好きなところ
季節は春とは言え、北の大地へと近づくたびに少しだけ空気が涼しく感じられた。
今、アイラはリオンと一緒の馬に乗っている。確かに不機嫌そうな表情をしているが、それでも話しかければ受け答えははっきりしているため、内心は安堵していた。
……そういえば、リオン様とは喧嘩らしい喧嘩をしたことがないなぁ。
リオンから照れ隠しで叱られることはあっても、叱責されるようなことも、悪口を吐かれることもない。
いつも自分を認めてくれるし、そして泣いている時に温かな手を伸ばしてくれる優しい人だ。
馬の鞍の上にアイラは座っており、その目の前にはリオンが座っている。
思わず、手綱を握っている両腕で、リオンを挟むように後ろから抱きしめると、彼の身体が少しだけ震えた。
アイラの方に振り返りつつ、リオンが訊ねてくる。
「どうした?」
「あっ……。す、すみません。あの……」
少しだけ、リオンの熱を求めたいと思ってしまったことを覚られないか焦ったアイラは視線を泳がせてしまう。
「寒くなったのか? まあ、そろそろ日が傾いてきたからな」
「えっと……。はい、肌寒くなってしまいまして……」
今はリオンの言葉に合わせておこうとアイラは曖昧に笑うことにした。
「ちょっと待っていろ。確か、この鞄に……」
リオンは鞍から落ちないように気を付けつつ、足元に備え付けられてある大きな鞄へと手を伸ばした。
すると、目当ての物を見つけたのか、右手を使って鞄から薄手の毛布を取り出す。
「野外で野宿するかもしれないから、念のために持ってきていたんだ。これを羽織るといい」
そう言って、リオンは器用にアイラの背中が収まるようにと薄手の毛布を被せてくれた。そして、毛布の端と端を自身の胸の前で重ね合わせる。
「……ほら、これで暖かいだろう」
どこかぶっきら棒にそう呟くリオンの表情は、アイラからは見えなかった。
「ふふ……。ありがとうございます、リオン様」
「別に。こんなところで風邪を引かれても困るからな。それに、お前は服の素材が薄過ぎるんだ。次の町に着いたら、上着でも買うといい」
「そうですね。リオン様に心配をかけないように、そうしたいと思います」
本当はリオンの身体を抱きしめてしまいたいのだが、馬上で暴れられたら馬を驚かせてしまうので、アイラは自重していた。
すると、リオンが再び、口を開く。
「……なあ、アイラ」
「はい、何でしょうか」
リオンはつい、口に出してしまったという様子のまま、言葉を濁す。だが、決意したのかすぐに続きを話した。
「アイラ、お前はさ……。本当に、俺で良いのか?」
「え?」
「もしかすると、このまま……小さい姿から戻れない可能性だってあるかもしれないんだぞ」
「……」
「魔力は半減したままだし、魔法も前みたいに上手く制御出来ない。お前は……俺の役に立ちたいって思っていても、俺はお前のために何かすることも出来ない。今の自分に悪態をつくしかやることがない惨めな人間だ」
「でも……。リオン様は大魔女様にかけられた呪いを解くために北の大地へ向かっているんでしょう? 約束通りに本人に会えば、呪いを解いてもらって、全て元通りになるのでは?」
「だから、もしそうならなかった場合について話しているんだ。……大魔女の機嫌を損ねて、呪いは解かないと言われる可能性だってあるんだ。そうなれば俺は一生、この姿のままだ」
その呟きには絶望という感情が含まれているようにも感じられ、アイラは唇をきゅっと結び直した。
「惨めだよな……。まさか一国の王子が、大魔女に隙を突かれて、呪いをかけられるなんて。本当、今まで何を学んできたんだって話だよ」
自嘲する言葉には、彼の本音が隠れているのだろう。王子としての責任と素質、そして存在理由──。
それを今回の件で、彼は一瞬にして奪われたような感覚に陥っているのかもしれない。
アイラは返事をせずに、ただリオンの言葉を耳に入れていた。それでも手綱を握る手が震えてしまいそうだった。
でもな、とリオンが呟いた。
先程よりも少しだけ柔らかく、悲しみが含まれた声で。
「それにアイラが今の状態の俺の傍にいれば、いつかお前に迷惑がかかってしまうかもしれない。……それが、嫌なんだよ」
「……っ」
ああ、この人は本当に──。
アイラはそう思った瞬間、リオンの身体に身を寄せていた。
「わっ……。どうしたんだ? やっぱり寒いのか?」
「いいえ」
リオンの言葉にアイラはすぐさま返答する。
「リオン様は温かいお人です。でも、今の言葉は少しだけ……悲しかったです」
アイラはリオンを後ろから抱きしめつつ、泣きそうな声で言葉を続けた。
「お姿とか王子とか、魔力とか……そういうものは関係ないんです。だって、私が……私が好きだって思ったのはリオン様の心で、リオン様自身ですから。あなたの心に私は惹かれたのです。だから、これから先、どんなリオン様が待っていたとしても、私はずっと、ずっと大好きです」
前と後ろを馬で走っているクロウとイグリスには聞こえないように小さな声でアイラはリオンの耳元で囁く。
「一緒に居られるならば、どんな形であっても嬉しいんです。……まあ、我儘を言えば、もちろん私がリオン様にとっての一番で、リオン様にとってのお嫁さんでいられることが最高に嬉しいのですが」
「……どんな俺になったとしても、俺の妻になってくれるということか」
どこか言葉をたどたどしく紡ぎながらリオンが訊ねて来る。
「はい。だって、リオン様が大好きですから」
躊躇いのない明るい声で返事をすれば、リオンから短く唸るような声が漏れ聞こえた。
「……そうか」
しかし、それを最後にリオンは言葉を発しなくなってしまう。寝ている気配はないので、ただ口を噤んでいるだけだろう。
……私、何か余計なことを言ったかな。
素直に感情を口にしすぎだと、以前リオンに叱られたことがあるが、つい表情と言葉に感情が出てしまう性格なので、抑えることは出来ないのだ。
……だって、私はリオン様が好き。初めて会った時から、私が惹かれたのはリオン様だからだもの。
身分や力、姿かたち、そう言ったものは関係ない。
ただ、温かかった。自分に伸ばされた手が、温度が、笑みが、全てが温かかったから。
それだけなのだ。
……でも、私は……リオン様の心を守り切れていないんだ。
役に立ちたいと思っていても、自分はリオンが心の奥に潜めている不安や恐れを取り除くことは出来ないのだ。
その事実がどうしようもないほどに悔しくて、アイラはリオンに気付かれないように唇を噛んでいた。




