変わらないもの
リオンが北の大地へ向かうことを知っている人間はアイラ達と国王夫妻だけの間に限られることとなった。
ただ、明日の早朝に自分達が出発してから、国王から臣下や使用人達には内密に急な視察に向かったということが告げられるらしい。
それでも出発する際には門番達にリオンの姿を見られるわけにはいかないため、隠密魔法を使って姿を消し、王城の外へと出るつもりのようだ。
「えっと、着替えとお金は鞄に詰め込んだし、長剣と短剣の手入れもしてあるし……」
アイラは王城内にあてがわれている部屋で、旅をするために必要なものを確認していた。
ラウリス国では野営をよく行っていたため、野外活動には慣れているつもりだ。
だが、リオンは恐らく初めてだろう。自分が色々と手伝って、彼を支えなければ──と思っていると、部屋の扉が叩かれたため、アイラはすぐに返事を返した。
「はい、どうぞ」
アイラの返事が聞こえたのか、扉はすぐに開く。
しかし、まるで自ら扉が開いたように見えた上に、そこには誰もいなかったため、もしや刺客かと思ったアイラはすぐさま短剣を引き抜いた。
「わっー! 待て! 俺だ、リオンだ!」
扉は閉められたというのに、自分以外に誰もいない空間からリオンの声が響き渡る。
「え? リオン様?」
アイラが目を凝らしていると、ぼそりと何か呪文らしきものが呟かれたと同時に七歳児姿のリオンがその場に姿を現した。
どうやら魔法で姿を消して、この部屋までやってきたらしい。
確かにこの姿のままで王城内を歩けば、方々から驚きの声が上がってしまうだろう。
リオンの姿を確認してから、アイラは抜いていた短剣を鞘の中へと戻した。
「どうなさったのですか、リオン様?」
「ん……。少し、お前に話があってさ」
そう言って、リオンはアイラの傍までとことことやってくる。本当に小さい頃のリオンそのままだ。
リオンは今の姿に合わせて、服も子ども用を着ていた。声音もいつもよりは高めで、中身以外は子どものようだ。
……うぅ……。記憶の中のリオン様が目の前に……! か、可愛い……!
出会った頃を思い出して、アイラは目の前のリオンを衝動的に抱きしめたくなったが、真面目な表情をしているリオンの手前、我慢することにした。
「お話ですか?」
「ああ。……アイラ。お前、本当に俺に付いて来る気なのか?」
「私はリオン様が向かわれる場所ならば、どこへでもお供いたします」
「それは……。だが、大魔女に呼ばれたのは俺だ。彼女の機嫌を損ねれば、お前の身だって危うくなるかもしれないんだぞ。そんな場所にお前を……」
リオンがどこか悔いるような表情をした瞬間、アイラは彼の小さな手を両手でぎゅっと握りしめた。
……小さくても、この方は変わらない。
自分に対する優しさも、温かさも、気遣いも。
だからこそ、顔を合わせて、言葉を交えるたびに彼に向ける想いが募っていくのだろう。
「リオン様。私、嬉しいのです。不謹慎だと思われるかもしれませんが……。私はどんな状況であれ、リオン様と一緒に居られる──それだけで嬉しいのです。その上、あなた様のお役に立てるならば、もう満足過ぎて幸せな気分で心がいっぱいになってしまいます」
握りしめる手の温度は自分が知っているものと同じだ。
柔らかくて、優しくて、そして温かい。
この手を握っているだけで、不安な気持ちがどこかへ飛び去ってしまうくらいに安心出来る手だ。
「……お人好しめ」
ぼそりと呟いてから、リオンは顔を逸らした。横顔しか見えないが、それでも彼の頬は少しだけ赤く見える。
「ふふっ、そのお人好しを守って、呪いを受けられた方はどなたでしょうか」
「……」
「優しくて、頼もしくて、私の大好きなリオン様ですよね? ……だから、私はリオン様のお傍に居たいのです。リオン様のお役に立ちたいんです。それが私にとって、一番幸せだと思えることですから」
アイラが諭すように静かな声で言葉を紡ぐと、視線を逸らしていたリオンがゆっくりとこちらへ振り返る。
戸惑っているような、困っているようなそんな顔だ。アイラがリオンへと真っすぐに想いを告げた時、彼はいつもこんな表情をする。
「アイラ……。お前のそういうところ、俺は……」
だが、そこでリオンの膝が前のめりに崩れてしまう。
「リオン様っ……」
身体の軸が崩れていくリオンをアイラは咄嗟に抱き留めた。
もしかして、呪いの影響かと思えば、アイラの腕の中からは安らかな寝息らしきものが聞こえ始めて来る。
……寝ているの?
確かに昨晩はあまり眠れなかったようだし、今のリオンは子どもの身体だ。夜遅くまで起きていられる身体ではないだろう。
アイラは小さな背中に手を回してから、ぽんぽんっと優しく撫でるように叩いた。
「……リオン様、大好きですよ。どんなお姿になろうとも、私はリオン様が大好きです」
口には出していないが、不安と恐れでリオンの心の中はいっぱいなのだろう。緊張の糸が切れて、気絶するように眠ってしまってもおかしくはない状況だ。
明日の朝は早い。今は眠れる時に睡眠を取ってもらっておいた方がいいだろうとアイラはリオンをそっと抱きかかえ、ベッドの上へと運んだ。
布団をそっとリオンへとかけてしまえば、今度は自分に眠気が襲ってくる。
……クロウさんに一言、伝言しておこうと思ったけれど……。私も……眠気に……勝てない。
やがて、アイラの身体はリオンの横へと倒れ込み、同様の寝息を立て始める。
明くる日の早朝、アイラを起こすために部屋を訪ねたイグリスが声にならない声を上げるまで、アイラ達の目が覚めることはなかった。
・・・・・・・・・・
次の日、まだ誰も起きていない早朝に国王夫妻に出発の挨拶をしてから、王城を出ることになった。
クロウに姿を隠すための魔法をかけてもらい、そして開いている城門から堂々と四人は歩いて出て行く。
門番達は魔力で人を感知する能力を持っているので、魔力探知を遮断させるために魔具と呼ばれる魔法の力を宿した道具を身に着けることにした。
この魔具はクロウの私物らしいが、そのおかげで門番達には気付かれずに済んだ。
日が少しずつ昇ってきていることもあり、王城の外の城下町はすでに朝の賑わいを見せ始めていた。
アイラ達はそんな賑わう場所から離れて、路地に一度、身を隠してからクロウに魔法を解いてもらった。
「ふぅ……。何だか隠密行動をしているみたいで緊張しましたね」
アイラが頭に被っていたローブを脱いでから溜息を吐くと、クロウから小さな笑いが返された。
「ですが、アイラ姫は気配を遮断させるのが上手いですね」
「狩りをする際には自分の存在を相手に覚られないようにしなければならないので、気配を消すのは得意なんです」
せっかく獲物を見つけても、気配で気付かれてしまっては逃げられるので、狩りをする上での基本的なことはアイラの身体には染み込むように備わっていた。
「それで、ここからどうやって北の大地に行けばいいんです? 地図は頭の中に入れましたが、馬を使って移動しても一週間はかかる場所なのでしょう? どこかで馬でも借りるのですか?」
イグリスは腕を組みながら、どこか不機嫌そうにクロウへと訊ねる。彼女の機嫌が悪いのは今朝、アイラとリオンが同じベッドで眠っていたことが原因だ。
そのことをいまだに根に持っているらしく、ちらちらとリオンの方を見ては威嚇している。
アイラとリオンはただ同じベッドで眠っていただけだと説明したが、それでも未婚の男女がするべきことではないと逆に怒られてしまった。
彼女の怒りが収まるのは暫く時間がかかるだろうとアイラはそっとしておくことにした。
「実は昨日のうちに馬を三頭、王城の厩舎から城下町の馬場へと移動させておいたんですよ。そちらに乗って出発しましょう」
「……おい、ちょっと待て。何故、馬が三頭しかいないんだ。普通は四頭だろうが」
頭にローブを被っていたリオンが、すぐに顔が見えるようにとはぎ取ってからクロウを小さく睨んだ。
睨むと言っても、彼らの身長はかなり差があるため、傍から見れば上目遣いをしている状況のように見える。
「何故って……。小さいお身体では、馬には乗れないでしょう? なので、誰かの馬にリオン様を乗せて運ぶ形を取らせて頂きます」
「くそっ……。こんなところから、子ども扱いかよっ!」
そう言って、悔しそうにリオンは歯を食いしばっている。やはり、子どもの姿では色々と出来ることが限られてしまうのだろう。
「では、リオン様。私と一緒の馬に乗りましょう」
「……は」
アイラがにっこりと笑って、そう提案するとリオンは悔しそうな顔から一変、耳を疑うようなものを見る表情へと変わっていた。
「私、こう見えて馬には乗り慣れているんです。そこらの騎手並みに上手いと自負しております」
アイラが自信満々に答えるとリオンよりも先にクロウの返事が返ってくる。
「おや、いいではありませんか。その案で行きましょう」
「おい、勝手に決めるな!」
「ならば、私かもしくはイグリスの馬に乗りますか?」
「……アイラの馬でいいです」
クロウやイグリスの馬に乗っている姿を自分で想像したのだろう。リオンは青ざめた表情で即決した。
「それでは、さっそく城下町の馬場へと向かいましょうか。時間は限られていますからねぇ」
リオンの扱いに慣れているのかクロウはにこりと有無を言わせぬ表情で笑いつつ、馬場に向かうために先頭を歩いていく。
「リオン様、人込みではぐれないようにして下さいね?」
「はぐれるか! ……それに城下町にはよく来るし、馬場の場所くらい覚えているから、迷子になっても一人で辿り着ける」
唇を尖らせながら不機嫌そうに呟くリオンが可愛らしく思えたが、きっとここで可愛いと言ってしまえば、更に拗ねてしまうため、アイラは言葉にしたい衝動を抑えてからリオンの後を追いかけるのであった。