狩人な姫君
十年後、アイラは十六歳となっていた。
ただの十六歳の女の子ではない。一人で狩りを行っても許される腕前を持った「狩人」として、一人前に成長していた。
腰まで伸びた栗色の髪とその髪を束ねる赤いリボンが、吹き通っていった風によって緩やかに揺れる。
その風の中に微かな匂いの違いを感じ取ったアイラは大きな木の枝の上に陣取り、弓矢を構えた。
耳を澄ませば、風の音と混じるように茂みを揺らす音が聞こえて来る。恐らく、自分が待っている獲物がすぐ傍まで来ているのだろう。
「……」
息を押し殺し、木々の隙間から狙っている獲物が地面を歩いてくる姿を静かに待った。
構えている弓矢は自らの手で作ったものだ。小さい頃から剣術、体術、弓術を鍛錬してきたため、今の自分に勝る同世代の者はいないと言っていい程に、腕は確かだ。
……来た。
目下の木々の隙間から見えたのは薄茶色の毛並み。
アイラは構えていた矢を躊躇うことなく放った。風を切り裂く音と共に、地面の上へと何かが倒れる音が響く。
アイラは弓矢を背中に背負ってから、木の上から下りて、獲物がちゃんと仕留められているかを確認する。
倒れていたのはアイラの身体ほどに大きな鹿だ。首を狙ったがしっかりと矢が突き刺さっており、苦しませることなく一瞬で仕留めることが出来たようだ。
腹に弓矢を射ってしまえば、毛皮としての価値が下がってしまうため、アイラは出来るだけ腹以外の部分を狙うようにしていた。
「思っていたよりもこの鹿、身体が大きいし、食べる部位が多そう……。ふふっ……今日の昼食は豪華になりそう……!」
早速、持参していた縄で鹿を縛り上げてから城へと持って帰ろうとしていると、遠くから叫びにも近い呼び声が聞こえてくる。
「アイラ様ぁーっ!」
あんなに大きな声を上げれば、周りにいる動物達が逃げてしまうではないかと思ったが、よほど急ぎの用事らしい。
アイラがその場に立って、待っていると獣道を掻き分けて走ってくる男が息を荒くしながら近づいてくる。
彼は城で作られている畑の管理者であるロムという青年だ。アイラより五つ程年上だが、穏やかな性格であるため、普段は狩りに来るような人間ではなかった。
「ロムさん。そんなに慌てて、どうしたのですか?」
「どうしたのですかって……。うおっ!? アイラ様、この鹿……お一人で狩ったんですか?」
「うん」
「凄いですねぇ。これは食べ応えがありそうだ! ……って、それどころじゃなくて!」
ロムは大きな溜息を何度か吐いてから、アイラを真っすぐと見る。
「実は先ほど、アイラ様宛に書状が届いたのです。……カルタシア王国のリオン殿下が一か月後に立太子式を受けられるので、婚約者であるアイラ様にぜひ参列して欲しいと──」
ロムが言い終わらないうちにアイラは彼に背を向けて、走り出していた。もちろん、足が進む先はラウリス国の城が建っている方角である。
「ちょっ……。アイラ様っ!?」
「ロムさーん! その鹿、あとでお城に持って帰って来て下さーい!」
アイラは後ろを小さく振り返りながら叫びつつ、木々の隙間を抜けるように走っていく。
「えぇっー!? こんなに大きな鹿、一人で運ぶの無理ですってばぁー! せめて、他の誰かを手伝いに寄越して下さいよぉー!」
背後から絶望に近いロムの叫びが聞こえたが、アイラはそのまま無視をして、城に向けて一直線に駆け抜けていく。
アイラの心は「リオン」という名前を聞いた瞬間から、すでに浮足立っていた。
何故なら、自分の大好きな人と会えるのだから、嬉しくないわけがない。
彼と出会ってからすでに十年の月日が経っているが、それでも想う気持ちは日々募るばかりで、一つとして変わることはなかった。
初めて会った時から、強くて、優しくて、太陽みたいに温かい人。
最初はお互いの両親同士の仲が良いため、成り行きのような感じでの政略的な婚約者となったが、自分はリオンのことが心から好きでたまらなかった。
幼い頃はお互いの国に遊びに行って、お泊りしては友達のように笑いあっていたが、成長するにつれて、そのような時間は次第に減っていっていた。
リオンはカルタシア王国の唯一の王子であるため、立派な国王となるために日々、勉学と武術、そして魔法などに勤しまなければならなくなったからだ。
そのためここ数年は、年に会える回数が片手で足りてしまうほど、顔を合わせる機会は少なくなっていた。
王子であるため、忙しいのは仕方がないことだ。
それでも寂しさを感じてしまうアイラに、彼は以前こう言ってくれたのだ。
『──いつか、ちゃんと迎えに行くから』
子どもの頃よりも少しだけ心が成長した今ならば、リオンが告げた言葉の意味が分かる気がした。
だからこそ、アイラは待ち続けた。
待ちながらも、リオンの婚約者としてちゃんと振舞えるようにと、姫君としての修行だって耐えてきた。
本当は淑女らしい生活よりも狩りに明け暮れる生活の方を好んでいるが、リオンのためならば、何だって出来るのだ。その理由は一つだ。
いつか、大好きなリオンを支えながら、彼の隣に真っすぐと立てるように──。
……ふふっ。リオン様っ! 今、参りますからね!
今にも足が地面から浮いてしまいそうな程に軽い足取りで、アイラは抑えきれない笑みを溢していた。