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屋敷に戻る

 

 ガイネは呆然とした表情で、会場から近衛兵に腕をつかまれて歩かされ、乱暴に従者のいる馬車に乗せられて学園から城に連れてこられた。馬車に乗るまでの短い道のりでも、自分を嘲る周囲の言動にも反応できないほどに呆然としたままに見えた。


 そうしていつも入場する城の正面ではなく、脇の通用口から乱暴に近衛によって連行され、狭い部屋の一室に放り込まれた。


 ガイネが生活しているのは城の裏手にある屋敷だ。城には王と王妃が住んでいるが、子供たちは裏手の屋敷と昔から決まっている。これは万一敵に襲われたとしても、その兵力を城と屋敷に分散することができ、どちらかのものが生き延びる可能性を高めるための措置なのだ。


 もともと国王夫妻が子育てをすることはなく、乳母が育てているから面会に来る以外の接触もない。もちろん週に1~2度は城にて家族での食事も取るし、パーティや行事では家族が一堂に会するから、不具合はない。


 いまガイネが放り込まれた部屋は、城に来た業者たちのための控室の一つで、契約書などに署名する場としても使われている小さなものだ。屋敷のガイネの私室の風呂場と同じくらいの狭さだが、立派な机と椅子とソファは備え付けられている。

 それでも王族であるガイネがこのような狭い質素な部屋に入ることはない。


 その場でしばらく待つように王付きの近衛の一人に言われ、ガイネはソファに正装のまま沈み込んだ。


 天井を仰ぎ、顔を両手で覆う。


 一体自分の何が悪かったのだろうか。クライネが嫌がらせ報告を読み直さなかったことか。父親の事前了承を受けずにオッタヴィーノと婚約を解消しようとしたことか。


 オッタヴィーノが優秀なのはガイネも認識していた。男女の授業の違いはあるが、共通の科目でも、そうでなくても優秀なオッタヴィーノが自分より上だという事も承知していた。それでも役割の違いがあるから、彼女の才能に嫉妬をしたことはない。彼女も自分も、それぞれに得意な分野を伸ばしていけばよいのだから。


 また自分には将来、補佐も付く。自分が頂点である必要はない。ただし社交界においての王妃の役割は誰にも変わりが出来ないから、王妃候補が優秀であることは必要だ。


 そんな優秀なオッタヴィーノだが、ガイネから見れば、彼女はとても意地悪な女性だった。


 ヴィーノは金髪で緑目の美少女だ。ふわふわの髪は幼いガイネでも触りたくなるほど魅力的だ。だがガイネと二人きりの時、彼女は自分が気に入らないとすぐにふくれ、泣き、わめき、ガイネを力いっぱい叩き蹴る。そんな少女を好きになれるはずがない。


 それでも周りに、大きくなればきっとヴィーノ嬢も変わりますよとなだめられ、会うたびに殴られ蹴られ、罵倒されながらもそれを待ち望んでいたのだが、二人が17歳になった今も彼女はちっとも変っていなかった。人が周りにいれば、ガイネにしか聞こえない小声での罵倒だけで済むが、婚約者同士、お邪魔せずにおきましょううふふ、と侍女たちが余計な気を回して、二人きりになったとたんに豹変するから、それを知っている者はいないのだ。


 ガイネからしたら、彼女はドメスティックバイオレンス嬢だ。結婚したら毎日毎晩、DVされるに違いないと想像しただけで震えあがるほど、ガイネはオッタヴィーノの側にいるのが怖くて嫌になってしまっていた。


 だから、やさしいクライネに惹かれてしまった。


 オッタヴィーノがそこまでDV嬢でなければ、婚約解消をしようとは思わなかったのに。

 それでも自分が悪いのだろうか。


 そこまで考えた時、ドアが乱暴に開かれ、宰相が書類を片手に護衛の騎士と共に入ってきた。


「ガイネ王子、いや、元王子。これらの書類にサインをしろ」


 宰相が自分に命令!? とまたや衝撃を受けるガイネを、騎士の一人が乱暴に腕を掴んで立ち上がらせ、書き物机まで引っ張っていき、イスに無理やり座らせた。

 こんなに乱暴に扱われたことなど久しくなかったガイネは、衝撃で口の中を噛みそうになったが、口を開く間もなく目の前に大量の書類を置かれた。


 机を挟んだ目の前にいる宰相は、見下したような目つきで、一番上の一枚を取り、ガイネの前に置く。同時に横の騎士が机の上にあった羽ペンをガイネに握らせ、インク瓶も前に置いた。


「先ずは皇太子の任を解く書類にサインを」

「えっ……」


 宰相が指を指した部分には確かにそう書かれている。思わず宰相を見上げるが、イラついた様子で早くしなさい! とせっつかれた。

 書類を詳しく読む暇もなく、震える手で言われた場所にサインをする。すでに国王のサインもあり、国王の名のもとに、ガイネの皇太子としての任を解く、という文章だけは何とか読むことが出来たが、サインを書き終わると同時に宰相に紙を取りあげられてしまい全部の文章を読むことは出来なかった。


「オッタヴィーノ嬢との婚約を解消する書類」


 これは当然のものだが、自分が予想していたのとは真逆の意味でつきつけられる。


「次はこれだ。全ての財産を国王に返す、というものだ。ただし、銀行預金だけはそのままにする」


 叩きつけられるように二枚目の書類を置かれてサインをさせられる。銀行預金が取り上げられないのは幸運だが、ガイネ個人の資産はそんなに多いわけではない。庶民の1年分の給料くらいだろうか。


「屋敷の部屋を明け渡すための書類」


 それには部屋の中のものもすべて所有を放棄する、と書かれていた。

 そのような細かい書類が次々と出される。ガイネの服を作っていたデザイナーへの解雇通知や、お気に入りのお菓子を届けてくれた店、靴、アクセサリーのデザイナー、美容師、侍女や料理人にいたるまで。ガイネの身の回りにいてくれた人々すべての解雇通知書。


「学院の自主退学届けだ」

「そんな……!」

「お前は国を追放なんだ。自主退学にしてもらえるだけありがたく思え!」


 宰相の冷たい言葉が刺さる。確かに普通なら退学処分だろうから、それよりはマシなのかもしれない。だがもう少しで卒業なのに、自主退学とは。最終学歴は中学部卒になってしまう。

 その学校関係の書類にも大量にサインをさせられ、また今日の出来事に関する始末書も書かされた。そんなものを書いたことなどないガイネに、宰相は事前に用意されていたひな形を置き、それを書き写させられる形だったが。

 厚さにして20㎝はあったであろう書類にすべてサインをし終わると、宰相はそれをまとめて持ち、言った。


「学院での国王の言葉通り、今日を含めて3日でこの地を出て行くように。時間は3日後の日没までだ」

「そんな……すでに日も暮れている、実質あと2日しかないではないですか!」


 ガイネは皇太子だが、宰相にはいつも敬語だった。有能な人だし、小さい頃から色々教えてもらっていた。宰相もガイネには敬語だった。厳しくも優しい所もある人だったのに、今や別人のように冷たい目つき、乱暴な言葉だ。


「お前が一般市民なら、あの場で城下町からも叩き出している。猶予があるだけありがたく思え。それと、この城下は期日までに出なくてはならないが、国自体を出るのは1年以内で良い」


 領土は広い。馬車を飛ばしに飛ばして四六時中使ったとしても、10日以上は掛かってしまう。なので通常、即日追放という場合は、専用の檻に入れられて、荷馬車で国境まで連れていかれる。2~3週間かかるが、その間、悪天候以外で建物内に入る事も許されず、檻の中で時を過ごす。


 それが当然の中で、自分で出ていけ、しかも国内に1年もいて良いというのは、本当に特別扱いだ。


「それとお前の部屋だが、先ほどの書類にサインをした通り、全てのものはお前の所有から離れている。ただし国を出るにあたって必要なものは、多少持ち出しても良い。それを今夜と明日でまとめろ。3日目の昼にそれらを確認して、持ち出し許可を出す。今度どうやって生計を立てていくのか、それを考えて持ち出すものを決めるんだな」

「……はい」


 ガイネは打ちのめされていた。書類の文面だけでも十分に打ちのめされていた。それに周りのこの態度。だれもガイネの言い分を聞いてくれようともしない。絶望でもう何も考えることも出来ない。ただ宰相に言われたまま頷いた。


 宰相が書類をもって部屋を出ると、横にいた騎士がまた乱暴にガイネを立ち上がらせ、そのまま腕を引いて城の裏口から出て、屋敷まで引っ張っていった。正直歩く気力もないガイネは、それに大人しく引きずられるように付いて行くだけだった。


 屋敷の中は侍従たちが忙しそうに動き回っていた。だれも帰ってきたガイネを迎えに出ていないし、チラリとガイネを見ても、軽蔑した眼差しを寄越すだけで、お帰りなさいの一言も言ってもらえなかった。


 入口でガイネの専属護衛である騎士、ブラッチェにガイネを引き渡した騎士は、あとは任せたと言って城に戻っていった。


 ブラッチェは先ほどの騎士よりは丁寧にガイネの腕を取り、動く気力もなくしているガイネを支えながら、ゆっくりと自室へと連れて行った。

 その道中も誰も礼もしなければ立ち止まりもしない。そんな無礼な事は、生まれてこのかた受けたことがない。もう頭も上げる気力もないガイネを、ブラッチェは部屋のソファに座らせた。


「ガイネ。事情は聴いている」

「ブラッチェ……。もう何が何だか分からないんだ……。なんでこうなったんだろう」

「お前が俺の言葉を聞かなかったからだな。何度も忠告しただろう? オッタヴィーノ嬢を敵に回すなと」

「だって、お前だって知っているだろう、オッタヴィーノがどれだけDV嬢なのか」


 ブラッチェは専属警護騎士であると同時に、乳兄弟でもある。外では立場をわきまえて敬語を使うが、二人きりの時は砕けた口調になる。


 オッタヴィーノとガイネが面会するときは、たいがいブラッチェが警護として付いていた。オッタヴィーノの声は大きくないので内容は聞こえなくても、彼女の暴力は見えていたし、部屋に戻ったガイネの着替えを手伝った時にその背中や腹部などに大きなあざがあるのを、ブラッチェも見ていた。


「それでも。いやだからこそ、敵に回したら危険だとあれほど言っただろうが」


 確かにブラッチェは、クライネに入れ込むなと、オッタヴィーノを怒らせるなと何度も言ってくれていたのだが、ガイネはそれを聞き入れなかったのだ。


「まあ起きてしまったことは仕方がない。それよりも荷物をまとめよう。俺も手伝うから」

「ブラッチェ……」

「そんな顔をしても無駄だ。国王命令に逆らえるものなんて、誰もいないんだから。……今後どうするにしても、まずは必要なものだけまとめよう。一応剣は要るな。あとは旅に耐えうる靴に、服に……。銀行預金の引き出し札も忘れるなよ。──おいガイネ、俺にやらせるな。自分で動けよ」

「もう、動けない……。今は無理だ……」


 ガイネは自室に来て一気に気が抜けてしまったようだ。悲しみと失意で体が動かない。国王に殴られた頬も痛いし、なんだか頭も痛い。ガイネはソファにそのまま横になって顔を覆ってしまった。

 そんなガイネの姿を見て、今日は色々ありすぎたから仕方がないか、とブラッチェはため息をついて、主人に変わって必要なものを集め始めた。



 ガイネとブラッチェは乳母兄弟だ。ブラッチェの方が3か月ほど先に生まれている。実の兄弟のように一緒に育ち、一緒に剣の修行もした。学院の小学部にも一緒に入り、オッタヴィーノとも幼馴染だから、彼女のわがままぶりを誰よりも知っている。


 だがブラッチェは中学部を卒業すると同時に、騎士団に入団してしまった。剣の才能があり、小学部卒業時にはすでに騎士団からスカウトされたのだ。勉強をしたいからと先延ばしにしていたが、中学部卒業を待って騎士団長自らがスカウトした。それでブラッチェも決心し、入隊試験を受けた。年上に混ざって厳しい試験も首席でクリアした。異例の若さだったこともあり、新人騎士でありながら、ガイネ専属として常にガイネに付き添っていた。


 ブラッチェは屋敷の中ではもちろん、外でも常に付き添う。学院では往復に付き添に加え、ふつうは教室の隣に作られている控室で待機するのだが、ブラッチェは特別に許可されて講義中も教室の後ろで控えて授業を聞くことができた。


 だがちょうどクライネが編入してきた頃から、なぜかブラッチェはガイネの警護から外されて、騎士団としての仕事に専念することとなった。

 それまでの約1年、特別扱いをしてきたがこれ以上は無理であり、入隊した以上は役目を果たすようにと言われ、ブラッチェもガイネもそれに納得したものだ。


 そして半年前から、また異例の抜擢でガイネ専属の近衛として任命された。1年半、必死で訓練を果たしてきた成果だ、と二人は喜んだ。

 だが学院での警護はなぜか許されず、屋敷のみでの警護となったのだ。しかも今になって考えてみれば、学院でのガイネの情報は本人がポツポツと話すこと以外、ブラッチェには伝わっていなかった。

 

 クライネという令嬢と知り合った事は知っていたし、その話題がでる頻度が高くなり、オッタヴィーノ嬢をあからさまに毛嫌いし始めた事も分かってはいたが、ガイネが婚約解消を考えているほどにクライネにのめり込んでいる事は、ブラッチェも知らなかったのだ。


 物心ついたときからずっと一緒だったブラッチェがいきなりガイネの側から離されたのも、クライネに傾倒しすぎた一因であったのかもしれない。


 ガイネが今日サインしまくった書類は、どう見てもパーティの後に用意されたものではなく、以前から用意されていたものだった。


国王はどうやらだいぶ前からクライネに関して調査をしていたのだろう。またこのような結果になることも予想していたのに違いない。しかも今日のタイミングまで予想していたのかもしれない。いくら息子とは言え、忙しい国王が学院のダンスパーティに同席するなど、ふつうはあり得ないのだ。



 ソファで身じろぎもしないガイネを時折横目で見て、ブラッチェはため息をつきながらも用意をととのえていくのであった。

続きます

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