大魔女ソフィア
夕食はリオンと国王夫妻と摂り、ラウリス国でどのように過ごしているか、またアイラの両親や姉弟の様子なども聞かれたため、食事の作法に注意しつつもアイラは楽しく談笑していた。
その後は湯浴みをしてから、就寝するだけだ。
しかし、久しぶりにリオンに会えたのだからこのまま寝るのはもったいないとアイラはリオンの部屋へと向かうことを決意する。
もちろん、事前に本人には伝えていないが、国王夫妻からはリオンの寝室に遊びに行っても構わないという許可を直接頂いている。
許可してくれた際のラミルは今にもはち切れんばかりに身悶えているように見えたが、その理由はあえて訊ねないことにした。
……でも、イグリスが止めに来るかもしれない。
先に湯浴みを済ませたアイラは枕を持ってから、あてがわれている部屋の扉の前で深呼吸していた。
今はイグリスが湯浴みに行っている時間だ。イグリスには、部屋から一歩も出ないようにと言付けられているが守る気は更々ない。
きっとイグリスのことなので、数分もかからずにお湯から出て来るだろう。
つまり、この短い時間を上手く活用して、リオンの寝室へと向かうしかないのだ。
……よし、行こう! リオン様が待っている!
気合を入れ直したアイラは夜着のまま、部屋から勢いよく飛び出した。
廊下に顔を出してみれば、人気は全くなかった。
もしかすると国王夫妻が気を利かせて人払いしてくれているのだろうかと思い、心の中で感謝しつつ、リオンの寝室へと向かって小走りに駆け出した。
王城の中は何度も来ているし、リオンの部屋がある場所ももちろん知っている。ただ、時間が限られているだけだ。
……あの時、リオン様は私に何を言おうとしていたのかな。
何か言いたげな表情をしていたリオンの姿が思い出され、アイラの心はきゅっと締め付けられる気分になってしまう。
今、こうやってリオンのもとに向かっているのも、先程の言葉の続きが聞きたいことも理由の一つだ。
偶然か、それとも国王夫妻による気遣いなのか、廊下で誰かと顔を合わせることなくリオンの部屋に辿り着くことが出来たのは、本当に幸いだ。
アイラは枕を抱えた腕に力を込め直し、そして大きな扉を右手で三回叩いた。
「──誰だ」
部屋の中から、リオンの声がすぐに返ってくる。アイラは深呼吸してから、返事をした。
「リオン様、アイラです。お邪魔しにきました」
「……え」
間抜けな声が返ってきたかと思えば、部屋の中からは何かが倒れるような鈍い音が響いてくる。
もしかして、突然のアイラの訪問に慌てているのだろうかと思っていると、リオンの部屋の扉が内側から思いっ切りに開かれた。
「……っ!」
「こんばんはっ!」
リオンの表情は驚きと羞恥心が混じったような、そんな年頃の少年らしい顔をしていた。
「こんばんは、じゃねぇよ! 何で夜に来るんだよ!」
「だって、久しぶりに会えたんですよ? 食事の時はあまりお話が出来なかったですし、少しは二人きりでお話したいじゃないですか」
アイラがぐいっと詰め寄ると、リオンは唇を噛みながら背中を仰け反らせていた。
「だからって……。ああ、もうっ……」
リオンはばっと廊下に顔を出してから、誰も見ていないことを確認するとアイラの腕を掴み取り、部屋の中へと引きずり込んだ。
「わぁっ……。り、リオン様、大胆ですっ……」
「変なことを言うな! ……本当ならば婚約者とは言え、未婚の男女が夜に同じ部屋に居る方が、外聞が悪いんだからな! あと、夜着のままで出歩くんじゃねぇ!」
扉を閉めながら、声を荒げているがそれでもリオンの頬は赤いままだ。本当に表情に出やすい人である。
「それでわざわざ夜に訪ねてきた用件は何だ?」
リオンは壁際の机に備えられている椅子をベッドの前まで引きずってから、そこに座るようにと促してくる。
アイラはリオンがベッドに腰かけたのを確認してから、用意してもらった椅子へと座った。
「えっと、お話の続きを聞こうと思って。ほら、陛下達に挨拶をした後、私に何かを伝えようとしていたでしょう? だから、続きが気になって、訊ねにきました」
「……」
にこりと笑うアイラに対して、リオンは右手で頭を抱えつつ、深い溜息を吐いていた。
「……忘れた」
「えぇ?」
ぶっきら棒に呟かれる一言にアイラが不満げな声を上げるとリオンは更に顔を歪めていた。
「忘れたから仕方ないだろう。……ほら、もう夜だから、早く自分の部屋に戻れ。お前のことだから、どうせイグリスが居ない間を狙って抜け出して来たんだろう」
「うっ……。だって……リオン様に会いたかったんです」
アイラがぽつりと呟いた言葉が聞こえたのか、一瞬だけリオンの身体が震えたように見えた。
「そうだ、リオン様! 今日はこのまま一緒に寝ませんか?」
「はぁっ!? 何でそうなるんだ!」
「小さい頃は一緒のベッドでお話しながら眠ったではありませんか。ねっ、一緒に寝ましょう!」
「俺がイグリスに殺されるから、却下!」
「今日だけでも駄目ですか?」
アイラは椅子から立ち上がり、ベッドに腰かけているリオンへと押すように迫った。
「だっ……駄目だ! もう、子どもじゃないんだから──」
慌てた様子でリオンが拒否の意思を示していた時だ。
突如として、リオンの部屋の大きな窓が外側へと勢いよく開き、荒れ狂うような風が室内へと入ってきたのである。
「っ!?」
「えっ?」
室内を荒らしていく風に、二人は同時に立ち上がりつつ、窓の方へと視線を向けた。窓の向こう側は夜の景色が映るだけだ。
しかし、そこから暗闇よりも黒い色の影が少しずつ姿を現してきたことで、何者かがその場にいることに気付いた。
「誰だっ!?」
リオンの鋭い声に窓の外から室内へと足を踏み入れてきた黒く小さな影からは、低い笑い声が漏れ聞こえる。
黒い影かと思っていたが、どうやらローブを着ているらしい。もしかするとその装いは魔法使いなのではとアイラは咄嗟に判断した。
「ふぉっふぉっ……。噛みつく声だけは一人前のようじゃな」
「なっ……」
ぶわりと、その場を不自然な風が吹き抜けていけば、それまで黒いローブを被っていた人物の顔がやっと目に見えるものとなっていた。
ローブの下から現れたのはまるで濡れ鴉のように艶やかな黒髪を垂らした十二歳程の少女だった。その瞳は金色に光っており、まるで夜を好む猫のように見える。
少女はリオンとアイラを上から下まで眺めるように見ては、にやりと笑みを浮かべた。
「おやおや、夜伽の最中だったか? それは邪魔したのぅ?」
「っ……。うるさいっ! それでお前は何者だ? 感じられる魔力は並大抵ではなさそうだが……。俺のことを疎ましく思っている貴族にでも雇われたか」
リオンはアイラを庇うように目の前へと立ち、右手を黒髪の少女の方へと向ける。いつでも戦闘態勢が取れるようにと彼は構えているらしい。
「ふんっ。そこらの雇われ魔法使い共と一緒にされては困るな」
そう言うと、少女は胸を張りつつ、はっきりとした声で答えた。
「我が名はソフィア! 北の大地に住まう大魔女様じゃ!」
見た目は少女だが、口調はまるで老婆のようだ。
しかも、大魔女と自身で宣言しているが、一体どういうことだろうかとアイラが首を傾げていると、目の前で庇ってくれているリオンから引き攣ったような声が零れていた。
「なっ……。北の……大魔女だと!?」
どうやらリオンはソフィアという少女のことを知っているらしい。それでも冷静さを取り戻したのか、すぐにソフィアを睨んでいた。
「北の大地に住まう大魔女は普段は人に姿を見せないと聞いている。お前、偽物じゃないのか?」
「失礼な! 現にこの部屋を守るように張られていた結界を魔法で破っただろうが!」
「確かにこの部屋に張ってある防御結界は、並みの魔法使いでは簡単に破れないものとなっているが……」
どこか悔しそうにリオンは言葉を口にしている。
魔法の国と呼ばれているカルタシア王国の王子である彼は、高い魔力を持っているだけではなく、ありとあらゆる魔法の知識と技術をその身に詰め込んでいる。
つまり王子でもあり、魔法使いでもある身なのだ。
そんな彼が悔しそうな表情をしているため、ソフィアと名乗る少女が只者ではないことは明らかだった。
「今ほどの結界しか張れぬというのに、こやつが次の王など……この国は不安しかないな」
「……何だと」
ソフィアの嘲笑するような言葉にリオンが低くも鋭い声色で訊ね返す。
「ふっ……。このくらいの挑発に容易く乗ってしまうなど、器が小さい証拠じゃ。よし、そんな奴には器の小ささに見合う、相応しい姿を与えてやろう」
ソフィアが心底愉快そうに笑い、そしてリオンに向けて両手をかざしてきたのである。
魔法を使用する気だと気付いたアイラはその場からリオンを逃がそうとしたが、それよりも先に動いたのはリオンだった。
リオンは振り返ることなく、アイラの肩に手を添えてから、そのまま後方へと突き飛ばすように押してきたのだ。
「ひゃ……」
リオンによって突き飛ばされたアイラは体勢を崩してから、床の上へと尻餅を付いてしまう。
リオンはすぐに自分達を守るための結界を展開していたが、その間にも何か呪文らしき言葉がソフィアによって呟かれ、室内は眩い光で覆われていった。
瞬間、リオンが展開した結界が激しく割れていく音が響く。
眩しさによって思わず目を瞑ったアイラだったが、衝撃を身体に感じることはなく、その光はすぐに止んだ。
一体、何の魔法を使ったのだろうかとアイラが瞳を開けると、その場に立っているのはソフィア一人となっていた。
気付けばリオンが床の上へと倒れており、もしもの場合を考えてしまったアイラの背中には冷たいものが流れていった。
「リオン様っ!」
「うっ……」
アイラが叫ぶように名前を呼べば、リオンから呻くような声が返ってくる。見たところ、怪我はないようで、アイラは安堵の溜息を吐いた。
「よくもっ……」
アイラが立ち上がってから、リオンを庇うように前に立つ。
すると、ソフィアはアイラの行動を鼻で笑ってから、冷めた瞳で見つめてきたのである。その視線に、まるで狩られる側のような感触を感じてしまう。
「ふっ……。娘よ、そこにいる小僧の傍に居てもお主のためにはならぬかもしれぬぞ? 早いこと、見切りを付けて、縁を切ることをおすすめしよう」
こちらを挑発するような言葉に対し、アイラは拳をぎゅっと握りしめる。
「何を、言って……」
しかし、相手を攻撃しようにも今、自分は武器らしいものを一つも持ってはいない。
どうするべきかと迷っているうちにソフィアはこちらに背を向けて、窓の外へと向かって歩き始める。
「小僧へとかけた呪いを解いてもらいたければ、王の器を備えて、わしの元へと来るがいい。そうじゃな……期限は二週間以内、と言ったところか。無事に辿り着けたならば、話を聞くくらいの相手はしてやろうぞ、小さき王子よ」
ソフィアは高らかな笑い声を上げつつ、暗闇に滲むように姿を次第に消していく。
「あっ、待て!」
アイラはすぐに駆け出してから、窓の外の露台に乗り出しつつ手を暗闇へと伸ばしたが、何かを掴むことは出来なかった。
暗闇の中で、大魔女と自称していた少女が高笑いする声だけが響いていく。
……一体、何だったの?
ソフィアはリオンを侮辱するような言葉を吐いていた。まるで、彼のことを最初から知っていたように。
そして、もう一つ、気になる言葉を口にしていたが、どういう意味だったのだろうか。
そう思っていた時だ。
「──はぁぁっ!?」
背後からリオンの驚いた声が響いてきたため、アイラはすぐさま振り返った。
「リオン様? どうなされたので……」
そこでアイラも固まってしまう。瞳に映っているリオンの姿を見て、これは現実だろうかと疑ったからだ。
「な、な……何だ、これはぁぁぁっ……!?」
舌足らずな声で叫ぶリオンはいつのまにか、背丈に合っていない服を着ていた。
いや、正確に言えば、背丈に合っている服装だったのに、彼の方が縮んだと言うべきなのかもしれない。
アイラは瞳を瞬かせながら、リオンの今の姿を凝視した。
彼は今、十年前に初めて会った時と同じ、年齢が七歳程の姿になっていたのだ。