288話 交渉開始
家よりも大きな影が湖底を動いている。
ゆったりとした動きで……
でも、どこか活き活きとした様子で、この状況を楽しんでいるかのようだった。
「あれが水神かな……?」
「かもしれないわね。ちょっと試してみるわ」
「え? 試すって……」
不思議に思っていると、リコリスがなにか叫んだ。
それは人間の言語じゃなくて、聞き取ることができない。
鳥の鳴き声に似ているけど……
いったい、なにをしたんだろう?
「今のは……」
「魔物の言語よ。ほら、あたしって超絶かわいくてプリティだから、それくらいできちゃうのよねー」
同じこと、二度言っているからね?
「魔物の言語を話せるなんて、すごいね」
「ふふーん、翻訳、通訳は任せなさい!」
「って……うわ!?」
ゴゴゴと足元が揺れる。
地震?
いや……違う。
湖底で動いていた影が急速に大きくなる。
一気に浮上して……
その衝撃で地面が揺れているんだ。
ザァアアアッ!!!
ほどなくして、湖面を割るようにして巨大な影が現れた。
「……すごい……」
とんでもなく巨大で、五十メートルくらいあるだろうか?
小人になったような気分だ。
蛇のような、うねる胴体。
ところどころに、魚のヒレのような羽が生えていた。
左右に一本ずつで、計八本。
頭部は大きな角と髭が生えていて、鋭い牙が顔を覗かせている。
鋭い顔つきは、ありとあらゆる生き物の頂点に立つ威厳を備えていた。
龍。
おとぎ話に出てくる存在が、今、目の前にいた。
「……小さき者ヨ」
「しゃべった!?」
「なにを驚ク? 言語を操ることは、人間だけの特権と思ったカ?」
「あ、いや。そんなことは……リコリス?」
「……」
気がつくと、リコリスが唖然とした様子で震えていた。
龍の出現に怯えて……
「ちょっとあんた、なんで喋れるのよ!? 通訳なら任せておきなさい、とかドヤ顔してたあたしがバカみたいじゃない!」
どうでもいい理由で怒っていただけだった。
「何用ダ?」
「えっと……質問があります。この街の嵐は、あなたが引き起こしているんですか?」
「いかにモ」
あっさりと認められて、少し拍子抜けしてしまう。
とぼけられるか、否定されると思っていたんだけど……
うーん?
「なら、今すぐに嵐を止めてください。このままだと、街が沈んでしまいます」
「構わなイ」
「え、いいんですか?」
またしても予想外の返事。
もしかして、けっこう話が通じる……」
「構わないガ、生贄をよこセ」
……通じなかった。
「嵐を止めたいのならば生贄をよこす契約ダ。それが認められないのならバ、汝の願いは聞き届けられなイ」
「……契約っていうけど、この嵐はあなたが引き起こしているんですよね?」
「そうダ」
「それなのに、やめてほしいなら生贄をよこせっていうのは、ちょっと横暴じゃないですか?」
「そういう契約ダ」
「自分で事件を引き起こしておいて、無茶な話じゃないですか?」
「そうは思わなイ。汝ら人間は家畜を飼うだろウ?」
「それが……なにか?」
「家畜を相手に必要以上に気をつかうカ? その心象を気にするカ? しないだろウ。つまりそういうことダ」
「……なるほど」
理解した。
こいつは敵だ。




