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揺るがぬ決意

 

 淡い期待を持って、リオン達が今夜宿泊する予定の宿屋に戻ってみれば、その出入り口となる扉の前に直立している影が視界に入ってきた。


「イグリス……」


 どうやら彼女はずっと、宿屋の前で立ったまま、アイラの帰りを待っていたらしい。それはつまり、アイラが戻って来ていないことを意味していた。


「……お嬢は」


「今、クロウが鴉たちに魔法をかけて、行方を捜してもらっている」


「そう、ですか……」


 いつもとは違い、あまりにも覇気がなかった。

 常にアイラと一緒にいるイグリスにとって、主の傍に居られないことは何よりも彼女の心を抉るものなのだろう。


 だが、イグリスは何かを決心したように、ばっと顔を上げて、リオンを真っすぐに見つめてきたのである。


「リオン殿下」


「何だ」


「お嬢のことは私に任せて、どうかクロウと共に北の大地へと向かって下さい」


「……」


 そこにいるのはアイラと、そしてリオンの従者としての立場を弁えたような態度を取るイグリスだった。


「そもそも、お嬢の護衛だというのに、野放しにしてしまったのは私の責任です。ですが、お嬢が望むものを私は同じように望みます。……どうか、北の大地へと向かい、大魔女ソフィア様にお会いに行って下さい」


 焦りや不安などは全く感じられなかった。それが正しいと、最善だと、そう言っているように聞こえたからだ。


「北の大地は広い場所です。この町で時間を潰してしまえば、大魔女が指定した期限に間に合わなくなってしまうかもしれません。……お嬢はきっと、それを望みはしないでしょう。むしろ、自分のせいでリオン殿下に迷惑をかけたと受け取るはず」


「……だから、アイラの行方を捜すことを諦めて、そして見捨てて先に旅立てというのか」


「どのように受け取って下さっても構いません。私はただ、お嬢の意思を遂行するまでです。……それがたとえ、未来の国王となる方に対する侮辱だとしても」


 そう言って、イグリスは頭を下げて来る。いつも突っかかってくるアイラの従者がこのような姿勢をリオンに取るのは初めてだった。


 自分の全てを以てして、アイラをどうにか見つけ出したいと思っているイグリスの姿勢は認めよう。それはリオンも同じだからだ。


 だが、イグリスの言葉に一つだけ、気に入らない部分があったリオンは王家の人間らしく腕を組み、鼻を鳴らしながら言い切った。


「アイラを捜して、連れ戻すのは俺の役目だ」


「なっ……」


 頭を下げていたイグリスは勢いよく顔を上げて、それから表情を顰めた。

 そうだ、そういう顔こそが彼女にとっては常である。


「お前はまだ納得していないようだから、この際はっきり言わせてもらおう。──アイラは俺の婚約者だ」


 それ以外の何者でもないと言わんばかりに大きな態度を取りつつ、リオンは言葉を続ける。


「アイラは俺の婚約者で、そしてカルタシアの未来の王妃だ。だが、それ以前に……俺が惚れた女でもある」


「……」


 ぽかんと口を開けているイグリスと、リオンの背後で喉を鳴らすようにクロウが笑い始めたのは同時だった。


「惚れた女を守れない奴が……国を守れる王になれるわけがないだろう」


 子ども姿のままで、リオンは低い声で呟く。そこには自分自身に対する自嘲が含められているわけではない。


 これは、決意だ。

 揺るぐことを自分で許すことはない、ただ一つの意思。


「俺がこれから立とうとしている場所に、アイラがいなければ意味がないんだ。リオンという子どもは、アイラという純粋の塊みたいな奴が傍にいないと、まともに動けないんだから」


 皮肉か冗談か。そんな言葉を返せば、耐え切れなくなったのか、クロウがとうとう噴き出した。

 人がせっかくイグリスというアイラの保護者に向けて、娘を頂きますと言わんばかりに説得していたのに、台無しではないかとクロウを軽く睨んでおいた。


「はは……。リオン様、やっとご自分の気持ちを受け止めましたね。いやぁ、これで反抗期は脱出だ。陛下達にも報告せねば」


「クロウ、お前な……」


 呆れたような視線でクロウを窘めても、彼は態度を変えることなく笑っているだけだ。


「……リオン殿下……」


「何だよ」


 目の前のイグリスが、固まった状態のままで口をゆっくりと動かした。


「それ程までにお嬢のことが好きだったんですね……」


「お前の主人がやたらと積極的過ぎて、俺の感情が表に出にくかっただけだ! ……と、とりあえず、俺は町に残って、アイラの行方を捜すからな! 異論は認めない!」


 確かにイグリスの前でアイラに対して、愛の言葉なんてものを囁いたことはなかったし、態度だっていつまで経っても幼馴染の延長線のような関係に見えていただろう。


 それでもリオンの中では確かに、密やかに、しっかりとアイラを一人の女性として想う気持ちはあったのだ。

 ただ、表に出せない性格をしていただけで。


「そういうわけで、イグリス。三人でアイラ姫の行方を捜しましょうか」


 クロウがその場を取り繕うように、苦笑交じりに告げるとイグリスはそこでやっと安堵するような息を吐いた。


「分かりました。……まぁ、リオン殿下がこのお姿から戻らなくなっても、お嬢にとっては何も変わらないでしょうね。傍から見れば歳の差に見えますが、月が出る夜には元のお姿に戻られるのでしょう? それなら、夜に同衾する際には世継ぎの心配はないと思われますし」


「……驚くくらいに掌を返したな。だが、結婚するまで、アイラには手を出さないからな! 勝手に変なことを想像するなよ!」


「思春期男子が何を仰っているんですか、みっともない。本当はアイラ姫に触りたくて仕方がないと思っているくせに」


「なっ……」


 クロウから爆弾を投下されたリオンは思いっ切りに顔を顰めながら、先程よりも強めに睨んだ。


「あ、リオン殿下。お嬢の合意がなければ、私は許しませんので」


「だから、気が早いって言っているだろうが! くそっ……。おい、クロウ! それで鴉たちは何か見つけてくれたのか⁉」


 話をわざと逸らしつつ、リオンは迫るようにクロウへと訊ねる。クロウは意識を集中させる素振りを見せてから、顔を上げた。


「それが……鴉たちが言うには、この町と隣接している森に光の筋が続いており、途中でふつりと消えてしまったようです」


 恐らく、リオンの魔法の効果が切れてしまったのだろう。半減している魔力を用いれば、その効果や力も半減するものだ。


「ですが、鴉たちが言うには、その光の筋が途切れた場所にはとある廃屋があったそうです。彼らが周辺の鴉に聞き込んだところ、その廃屋は元々が野鳥たちの寝床となっていたようですが、ここ最近は人間が出入りしているため、近寄れなくなったと言っていたらしいです」


「近寄れなくなった?」


「ええ。何でも廃屋が建っている周辺に魔法がかけられているのか、それ以上の敷地に入ることは出来ないようなんです。もしかすると、光の筋が途中で途切れてしまったのは、リオン様の魔法を妨害する何かがそこにあるからかもしれませんね」


「……廃屋の周辺に侵入を防ぐための結界が張ってあるということか」


 クロウが言おうとしていたことをリオンが告げると、彼は同意するように頷き返してくれた。


 廃屋につい最近、人が住み始めたのならば、その持ち主となる者が役所に届け出をしているはずだ。

 でなければ、元々の持ち主が保有したまま放置している可能性がある。


 これ以上の確証を得るためには、少しだけ一歩を踏み出さなければならないだろう。


「……すぐに、この町を管轄にしている騎士団、また役所に廃屋の話を聞いてきてくれ。今の持ち主のことや最近、人の出入りがあったのかを。……詳しい話が聞けない場合は、俺の名前を出してくれて構わない」


 リオンはそう告げて、腰に下げていた短剣──カルタシア王国の王家の紋章が鞘に刻まれている短剣をクロウへと差し出した。


「……よろしいのですか」


 内心は驚いているのかもしれないが、クロウはそれを表に出すことなく訊ねて来る。


「ああ」


 短い答えだが、その一言に全ての責任は自分が取るという意味を含めてから、リオンは冷めた表情で笑った。


 普段ならば、誰にも見せることのない冷酷さを前面に出した表情に、長年従者を務めているクロウは肩を竦めているだけだ。


「きっと、こんな悪人面な顔を見てもアイラ姫は素敵だと仰るのでしょうねぇ」


 リオン様は何と幸せなお方だ、と言ってクロウは隠すことなく笑っているため、リオンはわざと咳払いをしいておいた。


 

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