転移
その後、しばらく他愛のない話をソフィアと交わしてから、リオンは王都に帰るべく席を立った。
何せ、王都からソフィアの屋敷まで二週間以上かかったため、迫りくる時間が押しているからだ。
二週間後には立太子式が控えている。馬を飛ばして、何とか間に合うかどうかの日数であるため、ソフィアの元に長居する時間はなかった。
しかし、その話をソフィアに伝えれば、彼女は面白いことを聞いたと言わんばかりに楽しげに笑い、そして外へ向かうようにと指示してきた。
「ソフィア殿。一体何をなさるつもりですか?」
クロウが自身の馬の手綱を引きつつ、怪訝そうに訊ねる。
ソフィアから帰宅のための準備を整えて、自分達が乗った馬を連れて来るようにと言われたのだ。
先に外へと出て、何かの準備をしていたソフィアがアイラ達の方へと振り返る。
彼女の足元には五芒星を円で囲った魔法陣と呼ばれるものが木の枝によって描かれていた。しかもその円の中には何やら文字が途切れることなく綴られている。
それを興味深そうに眺めていたリオンは、魔法陣が何の魔法を発動させるものなのか気付いたらしく、目を丸くしていた。
「お主達を王都まで送り届けようと思ってな。もちろん突然、町中で姿を現すことになれば周囲の者が驚くだろうから、王都の近くの平原に馬ごと送ろうと思っておる」
頭では分かっているが、対となる転移魔法陣がない場所へと人を送ることなんて出来るのだろうか。
そんなアイラの考えを察したのか、ソフィアは得意げに笑みを返してきた。
「転移魔法は得意でな。ほれ、お主達が夜伽をしておる際に、わしが闇夜から現れたじゃろう? あれも転移魔法による登場だったのじゃ」
「夜伽じゃありませんからっ! ……ですが、宜しいのですか。転移魔法を我々のために使って頂いて」
リオンは馬の手綱を引きながら、魔法陣の前で立ち止まる。
「時間が迫るほど人は焦って、いらぬ怪我をする生き物じゃ。それならば、わしが無事に王都の近くまで送り届けて、時間に余裕を持たせながら帰った方がいいじゃろう? 立太子式の準備も待っているからのぅ」
ソフィアの気遣うような言葉に、一同は首を縦に振る。確かに寝ないまま馬を走らせても何とか間に合う程の時間しか残されていないだろう。
それならば、ソフィアの心遣いを受け入れて、王都に近い場所まで送ってもらった方がいいかもしれない。
「ああ、魔法陣の中に入る際には、文字を消さないように気を付けてくれよ。ゆっくりと馬を入れるのじゃ」
ソフィアの指示に従い、アイラ達は馬の足元に気を付けながら、魔法陣の中へと入った。
「はみ出ないように気を付けてくれ。……さて、忘れ物はないか? 気付いた瞬間にはあっという間に王都の近くに転移しておるぞ」
ソフィアは確認するようにアイラ達を見渡してから、持っていた木の枝をその辺りへと放り投げた。
「……あの、ソフィア殿」
「うむ? 何かな、リオンよ」
「……試験をしていただき、ありがとうございました。まだ、未熟な点も多いと思いますが、これからも己を省みながら良き王を目指していきたいと思います。……アイラと共に」
そう言って、リオンは突然アイラの肩に手を回して身体に寄せるように抱いてきたのである。
その行動に驚いたアイラは声を発することが出来ずにいたが、目の前に立っているソフィアはどこか満足気に微笑んでいるだけだ。
「お主達が作る未来を楽しみにしておるぞ」
「ええ。……それでは次に会う日までどうか、おばあ様もお元気で」
リオンが柔らかく笑みを浮かべながら、ソフィアのことをおばあ様と呼ぶとソフィアは意外だと思ったのか目を丸くして、それから嬉しそうに破顔した。
はっきりと言葉にしなくても、リオンの気持ちはソフィアには通じているようだ。
「では、送らせてもらうぞ」
ソフィアは細い両手を重ね合わせて、ぱんっと音を鳴らすように叩いた。瞬間、アイラ達の足元にある魔法陣が淡く光り出し始める。
……凄い。地面に魔法陣を描いただけで、魔具も魔石も使っていないのに、その場が魔力で満ち溢れて行く。
大きな力ではあるが怖いわけではない。むしろ温かさで溢れており、ソフィアの内側が魔法として具現化しているようにも感じていた。
「また会おう、愛しき子らよ」
アイラ達が光に包まれて、ソフィアとの間が隔てられる瞬間、彼女は優しい瞳で自分達を見つめていた。
慈愛と安らかさで満ち溢れた瞳を最後に、アイラ達の身体は妙な浮遊感によって包まれていった。
気付いた時には、青々とした草原の真ん中にアイラ達は立っていた。先程まで自分達は春がまだやって来ていない北の大地に居たはずだ。
だが今、立っている場所は花が柔らかな風によって揺られている、気温が暖かな草原だった。
「……本当に一瞬だな」
呆けたようにリオンは呟き、周囲を見渡す。彼の瞳の中には王都の中心に建っている白き壁の王城が佇んでいる姿が映っていた。
「身体に違和感は残っていないですね。いやはや、さすが大魔女様……」
クロウも自身の身体に何か異常がないか確認しているようだが、特に変わっている部分はないと判断したのか安堵していた。
「初めて……転移……魔法陣……。うえっ……」
そこで顔色を青くしたのは意外にもイグリスだった。
彼女は口を手で押さえながら、今にも体内から何かを吐き出してしまいそうなほどに気分が悪そうだ。
「イグリス、大丈夫?」
「酔い、ました……」
アイラは持っていた水筒の蓋に水を注いでからイグリスへと渡した。イグリスはそれを小さく震える手で持ち直してから、喉に一気に流し込む。
「まぁ、普段から転移魔法陣を利用する機会なんて、中々ないからな」
「確かに先程の浮遊感には慣れそうにはないですねぇ」
一方でリオン達は転移魔法陣を使った際の妙な浮遊感に慣れているらしく、様子は元気なままだ。
「それじゃあ、イグリスの気分が落ち着き次第、ゆっくりと王城へと戻ろうか」
王城は目と鼻の先だ。これだけ近い場所に転移されたので、馬で走って行けば一時間ほどで城内に入れるだろう。
「あ、でも、お顔を隠さなくて大丈夫ですか?」
アイラはイグリスの背中を手で撫でながら、リオンの方へと振り返った。
「王城内ではリオン王子は視察に行っていたということになっているだろう。王子が王城に戻っても、何もおかしいことは一つもない」
そう言って、リオンは胸を張っている。
ソフィアの試験のことは誰にも知られてはいけないことなので、皆には黙っているようにと言葉が添えられている気がして、アイラは小さく笑った。
「そうですね。王城に戻って、皆さんにリオン様の元気な姿を見てもらいましょう」
呪いは解かれ、そして王位継承権を持つべき者かを試す試験は無事に終わった。きっと、二週間でリオンの様子が以前と変わったと気付く者は多くいるだろう。
アイラは小さい姿をしていたリオンを少しだけ懐かしげに思い出しつつ、王城が建っている場所に向けて、微笑んでいた。




