買い物
「どんな魔石が欲しいんだ?」
「そうですね……。とりあえず、物理攻撃と魔法攻撃から身を守ることが出来る魔石が欲しいです」
「そうだなぁ。……それなら、これはどうだ? ほら、この指輪に大きな魔石がはめ込まれているだろう」
「わぁ……。綺麗な色の魔石ですね」
男が勧めてきたのは、透明なのに何故か虹色に光って見える魔石がはめ込まれた指輪だった。
「でも、指輪かぁ……。私、剣を扱うので、指輪をはめると邪魔になってしまうんですよね」
「それなら、細い鎖に指輪を通して、首飾りにするといいさ」
「ああ、なるほど!」
さすが、商人をやっているだけあって、客の要望の対応に慣れているなとアイラは密かに感心した。
「さて、どうする? この指輪と細い鎖を一緒に買うならば……通常は二万三千ディルだが、嬢ちゃんには特別に一万ディルにしておいてやるよ」
「えっ! 良いんですか?」
「おう! この前は世話になったからな」
にかっと笑う男は、言葉に偽りはないと言っているようだった。
男の心遣いで安くしてもらっているし、必要な物でもあるので買っておいた方がいいだろうとアイラは財布から一万ディルを取り出し、男へと渡した。
「さっそく着けて帰るか?」
「いえ、袋に入れておいて下さい。必要な時に自分で指輪に鎖を通して、着けるので」
「はいよ」
アイラの要望に応えるように、男は布の端切れに指輪と細い鎖を包んでくれた。それを受け取ってから、アイラは財布と一緒に服のポケットへと突っ込んでおいた。
「ありがとう、おじさん。……でも、魔石を狙う盗賊には気を付けて下さいね。この前、エギリン村で暴れていた盗賊はまだ、全員が捕まっていないみたいなので」
「エギリン村?」
アイラの言葉に、旅商人の男は言葉を聞き返してくる。どうやら、盗賊達がエギリン村を襲ったことを知らずにいたらしい。
「私達が泊っている日に盗賊達が村を襲おうとしていたんです。でも、捕まえられたのは半分くらいで、他の盗賊達は逃げてしまったようで……。村の人達は怪我をしなかったから、良かったのですが全員が捕まっていないので、まだ安全ではないんです」
「うわっ、それは大変だったなぁ……。嬢ちゃん達もその場に居たんだろう? 怪我とかしなかったのか?」
「はい。こう見えて、鍛えていますから」
先日、旅商人の男に言った言葉と同じものを告げると彼はにやりと笑っていた。
「そうだったな。嬢ちゃんは強いんだったな」
「ええ。……あ、そういえば、リオ……じゃなくって、このくらいの背で、黒髪の男の子を見ませんでしたか?」
立ち去ろうと思っていたアイラはその場に踏みとどまり、旅商人の男へとリオンの姿を見なかったか試しに訊ねてみた。
「この前、一緒に居たふてくされた顔の子どものことか? うーん……」
男は腕を組みながら小さく唸り、どこか遠くを見るような瞳をしてから、そしてはっと何かに気付いたように顔を上げた。
「そういえば、そこの路地を嬢ちゃんの知り合いらしき子どもが通っていたな」
「本当ですか!?」
アイラは思わぬ収穫が入ってきたことで、つい喜びの声を上げてしまう。その声に驚いたのか男は目を瞬かせ、そして頷き返した。
「何だ、迷子か」
「いえ、迷子というわけではないのですが……。ちょっと離れてしまったので、探しているんです」
「まあ、俺の仲間にも、その子どもを見なかったか聞いておいてやるよ」
「他の方もこの町にいらっしゃるのですね」
「ああ。この町は広いからな。人が通りそうな場所で、こうやって露店を開いて、散り散りに商売しているってわけだ」
「なるほど……」
だが、町中で露店を出しているならば、リオンの姿を見る機会は多くあるだろう。
とりあえず、アイラは旅商人の男に教えてもらった路地を通って、リオンの行方を捜すことを決意した。
「教えて下さり、ありがとうございます。また会う時があれば、宜しくお願いしますね」
「おう、またな」
旅商人の男にお礼を言いつつ、アイラは教えてもらった路地の方へと向かって行く。
建物と建物の間にある細い通りはかなり狭く、大人が何とかすれ違うことが出来るほどの横幅だった。恐らく、地元では抜け道として使われているのだろう。
……こんな場所を通って、どこに行ったのかな、リオン様。
最近、リオンは思い詰めているような表情をしていたが、何を思っているのかを本人に訊ねることは出来ずにいた。
……出来るなら、ちゃんと面と向かって色んなことを話したいなぁ。
何を抱えて、何に悩んでいるのか。
そしてリオンは──自分のことをどう思っているのだろうか。
きっと、幼馴染以上の感情は向けてくれているだろうが、そこに婚約者として、もしくは一人の女の子として自分を想ってくれている気持ちを彼は持っているのだろうか。
そんなことを考えている時だった。
背後から、小石のような物が転がって来て、それがアイラの横を通り過ぎて行ったのである。
いま、自分は小石を蹴っただろうか。そのようなこと、普段でさえ考えることはないだろう。
だが次の瞬間、小石のような物が突然、真っ二つに分かれたのである。割れた石のような物からは何かが零れた気がして、アイラは暗がりの中で目を凝らした。
それでも、はっきりと目に見えない何かが鼻先に甘い匂いをかすめて行った気がして、アイラは思わず口元を右手で覆った。
「なに、この甘い匂い……」
まるでラウリス国の森の奥でたまに見かける、食虫植物が獲物を誘う際に体内から発している匂いに似ている気がした。
……でも、違う。これは……。
半分に割れている石の正体を探るために、アイラは指先で転がっていた石を摘まんでみる。
半分に割れた石の中身は空洞となっており、それが普通の石ころではなかったことを自覚した時にはすでに遅かった。
その場を埋め尽くす甘い匂いは濃くなり、同時にアイラの身体は痺れが回るように動けなくなる。
「っは……」
これは、罠だ。
気付くのが遅いと分かっていても、アイラは摘まんでいた石の欠片をその場に投げ捨てた。
アイラは狩猟の際に使う道具の中で、体内に匂いを取り入れることで身体が動けなくなる薬が存在していることを知っていた。
ただ、珍しい材料が必要となる上に、扱いが難しいため、ラウリス国の狩人達がこの薬を狩猟の際に使うことはほとんどない。
「誘香玉……」
どうやらこれは誘香草という珍しい植物を調合して、作られた道具と同じもののようだ。
ぼそりと呟きつつもアイラの両足は石畳の上へと、崩れ落ちてしまう。
まさか、この薬が人間にこれほど効果があるものだとは知らなかった。いや、そもそもどうしてそのような薬がこの場所で使われているのか。
しかし、今は考えるよりも先に、誰かに助けを求めた方が良いだろうと思ったが、アイラは身体中に回る痺れによって大声を出せずにいた。
道を戻った方が良い。今なら、何とか気力で引き返せるし、通りには行き交う人達がいるはずだ。
路地さえ出て、自分の姿を見つけてもらえれば何とかなる。
アイラは崩れていた片足を立ててから、呼吸をしないように息を止めつつ、気合を入れ直す。
逃げなければ。
ここは危険な場所だ。
だが、意識まで遠くなって来てしまうのは何故だろうか。この甘ったるい匂いには痺れ薬だけではなく、眠り薬も入っているのかもしれない。
そこに背後から人の気配がした気がして、振り返ろうとしたが、身体は少しずつ揺らめいてしまう。
……人の、気配が……。
呼吸することが出来ないまま、アイラは滲んで行く視界の中で気配を探る。
「……全く、余計なことをしてくれやがって」
誰かがそう呟いた冷たい声を耳に入れた後、アイラの意識は遠のいてしまっていた。




