるのは当然なのに、そんな初歩的なことも出来ていなかったのだから。
皆に軽蔑されるのも当然だ。いままで威張っていたのに、実際は何もできない愚か者だったのだから。
クライネが隣国のスパイだったのなら、自分の軽率な行動のせいで、この平和な国を脅かすことになっていたのだ。処刑されずに生きていられるだけでも奇跡だ。そこは身分を忖度してくれた結果に感謝するしかない。
DV嬢だろうが、婚約解消を突き付けるという暴挙で、流石に傷ついたであろうオッタヴィーノ嬢にも謝らなければならない。許しを請おうとは思わないが、せめて手紙を書かせてもらおう。今日の謝罪と今まで世話になった礼を。
そうだ、欲しがっていたガラス細工の置物も譲らせてもらおう。今さら要らないと投げつけて壊されるかもしれないけれど、それで少しでも鬱憤が晴れればそれでいい。
今後はもう誰にも迷惑をかけることのないよう、これからはひっそりと生きて行こう。
城を出れば世間を知らない自分はきっと途中で野垂れ死ぬだろうけれど、罪深き自分には似合いの最後だ。
そうだ、3日後と言わずに明日にでも用意ができ次第、出て行こう。
ああ、ブラッチェにも礼を言わないといけない。今まで側にいてくれたこと、今も自分の代わりに動いてくれている事。
本当はちゃんと自分で用意したいけれど、どうにも体が動いてくれない。最後のわがままだから、今日だけは我慢してほしい。もうこれが最後だから。
さようならお父様とお母様。愚かな息子でごめんなさい。僕の事は忘れてください。
ああ、フィアッティがいてくれてよかった。誰もが優秀だと認める彼ならば、僕よりも立派に勤めを果たしてくれるだろう。
クライネはきっと処刑になってしまうだろうけれど、彼女にも手紙を残したい。彼女のお陰で貴重な体験をできたのだから。
自分が愚かでなかったら、もっと早くに彼女の正体に気が付いて止めることが出来たのだ。そうすればこっそりと国から逃がすことくらいはできただろう。
自分が愚かなばかりに、彼女を死なせてしまうことになったのだ。
本当にごめんなさい。
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寝ながらもポロリと涙を流すガイネを、ブラッチェは眉根を寄せた顔で見て、そっと涙をぬぐって、慎重にソファから抱き上げて寝室まで運び、ベッドに横たえてやった。
ガイネは別に小さくも細くもないが、騎士団で日夜訓練に明け暮れているブラッチェにとっては、どうという事もない重さだ。
ふと気が付いてその頬に手を当てれば、うす赤く腫れている。国王に二度も叩かれたと聞いた。そのせいだろう。ブラッチェは部屋の片隅に置いてある水がめの水を、顔を洗うためのボウルに入れて、荷物整理の時に出てきたハンカチ2枚を濡らしてそれを頬に乗せてみた。冷たかったのか身じろぎしたものの、起きる気配はない。寝返りをうったら落ちてしまうだろうが、何もしないよりはマシだろう。
ごめんなさい、と何度もつぶやくガイネの髪をそっと撫でて、布団をかぶせて、ランプを暗くする。
極力音がしないように気を付けながら、広げた服を整理して、部屋を整えてからカーテンを閉め、ブラッチェは部屋の隅にあるソファに横になって、目を瞑った。
BLではございませんよ~。
お読みいただきありがとうございます。沢山の方に読んでいただけて嬉しい限りです。
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