渡せないもの
王城を旅立ち、すでに十日が経った。期限は二週間と言われているが、馬に乗っているので、あと二日程で北の大地には着くだろうとクロウが言っていた。
今日はカルタシア王国の中で二番目に大きいと言われている町、ピルラカに宿泊する予定だ。
なぜ、ピルラカが王都の次に大きい町なのかと言えば、ここは北の大地へと入る前の最後の町とも言われており、北の騎士団が駐在している場所だからである。
北の大地の山々を超えた先には大国があり、防衛のために騎士団は置かれている。
また、北へと続く道を通る際の関所も置かれているので、他国を行き来する者への商売などが盛んな町らしい。それ故に、異国の旅人の姿がちらほらと見受けられた。
……何事もなければあと、二日で北の大地かぁ。でも、帰りのこともあるし、あまり時間はかけていられないな……。
しかし、相変わらず、リオンの様子は暗いままだ。
クロウはまだまだ子どもですねぇと笑っているし、イグリスは辛気臭いと吐き捨てていたが、そんな従者の軽口に応える程の気力も持ち合わせていないようで、気落ちしているリオンをアイラは更に心配していた。
……どうすれば、元気になってもらえるんだろう。やっぱり、私はリオン様のお役に立てないのかな……。
手元にあるのは、ずっとリオンに渡せないでいる魔具の首飾りだ。渡したら渡したで、気休めにもならないだろうし、リオンの気分を損なわせる可能性だってある。
月の光を浴びている時だけ元の十七歳の姿に戻るようだが、この首飾りを渡してしまえば、自分は意識していなくても、リオンに元の姿に戻って欲しいという意図が含まれてしまいそうで怖かったのだ。
……私はどんなリオン様でも好き。でも、これを渡したら……。
リオンに拒絶されたくはない。想像しただけでも心が痛くなってしまったアイラは小さく顔を顰めた。
アイラは窓辺の縁に乳白色の雫の首飾りをそっと置いてから溜息を吐く。
今はまだ、夕方前だ。もう少しすれば、夕食を食べにどこかの料理屋に行こうとクロウ辺りが皆を誘う頃だろう。
……そういえば、北の大地はここよりも寒いってリオン様が言っていたな。まだ、夕食までに時間はあるだろうし、防具屋でも覗いてこようかな。それと、魔具専門店も。
上着を買うことを忘れていたため、今のうちに買っておいた方がいいだろう。明日も朝早くに出発するらしいので、朝に上着を買う時間はないかもしれない。
携帯食料などは今、クロウとイグリスが買い出しに行ってくれているので、アイラは自身が所持しているもので他に必要な物はなかったかと少し思案する。
……上着と念のために魔石も買っておこうかな。あとは首元が寒い時があるから、襟巻も必要かも……。
アイラは部屋の隅に置いていた鞄から手帳と財布を取り出し、そして腰に下げていた長剣を壁へと立てかけた。
買い出しに行っているイグリス達が宿屋に戻って来た時のために、書き置きを残すことにしたアイラは手帳から紙を一枚だけ破いて、万年筆で短く文章を書いた。
『必要な物があったので、買い物に行ってきます。夕食までには戻ります。──アイラ』
この書き置きを机の上に置いておけば、きっと大丈夫だろう。
イグリスは心配性で過保護な面もあるが、基本的にはアイラの自主性を重んじてくれるし、自分の剣術と体術の腕を信用してくれているので、自由行動を勝手にしても怒られることはないだろう。
それに宿屋から出ないようにとは言われていないので、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、アイラは短剣と財布だけを服の下に装備してから部屋を出た。
「……リオン様には一応、一言だけ言っておこうかな」
アイラは隣の部屋の扉の前に立ち、そして深呼吸してから扉を叩いた。
「リオン様。アイラです」
しかし、室内から返事はない。意識して気配を探ったが、やはり部屋には誰もいないようだ。
「うーん。どこに行ったのでしょう……? もしかして、イグリス達の買い出しに付いていっているのかな」
だが、もしそうでなかったならば、リオンが一人でこの町のどこかをふらふらと歩いているのかもしれない。
リオンの見た目は、今は七歳となっているため、悪いことを考える輩が近づいてきたら大変だと、アイラは自身の買い物に付け足すようにリオンの捜索も加えることにした。
宿屋の店主に、買い物に行ってくると伝えてから、アイラは宿屋の外へと出る。
夕方より少し前の時間帯であるが、それでも町中は買い物客や旅人、仕事終わりの人間で賑わっているようだ。
……リオン様、どこに行ったんだろう。
きょろきょろと周囲を見渡しながら、アイラは店が立ち並ぶ場所を歩いていく。
道の両端に並んでいるのは防具屋や武器屋、そして魔具専門店と言った、旅人や魔獣討伐を専門とする人を対象にした店ばかりだ。
女の子が好む雑貨屋よりもそちらばかりが気になるが、本当はゆっくりと見て回りたいのが本音だ。
年頃の女の子ならば、自分を着飾ることに興味があるものだろう。
だが、子どもの頃に男の子と間違えられる容姿をしていたことをいまだに気にしており、アイラはリオンから貰った赤いリボン以外の髪飾りや装飾品を身に着けることが出来ないでいた。
……自分には似合わないかもって、どうしても思ってしまうんだもの。
アイラは何気なく、髪を一つにまとめている赤いリボンに手を添える。これはリオンから貰った大事な宝物だ。大切に手入れしつつ、使ってきた。
正直に言えば、自分に似合うような装飾品がこのリボン以外にはないのかもしれない。自分はどう見ても田舎娘で、傍からみればお姫様という身分の人間には見えないだろう。
だからこそ、接してくれる人達が特に警戒心を抱くことなく、自分に笑顔を見せてくれるのだろうが。
アイラは視線を再び、前へと戻して歩き出す。
「──お、この前の嬢ちゃんじゃねぇか」
すると斜め前から突然、声をかけられたアイラは何となく、聞き覚えがある低い声だと思って、すぐに声の主の顔を見た。
「あれ? ……あ、荷馬車の人!」
「おっ。ちゃんと覚えていたか」
道端で露店を開き、商品である魔具を布の上へと並べているのは、先日アイラ達が手助けした男達の一人だった。
アイラの方に向けて、軽く手を振っていたため、挨拶がてら近づくことにした。
「こんにちは。お元気そうで良かったです」
「嬢ちゃんもな。……ん? 今日は連れとは一緒じゃないのか」
「他の皆は買い出しです。私も自分に必要なものを買っておこうと思って」
「備えあれば憂いなしって、言うからなぁ。……それで嬢ちゃん。この前のお礼と言っては何だが、安くしておくぜ? ここ最近は盗賊団の仕業で魔具の相場が高くなっているが、嬢ちゃんは特別だ。何せ、恩人だからな」
旅商人の男はにやりと笑った。そういえばこの前、別れ際に魔具を買うなら安くしておくと言っていたが、どうやら社交辞令ではなく本当だったらしい。
「いいんですか? ……実はちょうど、魔石が欲しいなぁと思っていたんです」
この後、北の大地へと向かい、大魔女と対峙しなければならない。もし、その際に戦闘になった場合に備えて魔石を持っておきたいと思ったのだ。
魔石にはたくさんの種類があり、持って呪文を唱えるだけで魔法が使える魔石や、防御となる結界を張ってくれる魔石など様々な物があるのだ。
アイラは魔力がリオン達と比べると格段に少なく、扱える魔法はほとんど無いに等しい。そのため、魔法による戦闘が行われた場合に備えて、魔具か魔石が必要だと感じていた。




