確かめる熱
アイラが必死に縄を解こうともがいていると、荒々しい足音が部屋に向かって来るのが聞こえた。
……まずい。
確か盗賊団の頭領の男は今夜、この場所を出発すると言っていた。もしかするとそれを告げに来たのかもしれない。
焦っている間に、部屋の扉の鍵が開けられたと同時に男が数人、室内へと入って来た。
「おい、急げ! こいつらを早く、魔法陣の中へと連れていけ!」
頭領の男が配下である男達に命じたことで、彼らの手が子ども達へと伸ばされる。
「いやぁっ!」
「ふえぇっん……」
男達が子どもを小脇に抱えては、次々に部屋の外へと向かって行く。まるで、撤収作業のようにも見える動きにアイラは言葉を失っていた。
……魔法陣ってどういうこと? 荷馬車に乗って行くんじゃないの?
男達の言っていた言葉の意味が分からず、アイラが混乱しているうちに、子ども達が次々と部屋から荷物のように連れ出されてしまう。
「嫌だ……。いきたく、ないよぉ……」
隣に座り込んでいたティオルが声を震わせながら、後ろへと下がっていく。それでも男の一人が逃がさないと言わんばかりにティオルへと手を伸ばしていた。
……尻込みしている場合じゃない。
出来ないから、助けられないからと言って、目の前で起きていることを見過ごせるほど、自分を抑えられる心は持っていないのだから。
気付いた時にはアイラは一度、床上に足裏をつけて、そしてそのまま頭突きをするように、ティオルへと手を伸ばしていた男の腹部に向かって、飛び込んだ。
「ぐほぁっ!?」
アイラの頭突きは上手いこと、鳩尾に入ったのだろう。男はそのまま後ろへと倒れて、しばらく起きられないでいるようだ。
「何だっ!?」
頭領の男がすぐにこちらの状況を確認するために目を剥いてから近づいてくる。
配下の一人が倒れている姿を見て、大きく舌打ちしてから、アイラへと手を伸ばそうとしてきた。
だが、アイラは倒れていた身体を何とか素早く起こして、そして両足に力を入れてから立ち上がると同時に、男に向けて右足で回し蹴りを食らわせる。
しかし、距離が足りていないこともあり、アイラの蹴りが頭領の男に届くことはなかった。
「触らないで下さいっ! 私に触っていいのは……リオン様だけです!」
アイラは空振りした足を元に戻しつつ、牽制するように男を睨んだ。やはり普段より動きにくいがそれでも両足に頼るしかないだろう。
「このっ……。じゃじゃ馬が!」
しかし、アイラの行動に苛立ったのか、頭領の男が怒り任せに腰に下げていた長剣を抜いて、アイラに向けて、大きく振りかぶり始める。
……来るっ!
動きを見極めて、何とか攻撃を避けようとした時だった。
男の動きが突然、ぴたりと止まったのである。まるで一瞬にして彫刻になったのではと思える程に、微動することはない。
だが、息はしているようで、頭領の男の目は見開かれたまま、ひくひくと喉が鳴っている。
「──俺の妻となる女に、手を出そうとするなんて、良い度胸だな」
低くも凛とした声が響き、その場を満たしていく。動けないでいる頭領の男の背後からは、聞き慣れた革靴の音が響いていた。
そして、薄暗い部屋に灯るのは、月を彷彿とさせる淡い光。
「ああ、なるほど。どこかで見た顔だと思っていたが……。先日の旅商人じゃないか。随分と羽振りがいい商売をしているようだな?」
「ぐ、ぁ……」
そして、若い声の主がアイラの方へと姿を見せる。
見上げる程に高い身長、精悍でもあり、人懐こくもある顔立ち。胸元にはアイラが渡しそびれていた首飾りが下げられていた。
だが、その瞳は真っすぐと自分に向けられている。
「リ、オン様……」
リオンが眩しく思えたのは、きっと彼の胸元で光っている月明りにも似た光が彼を照らしているからだ。
眩しい存在の登場に暫くの間、呆けていたアイラは再びリオンに会えたことに対して、胸の奥が嬉しさと申し訳なさでいっぱいになり、それ以上を言葉にすることが出来なくなっていた。
すると、アイラによって鳩尾に頭突きされていた男がゆらゆらと立ち上がり、腰に差してあった短剣を引き抜いてからリオンへと襲い掛かろうと一歩を踏み出す。
「遅い」
リオンの冷めた物言いと同時に、男の動きはぴたりと止まる。それ以上を進むことが許されていないのか、彼は右足を半分、宙に浮かせたまま立ち止まっていた。
「なっ……」
「邪魔だ。眠っておけ」
それはもはや魔法の呪文ではなく、命令に近い口調だった。
だが、魔法に関して優秀なリオンは通常の呪文を唱えなくても、簡単な魔法ならば無詠唱で発動させることが出来るのをアイラは知っていた。
リオンの無詠唱による魔法が効いたのか、動くことがままならなくなった男二人は一瞬にしてその場に膝をつき、そしてそれぞれが前のめりになって倒れ始める。
大きな音が二つ分聞こえれば、そこには冷めた表情ではなく、安堵した瞳で自分を見つめてくるリオンがいた。
しかし、彼が何かを口にする前に背後から慌ただしい音が響いて来る。
「ああ、もう、あなたと言う人は一人で奥まで突っ込んで……!」
扉の奥から現れたのはクロウとイグリスだった。二人はアイラを見るなり、心底安堵したと言わんばかりの表情を見せる。
「お嬢……! ご無事で……!」
「わ、私のことはいいから……。それよりも、ここに一緒に捕まっていた子ども達がいるの。助けてあげて」
「それならばご安心を。先ほど、騎士団と共に屋敷内へと突入し、敵を一掃したのち、子ども達の身柄は保護しましたから」
アイラが言いたいことを分かっているのか、クロウは穏やかに説明してくれた。
「そちらの少年も保護致しましょう。……お名前を聞いてもいいですかな?」
クロウがティオルの前へと腰を下ろして、目線を合わせつつ訊ねるとティオルは聞き取れるくらいの声量で名前を答えた。
「ティオル、大丈夫だよ。もう、怖いことは終わったの」
アイラが優しい声でティオルに向けてそう告げれば、彼は表情を子どもらしく、くしゃりと歪ませてから、泣き声を上げ始める。
きっと、今まで自分に泣くことを許していなかったのだろう。我慢していたものが今、安堵によって崩れ去っていったのかもしれない。
クロウはティオルの腕を縛っている縄を魔法で解いてから、彼を抱きかかえた。
「イグリスはそこに寝ている二人を引きずって来てください」
「了解。……お嬢、リオン殿下。我々は外で待機していますので」
二人は空気を読むように颯爽とその場から立ち去っていく。
途中、廊下から鈍い音が聞こえてきたが、恐らくイグリスが両手で男達の首根っこを掴んで引っ張っていったので、彼らの身体がどこかに直撃している音なのだろう。
薄暗い部屋に二人、残される。それでもリオンの胸元で光っている柔らかな光のおかげでお互いの表情がよく見えていた。
「アイラ」
リオンが静かに名前を呼んだ瞬間、アイラの腕を縛っていた縄が一瞬にして、千切れた。
戻ってきた自由を喜ぶよりも前に、アイラは目の前の現実がどうしようもない程に嬉しくて声が出せずにいた。
「遅くなって、悪かったな。怪我とかしていないか?」
確認するように問いかけつつ、リオンはアイラの前に片膝をつけながら、視線を合わせてくる。
「なに、泣きそうな顔をしているんだよ。……言っただろう、いつだって助けに行くって」
そう言って、リオンは優しい笑みを浮かべながら、両手を広げたのだ。
「っ……」
抑えきれなくなったアイラは表情を歪ませつつ、リオンの腕の中へと飛び込んだ。
「リオン、様ぁっ……! リオン様っ……」
子どものように泣きじゃくるアイラの身体をリオンはゆっくりと抱きしめてくれる。
「アイラ……」
リオンが囁くように名前を呼んでから、自分を抱く腕に更に力を込める。
これは、現実だ。痺れるほどに安心する声も、布越しに感じる温度も。
全てが現実だ。自分はもう一度、リオンの傍に居られるのだ。
それを自覚してしまえば、アイラの涙は堰を失ったように姫君らしからぬ表情で流し始める。
本当は、怖かったのだ。もしかするとリオンに二度と会えないかもしれないと考えてしまうことが。
そんなことはないと自分を叱責しても、全ての不安を拭うことは出来なかった。
だが今、それまでに抱いていたものがたった一瞬にして、消え去っていったのだ。
この優しい温度こそ、自分が求めていたものなのだから。
・・・・・・・・・
盗賊団はその後、リオン達と騎士団の団員によって全員が捕らえられ、騎士団が保有する留置所へと連れて行かれたらしい。
彼らはカルタシアと大国の国々に挟まれている小国の出身で、その国は傭兵を輩出させる産業によって、成り立っている国だった。
盗賊団は隠れ蓑であり、本当は魔力持ちの子どもが多く住んでいるカルタシアから孤児の子どもを攫い、自国で売買するか、もしくは傭兵として育て上げて、その者が働いた際の仲介料などを巻き上げるような商売をしている輩だったらしい。
もちろん、これらは国家間の問題でもあるため、王子であってもリオン個人で収められるような問題ではない。
一度、国王へと話を持ち帰らなければならないので、盗賊団の今後の処遇についてはひとまず保留することにした。
話によれば、以前エギリン村を襲った盗賊達がこの盗賊団の仲間であるらしく、この後、騎士団から取り調べをたっぷり受けたあとは全員が王都の騎士団の留置所まで輸送されるらしい。
人攫いだけにとどまらず、人身売買という国際的な問題を起こしたため、今後は他国を交えての話し合いになるだろうとのことだ。
盗賊達は居座っていた廃屋の広間に、事前に自国に設置してきた魔法陣と行き来するために同様のものを描き、そこに攫った子ども達を入れてから送ろうと計画していたらしい。
だが、転移の魔法を発動させるためには多くの魔力か魔石が必要となっていたため、攫う孤児を見定めつつ、魔具専門店を襲撃しては魔石が付いている魔具を多く盗んでいたのだ。
準備が整った今夜、まさに送り出そうとしていたところに、リオン達と騎士団によって奇襲をかけられて捕まることとなった。
そして、盗賊団もとい、人攫い達に捕まっていた子ども達は騎士団によって保護され、それから身体検査や十分な食事と睡眠を与えたあとに、特に不調が出ていないことを確認してから、彼らが元々住んでいた孤児院がある村まで護衛されつつ送り届けることが決まったらしい。
アイラも騎士団に保護された子ども達の様子を少しだけ覗きに行ったが、盗賊達によって心の傷は負ったものの、皆が安堵の表情で過ごしていたので、時間が経てば少しずつ元気になるだろうと安心したのだった。
盗賊団が捕縛され、攫われた子ども達が全員救助されたことに対して、リオン達は騎士団やピルラカの町長からは無事に解決したことに深く感謝されていた。
しかし、今は身分を隠して行動しているからという理由で、表向きには騎士団が今回の件を片付けたということにしてもらった。
騎士団や町長からは恐れ多いと言われたが、リオンの説得によって何とか話は収まったらしい。
今回の件については、クロウによってすでに王城に通達が行っているらしく、国王や大臣達を含めた会議が行われるとのことだ。
その後は盗賊団の出身国と協議するための算段を整えることになるのだろう。




