小さな王子様
北の大地に住まう大魔女、ソフィアに襲撃されたリオンをそのままにしておけなかったアイラはすぐにクロウを呼びに行った。
もちろん、その途中で湯浴み後のイグリスにも捕まり、勝手に部屋の外へと出たことに対して叱られそうになったが、それどころではないと突っぱねさせてもらった。
二人に状況を説明しつつ、そして小さくなってしまったリオンの姿を見せれば──二人は同時に噴き出して、壁や床を叩きながら必死に笑いを声に出さないようにと堪えていた。
それを見かねたリオンは額に青筋を浮かべつつ、「いっそのこと、声を出して笑えっ!」と許可したため、普段の二人ならば想像出来ないような声量で大笑いしていた。
従者二人の笑いが落ち着いてから、魔法使いとしての腕が確かであるクロウに、小さくなってしまったリオンを隅々まで調べてもらうことにした。
彼曰く、呪いをかけられたことにより、ただ単純に身体の年齢が若返っているとのことだ。
北の大地の大魔女が突然、襲撃してきたことを伝えると、クロウは更に驚いていた。
何しろ、北の大地の大魔女は人と一切関わりを持たずに自分の領地に籠って過ごしている魔女で、その実力はカルタシア王国の魔法使いによって編成された軍の攻撃を赤子の手をひねるように跳ね返す程の強大な力を持っているのだという。
どうして、そのような大魔女がリオンに呪いをかけたのかとそれぞれが首を傾げたが、誰も答えを持っていなかったため、国王夫妻に訊ねることにした。
リオンは身体が小さくなってしまったこと以外に、特に不調はないようなので、そのままの状態で一夜を過ごすことにしたが、さすがに共寝はイグリスに却下されたのでクロウがリオンに付き添うことになったらしい。
明くる日の朝、リオンは姿を王城の者達に見られないようにローブで隠し、それから人払いされた謁見の間へと向かった。
もちろん、昨夜の大魔女の襲撃に居合わせたアイラも説明をするために同行している。
謁見の間に入れば、昨日と同じように玉座にはウォルフとラミルが座っていた。
彼らに朝の挨拶をしてから、昨晩起きたことを全て説明し、そしてローブを被っていたリオンが姿を見せるために脱いでみせると、そこで初めて驚くような表情を浮かべた。
しかし、それだけだった。我が子が大魔女によって呪いをかけられ、七歳児の姿になっているというのに何とも薄い反応である。
逆にアイラ達の方が驚いているとウォルフが顎に手を添えつつ、納得するように頷いていた。
「ふむ、そろそろ来るかもしれないと思っていたが昨夜に来ていたとは……」
「……は? あの、父上。今、何と……」
ウォルフが気になる言葉を呟いたため、リオンが少し間抜けな声で聞き返した。
「いやぁ、北の大地の大魔女はな……。カルタシア王国の王家に何かと突っかかってくるんだ。しかも、立太子する前の王子や王女相手に悪戯を仕掛けてくるんだよ」
「はぁ!? 悪戯ぁ!? これが!?」
どこか呑気そうにも聞こえるウォルフの言葉にリオンは小さい姿ながら、精一杯に鋭く大きな声を上げて反応する。
アイラも一体、どういうことなのだろうと首を傾げるしかなかった。
「私も王太子になる前に大魔女に悪戯を仕掛けられてね。……しばらくの間は狼の姿に変えられて、大変だったなぁ」
「……初耳なのですが」
七歳児には似合わない程の低い声で、リオンがウォルフを睨みながら呟くと国王は何故か困ったような顔で笑い返すだけだ。
「大魔女はたった一人で国軍を潰すことが出来る実力を持っているから、私達も下手に手が出せない存在だからなぁ。でも、悪戯を仕掛けてくる以外は特に危害を加えてくるわけではないし。むしろ、北の大地の山々を超えた先にあるスワード帝国を牽制してくれている存在なのは、お前もよく知っているだろう?」
「……だからと言って、悪戯を仕掛けてくるなんて、相手に舐められているようなものじゃないですか!」
「まぁ、リオン。そんなに大きい声を出しても可愛いだけよ? ……はぁ、この頃のリオンは小さくて可愛い上に素直だったのに……」
「母上、関係のない話は今、しないで下さい!」
話に入ってきたラミルにぴしゃりと言い放ってから、リオンは再びウォルフに噛みつく。
「とにかく、この呪いを解きたいんです! ……このままでは、立太子式には出られなくなってしまいますし」
あまり立太子式に乗り気ではないリオンだが、さすがに七歳児のまま過ごすことは彼の醜聞になりかねないので、一刻も早く元の十七歳の姿に戻りたいようだ。
「そうは言っても、誰一人として大魔女に勝る力を持っている者は王城にはいないし……。それに彼女がかけた呪いをただの魔法使いが解くのは難しいと思うぞ?」
「くっ……」
ウォルフから冷静に言葉を返されたリオンは七歳児の姿からは想像出来ない程に、とても悔しそうな表情を浮かべていた。
「やはり、ここは大魔女の申し出を受けて、二週間以内に北の大地へと赴いたらどうだろうか。私も若い頃に呪いをかけられた際には、一人で乗り込んだぞ。……狼姿で」
ぼそりと最後に一言呟かれたが、ウォルフの表情は少しだけ昔を懐かしんでいるような、そんな穏やかな表情をしていた。
どうやら大魔女に狼の姿へと変えられたことは、彼にとっては懐かしい思い出の一つとなっているようだ。
そこへ、クロウが発言の許可を求めて右手をすっと挙げた。
ウォルフが発言を許可するとクロウはどこか困ったような顔でリオンを横目に見ながら言葉を紡いだ。
「ですが、陛下……。リオン様がこのようなお姿になっていることを他の者に知られてしまえば、足元を掬おうとする者達が出てくるかもしれません」
「確かにそれもそうだな。……ふむ、見た目が小さい姿のままで北の大地へと向かうのは色んな面で危険があるだろうし、数人程を護衛に付けることにするか」
どうやら、リオンが自ら北の大地へと赴くことが決まったらしい。当の本人は子どもの表情とは思えない程に青ざめており、今にも倒れてしまいそうだった。
……一緒に居たのに、リオン様を守れなかった。
ここ数年、自分が剣術や武術を磨いてきたのは、リオンの剣と盾となる存在になるためだ。
そのためにひたすら技術を磨いてきたというのに、いざという時に役に立たなかったことに、アイラは自分自身を責めていた。
……お役に立ちたい。リオン様のために、私は──。
そこでアイラはぱっと顔を上げて、無礼だと分かっていてもウォルフに向けて、言葉を発していた。
「ウォルフ国王陛下! お願いがございます」
「ふむ? 何かね、アイラよ」
ウォルフはアイラの突然の発言を咎めることなく、続きを促してくれた。そのことに感謝しつつもアイラは真っすぐと宣言するように言い切った。
「リオン様が北の大地へと向かわれるならば、ぜひ私も同行したいのです」
「っ!」
引き攣った息をしたのは隣に立っているリオンだ。彼の瞳がこちらを見ていると分かっているが、それでも今は視線を向けることは出来なかった。
「リオン様が小さいお姿になられたのは、私を庇って下さったからなのです。だから、私にも半分、責任を背負わせて下さい。……お願いします。一緒に、行かせて下さい」
アイラの発言にその場に静寂が漂った。リオンがゆっくりと振り返り、そして何故か泣きそうな程に表情を歪ませる。
「アイラのせいじゃない。俺が……」
「リオン様」
反論される前にアイラは言葉を切ってから、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
いつもならば同じ視界を共有していたが、身体が小さくなってしまった今では、リオンが見ている世界が普段とは違う別世界を見ていると気付いてしまう。
……きっと、いつもより小さいというだけで、想像以上の苦労がリオン様に待っているのかもしれない。
それならば一刻も早く、大魔女に呪いを解いてもらうために北の大地に向かうしかない。
だが、その道のりは容易いものではないだろう。
護衛を多く連れていけないならば、自分がリオンの剣と盾になって、今度こそ彼を害そうとするものから守ってみせる。
アイラは密かにそう誓っていた。
「私は……リオン様の婚約者です。それはつまり未来の妻ということです。妻ならば、夫となる方を誠意と根性、そして深い愛情と力業でお支えするべきだと思うのです!」
アイラは瞳に強い意思を込めてから、リオンの細くなってしまった両肩をがっと掴んだ。
「お供させて下さい!」
「うっ……」
アイラの気迫に押されているのか、リオンは少しだけ顎を引いた。
アイラは知っている。他の人間に対してはそんなことないのに、アイラに対する時だけは、彼が意外と押しに弱いことを。
「……わ、分かった」
「っ……! ありがとうございます、リオン様!」
思わず感激したアイラは両手を広げて抱きしめそうになったが、その直前にリオンの小さな右手が額を押し返してきたため、それ以上進むことは出来なくなってしまった。
「……どうやら、決まったようだな」
それまで、やりとりを見ていたウォルフが静かに言葉を溢す。
「アイラよ。そなたがリオンと共に北の大地を目指すことを許可しよう」
「ありがとうございます、国王陛下」
アイラは立ち上がってから、ウォルフに向かって頭を下げる。
「そして、護衛にはクロウと……イグリス、そなたも付いてやってはくれないか」
「はい。もちろんでございます」
アイラがリオンに付いて行くとなれば、その護衛としてイグリスも付いて来るだろうと思っていたが、ウォルフはわざわざ気を遣ってくれたらしい。
見た目は厳ついものの、ウォルフは他者に対して気遣いが出来る優しい王なのだ。
「でも、二週間もリオンがお城にいないとなると、誰かに不在を覚られそうよねぇ」
そこに呑気そうなラミルの声が響き渡る。
確かに彼女の言う通り、第一王子であり、ある程度の政務を任されているリオンが二週間も王城にいないとなると色々と不都合なことが生じてしまうのだろう。
「それならば、一つご提案があります」
クロウがすっと右手を挙げてから進言し始める。
「立太子されてからでは時間が取れなくなるため、この二週間を使って、リオン様が内密に国内を視察される、ということにしてはいかがでしょうか。そうすれば、王城にいなくても不審に思われませんし」
「あら、さすがクロウね。いい案だわ」
ラミルは扇を手に取ってから、愉快そうに笑っている。どうやら、彼女はリオンの現状をそれほど深刻には捉えていないらしい。
「まぁ、それならば、とやかく言ってくる者は少ないだろう。……それでは準備が整い次第、出発を。北の大地まで、馬に乗っても一週間以上はかかるからな。気を付けて向かうのだぞ」
「……はい」
ウォルフの気遣う言葉に、リオンは呆けたような表情のままで返事をしていた。
まるで彼の意思がそこにはないようにも思えて、アイラは胸の奥が潰されそうな気分になってしまう。
……リオン様。
この状況の中で、一番混乱しているのはリオンのはずだ。望まない姿へと無理矢理に変えられ、ただ流れるように状況に身を任せるしかないのだから。
……私が、守らなきゃ。
小さくなっても、リオンはリオンだ。
傍に居たいと思う気持ちも、守りたいと願う思いも何一つとして変わることはない。
アイラは思わず、呆然とした表情のままで動かないリオンに手を伸ばしそうになっていたが、それをぐっと堪えて、気付かれないように拳を力強く握りしめていた。