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月夜

  

 春だというのに、夜はこんなにも寒かっただろうか。

 アイラはすぐ傍にいる子ども達に覚られないように溜息を吐いてから顔を上げる。


 視線の先には窓から外に出られないようにと、板が交差するように窓枠に打ち付けられており、その隙間から月明りが入ってきていた。


 淡い光に縋るような瞳を向けつつ、アイラはもう一度溜息を吐く。


 手を縛っている縄を解こうと試してみたが、想像以上に硬く結ばれているため、力だけで解くことは出来なかった。


 ……子ども達は絶望し始めている。


 薄暗い部屋に閉じ込められたまま、すでに数日を過ごしているのだ。彼らの幼い心が傷ついていないわけがない。


 ……でも、手を縛られたまま戦うことは出来ない。


 せめて、両手が使えるようになれば、素手で何とか戦える。

 以前、猪相手に素手で一撃を決めてから屠ることに成功したため、人間相手でも通用するだろうと思っている。


 ……盗賊団の人数は多いだろうな。荒事に慣れているようだったし、複数相手に武器を持たないまま挑むのは得策ではない。


 普段は感情のままに突っ走ると思われがちだが、アイラとて一人の狩人でもあり剣士だ。状況や相手を見極めて、どのように動けばいいのかくらい、自分で判断出来る。


 ……とにかく、時機を見極めなきゃ。子ども達を何とか逃がさないと。


 でなければ、盗賊団の意のままに、彼らはどこかへと売り飛ばされてしまうだろう。


 ……リオン様。


 脳裏に浮かぶのは、リオンの姿だ。


 気恥ずかしさを隠しながら、自分の名前を呼ぶ声を頭の中で再生しては、心を落ち着かせていく。

 彼の存在を認識するだけで、強くあろうと思えるのだから、自分はかなり単純なのだと思う。


 アイラは諦めかけていた心を自ら揺さぶって、腕を縛っている縄を解くために力を込め始める。

 せめて、少しでも緩んでくれたらと願いながら、手が縄で擦れて血が滲み始めても、気にすることなくひたすら力を込め続けていた。




・・・・・・・・・・



 廃屋がある森へとやってきたリオン達は騎士団の団員にそれぞれ、指定の位置に着いて待機するようにと指示を出した。結界を囲って、合図と共に奇襲をかける作戦である。


「……」


 静けさが満ちる中、雲がかかっていた月が姿を現し、そしてリオンを照らしていく。


 身体は次第に光っていき、いまだに慣れない感覚が身体中を駆け巡っていった。巡る血液が熱を持ち、そして心臓は大きく脈打つ。


 来る、と思った瞬間、リオンの身体はまるで成長を早めるように、少しずつ大きなものへと変わっていった。


 月の光を浴びている時だけ、自分は呪いがかけられた姿である七歳児から、元の十七歳の姿へ戻ることが出来るのだ。


「……ああ、なるほど。服を子ども用から普段用に着替えていたのはそういうことだったのですね」


 クロウの感心するような呟きを受け流しつつ、リオンは足の裾を捲っていたものを元へと戻した。


 そしてアイラが残していった乳白色の雫が付いた首飾りを首へと下げる。首飾りは月の光を浴びて、共鳴するように内側から発光し始めている。


「この首飾り、どうも月が持っている力と同じようなものを感じるな」


「……それ、お嬢がリオン殿下に渡そうと買ったやつですよ」


「え?」


 それまで静かに準備を整えていたイグリスがぼそりと口を出してくる。


「最初の町に立ち寄った際に、お嬢が魔具専門店で買っていました。中身は知りませんでしたが、私は耳がいいもので、店の中の会話がよく聞こえまして」


 そう言って、イグリスは彼女らしからぬ表情でふっと笑っていた。


「その首飾りは『月の女神の涙』という魔具らしいです。月明りを浴びせることで、清浄なる力を溜め込むことが出来る代物です。ずっと、リオン殿下に渡そうと悩んでいるみたいでしたがお嬢なりに色々と考えていたらしく、結局渡せずにいたようです……」


「そうだったのか……」


 この首飾りは、アイラの部屋に置きっぱなしにされていたものだ。勝手に持ってきては悪いだろうかと思っていたが、持っていると妙な心地よさを感じていた。


「俺が貰って良い物ならば、ありがたく貰っておこう」


「ええ、ぜひそうしてください。お嬢も喜ぶでしょうから」


 どうして、自分のために買ってくれたものをアイラは渡すことが出来ずにいたのだろうか。

 だが、考えるよりも直接、本人に聞いた方がいいだろうと、リオンは目の前の結界へと向きなおった。


「クロウ、イグリス。変身してくれ」


 リオンの命令を受けた二人は、変身魔法でそれぞれ黒い鴉と黒い猫へと姿を変えていく。


 変身魔法は難易度の高い魔法の一つだが、二人はいとも簡単に可愛らしい動物の姿へと変えて、足元からリオンを見上げていた。


「クロウはイグリスを抱えて、上空から屋敷内にいつでも突入出来るように準備しておいてくれ。俺は……自分の足で、アイラのところへ行く」


 胸元に下がっている乳白色の雫を指先で摘まみながら、リオンは足元に立っている二人に真っすぐに告げた。


「……たとえ、アイラが呪われた姿の俺を受け入れてくれていても、それでもやっぱり、あいつを助けるのは子どもの俺じゃなく、本当の姿で居たいんだよ」


 リオンの本音に答えるようにクロウが双翼を広げつつ、どこか楽しげな言葉を返してきた。


「そういうところが、まだまだお子様なんですけれどねぇ」


「うるさいっ。……誰だって、好きな女の前くらい、良い格好でいたいだろうが!」


「アイラ姫なら、お姿のことは一切お気になさらないと思いますよ。……まぁ、私が代弁するよりも本人に直接訊ねた方がよろしいでしょうねぇ」


「分かっている」


「それでは、我々は上空で待機しておりますので。結界が破壊され次第、突入致します」


「ああ。二人とも、気を付けろよ」


「ええ、リオン様も無理はなさらずに」


 クロウは双翼を動かしてから、少し浮かび上がると、猫の姿で待機していたイグリスの襟首辺りを爪先で掴み、引っ張るように持ち上げて行く。


 ぱたぱたと音を立てながら、動物姿の二人が上空に向かって進んで行くことを確認してから、リオンは深く息を吐いた。


 目の前には透明な壁が立ちはだかっており、軽く叩いたくらいで割れることはない。

 恐らく、結界を張っている者がかなりの手練れか、もしくは上等な魔具を使って結界を形成しているのかもしれない。


 ……それならば加減することなく、壊せばいいだけだ。


 今は子どもの姿ではない。本当の姿、カルタシア王国第一王子、リオン・ディル・ハイドライルだ。


 それでもアイラの前では王子でも何でもなくただのリオンになってしまう。時折だがそう思える感覚が、妙に心地良いと感じていた。

 そして自覚するのだ。自分は、アイラが傍にいなければ駄目なのだと。


 自嘲というよりも、照れ隠しをするように小さく笑ってから、リオンは張られている結界に両手を添える。


「さて、破壊させてもらおうか」


 アイラの前ではとてもではないが見せられない程に、黒く冷めた笑みを静かに浮かべる。


 今夜は良い月夜だ。せめて、アイラの元へと辿りつくまで、十七歳の姿を維持出来ればいいと思う。


 リオンは両手に魔力を送りつつ、そして次の瞬間、強固な結界を力の限りに吹き飛ばしたのであった。


 

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