179話 巫女
「こんにちは」
「こん……にちは」
「おー、いらっしゃい、お二人さん」
ライラの家を訪ねると、笑顔で迎えられた。
ただ、アイシャは若干人見知りが発動しているらしく、ちょっと挨拶がぎこちない。
母としては、もっと明るく元気に育ってほしいと思うが……
アイシャの過去を考えると、無理はさせられない。
強引なことはしないで、しっかりとサポートをすればいい。
「んー、人見知りするアイシャちゃんもかわいいわね。どう? ちょっと採血を……いえウソですごめんなさい」
途中でソフィアに睨まれて、ライラは慌てて頭を下げた。
「もう、ちょっとした冗談なのに、そこまで反応しなくてもいいじゃないのさ」
「冗談だったのですか? 本当に?」
「……半分くらいは本気だったかも」
「まったく……」
やれやれと、ソフィアはため息をこぼした。
ライラはとても困った人ではあるが……
でも、嫌いではない。
知識欲が暴走することはあるものの、それ以外は優しく、誠実な人なのだ。
ソフィアはそのことを知っているため、注意程度で済ませる。
彼女が本気でアイシャの血を狙っていたとしたら、容赦なく殴り飛ばしていただろう。
「今、お茶を淹れるねー」
「ありがとうございます」
「ありがと」
「ふふ、アイシャちゃんはかわいいねー。よし、クッキーもおまけしよう!」
「わぁ」
クッキーと聞いて、アイシャが笑顔に。
うれしそうに尻尾がぶんぶんと横に揺れる。
それを見て、ソフィアは思う。
出会った頃に比べると、アイシャはだいぶ感情が豊かになってきた。
子供らしく笑い、子供らしく泣く。
それはとても喜ばしいことなのだけど……
お菓子一つでここまで喜ぶなんて、ちょっと心配だ。
悪人に、お菓子で誘われて誘拐されたりしないだろうか?
「あれから、アイシャちゃんについてわかったことはありますか?」
「んー」
本題に入ると、ライラはなんとも言えない表情に。
あると言えば、ある。
ないと言えば、ない。
そんな感じだ。
「私も、一応学者だからね。根拠のない話はしたくないんだよね」
「この前、していたではありませんか」
「や。あれは、私なりの根拠があったんだよ。証拠はないのだけど、でも、色々な情報をまとめると他の答えはない。だから、確信に近いものはあった」
「なるほど」
「ただ、これからする話は、根拠なんてなにもないんだ。おとぎ話みたいなもの。だから、私としては変な情報を与えない方がいいんじゃないか? って迷うんだよねー」
「それでも、教えてください」
獣人は強い力を持っている。
人間を敵視して、姿を消した。
現状、判明したのはそれくらいだ。
もっと深い情報を得ないと、アイシャが狙われる理由がわからない。
そして、その理由を突き止めないと、原因を排除することも難しい。
なればこそ、不確定なものであれ情報を欲する。
その真偽はさておき……
今はどんな話でも拾っておきたい。
情報の精査は後ですればいい。
「ふう……仕方ないなあ。まあ、アイシャちゃんのおかげで私の研究が進んだところもあるし。話すよ」
「ありがとうございます」
「ただ、根拠がないってことは理解してね? ほんと、おとぎ話みたいな内容だから」
重ねて、そう前置きをしてライラが話を紡ぐ。
「以前も話したと思うけど、獣人はとても強い力を持っている。そんな獣人の中で、特別な存在がいるらしいんだよね。それが……巫女」
「巫女……?」
聞いたことのない単語に、ソフィアは小首を傾げた。
その隣で、アイシャはクッキーを両手で持ち、ぱくぱくと食べている。
「女神さまは知っているよね?」
「この世界を作ったと言われる神さまですよね? で、人間はその女神さまから魔法を盗んだ」
「へえ、よく知っているね。そんな感じで、人間は女神さまから嫌われているんだけど、獣人は好かれているっぽいんだ。強い力を持ちながらも、純粋で愚かな真似はしない。女神さまはそんな獣人を気に入り、己の使徒として迎え入れたとか」
「使徒というのは?」
「まあ、部下みたいなものかな。女神さま専属の騎士みたいなものさ」
「ふむ」
「で……その使徒は強い力をもらい、女神さまのために働いた。なにをしたのか、そこはわからないんだよね。それから役目を終えた使徒は、仲間の元に戻った。使徒は妻を迎えて、子供を作り、家族を手に入れた」
「……もしかして、その子供が巫女なのですか?」
「正解。使徒の血を引いて生まれた子供は、特別な力を持っていたらしい。故に、他の獣人達から巫女と崇められていたとか」
おしまい、という感じでライラは唇を閉じた。
以前と同じなら、ここからさらに話が続いて、解説や独自の見解が挟まるのだけど、そんなことはない。
事前に言っていた通り、この話は根拠が薄いのだろう。
だから補足することもなく、ここで話が終わる。
「なるほど……大変興味深い話でした」
「私が言うのもなんだけど、信じるのかい? 根拠なんてほとんどない、おとぎ話のようなものだよ? 学会で発表したら、爆笑されるか蹴り出されるか、そんな内容だ」
「そうかもしれませんが、ですが、私はしっくりと来ました」
アイシャは普通の獣人ではなくて、強い魔力を持っている。
巫女だから、特別なのでは?
巫女だから、狙われているのでは?
そう考えると、色々なことに説明がつく。
とはいえ、この後のことを考えると、なかなか困りものだ。
アイシャが巫女と仮定して……
これから先、どうすればいいか、それがわからない。
巫女について、ライラはこれ以上の情報を持っていない。
自分で調べるしかないのだけど、情報源はゼロ。
振り出しに戻ってしまった。
一歩進んだものの、一歩下がった。
そんな感じで、有効な対策を考えることができず、悩みは残ったまま。
頭が痛い。
「……とはいえ」
「おかーさん?」
ソフィアは優しい母の顔をして、クッキーを食べている娘を抱きしめた。
なにがあろうと、守ってみせますからね。
心の中でそうつぶやいて、ソフィアはアイシャの額にそっとキスをした。




