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月の女神の涙

 

 

 朝食を宿屋で摂り終えて、出発する前にアイラは少しだけ寄りたい場所があるからとリオン達と別行動をした。

 クロウとリオンは昼食の材料を買うため、市場がある方に向かったようだ。


 そのことにアイラは安堵しつつも昨日、訪れた魔具専門店の中へと入っていった。

 イグリスも中に入ろうとしていたが、静かに買い物がしたいので待っていて欲しいと店の外に待機命令を出している。


 アイラが魔具専門店に入ると、顔を覚えてくれていたのか、店主が人懐こそうな笑顔で挨拶をしてくれた。


「やぁ、昨日のお嬢さんじゃないか。今日はお一人かな?」


「はい。えっと……」


 どうやって切り出そうかと迷っていると店主はどこか愉快そうに笑った。


「ふむ、誰かへの贈り物を探している感じかな」


「えっ!? わ、私……そんなに顔に出やすいでしょうか……」


 アイラはすぐに両手で頬をぺちぺちと叩く。店主は小さな笑い声をあげながら、頷き返した。


「あ、もしかして昨日、一緒に来ていた長髪のお兄さん宛てかな?」


「違います!」


 恐らく、店主が言っているのはクロウのことだろう。クロウは銀か灰色に近い髪色で、長い髪をゆったりとうなじ辺りで一つにまとめている。

 アイラが店主の言葉に全力で否定すると彼は驚くように目を丸くしていた。


「あ、あの……腕輪を買っていった男の子に……」


「ああ、あの子か。姉弟?」


「いえ、婚約者です」


 アイラが真面目な顔で答えると店主は一度、石のように固まっていたが、すぐに事情を察したような表情で頷いてくれた。

 何か、勝手に想像されている気がするが今は置いておこう。


「それでどのような魔具をお探しかな?」


「月の……月の力を宿した魔具などはありませんか」


「月の力?」


 意外だと思ったらしく、店主の瞳は少しだけ見開かれていた。

 しかし、表情は柔らかいものへと変わり、魔具が並べられている陳列棚の方へと歩いてくる。


「ちょっと待っていてくれ。確か、この辺りに……。ああ、これだ」


 店主は陳列棚からお目当ての魔具を見つけ出したようで、それをアイラへと手渡してくる。


 掌に載せられたのは乳白色の雫型の石が先に付いている首飾りだった。窓の外から射し込んでくる光に照らされたことで、その石は一瞬だけ七色に光った気がした。


「これは……?」


「『月の女神の涙』という魔具でね、月明かりの下に置いておくとその聖なる力を石へと溜めてくれるんだ。また、淀んだ空気や感情を浄化することが出来るとも言われていて、夜になると月光のように光り輝くらしい」


「……」


 店主の説明を聞きながら、アイラはじっくりと月の女神の涙と呼ばれている魔具を眺めた。


 ……綺麗な石。効果は分からないけれど、リオン様の役に立てるといいなぁ。


 普段から装飾品を身に着けないアイラでも、この石の美しさに目を奪われてしまっていた。


 月の力を溜めることが出来るこの石ならば、リオンを手助けしてくれるだろうか。不安が多いリオンが所持すれば、魔具の効果で少しくらいは心が休まるかもしれない。


 アイラは零れそうになる笑みを何とか押し込めてから、店主の顔を仰ぎ見た。


「すみません、この首飾りを頂きたいです」


「おお、お買い上げありがとうございます。……贈る相手が喜んでくれるといいなぁ」


「うっ……」


 店主の楽しげな口調にアイラは少々顔を赤らめつつ、首を竦めた。

 気遣いが込められた言葉に気恥ずかしさと嬉しさを感じながらも、アイラはリオンへの贈り物となる首飾りを購入したのだった。



・・・・・・・・・・



 必要な物を買い終わったアイラ達は馬に乗ってからフラウスの町を出た。途中で休憩を挟みつつ、地図を見ながら北へと進んで行く。


 今日はアイラの馬には乗ってはいけないとイグリスに文句を言われたらしく、リオンはかなり渋々ながらクロウの馬に同乗していた。


 ……さっき購入した魔具、いつリオン様に渡そうかな。


 そういえば、リオンへと物を贈るのは初めてのような気がする。


 初対面の時、リオンから赤いスカーフを贈られ、それを今でもリボンとして使っているが、自分がリオンに何かを渡したことはなかった。


 そう思うとやはり緊張の方が(まさ)ってしまう。出来るならば、クロウとイグリスに見つかることなく手渡したい。


 どの機会を狙って、リオンに渡そうかと考えていると、前方から何やら騒がしい声が聞こえてきた気がして、アイラは遠くへと視線を向けた。


「おや、どうやら道の溝に荷馬車の車輪が落ちてしまったようですね……」


 先へと進んでいるクロウがどこか気の毒そうに呟く。


「それは大変です。お助けしないと」


 アイラは少し、馬に速度を出させて、前方でごった返している者達の近くまで寄ってから声をかけた。


「あの、大丈夫ですか?」


 アイラが馬上から下りつつ、荷馬車の持ち主らしい男達に声をかけると彼らは同時に振り返った。


「いやぁ、道を塞いじまってすまねぇな。ちょっと、車輪が道から外れちまったようで」


 荷馬車の右側の車輪が溝に落ちてしまったようで、立ち往生していたらしい。


 とりあえず、荷馬車に積んでいた中身を外へと下ろしてから、男三人は荷馬車を道上に持ち上げようとしているようだ。


「今、一人が先に行った仲間を呼びに行っているから、すぐに戻ってくるとは思うんだが……。これが中々、持ち上げられなくてなぁ」


 荷馬車に繋げられていた馬二頭は近くの木の枝に繋いで待機させているらしい。

 散らばるように道上へと置かれている荷物は綺麗な箱や年代ものの木箱ばかりで、彼らは旅商人なのではと察せられた。


「宜しければ、お手伝い致します。私、こう見えて重いものを持つのは得意なので」


「ええっ? いやぁ、手伝いはありがたいが……」


「大丈夫です。──あ、イグリス! 手伝って下さーい」


 アイラは後方からやってくるイグリスに向けて声をかけながら、自身が乗っていた馬の手綱を近くに立っている木の枝へと結ぶ。

 アイラの呼び声に従うように、イグリスはあっという間に荷馬車が立ち往生している場所へと追いついた。


「分かりました、お手伝い致しましょう」


 すぐに状況を察したイグリスは近場の木に馬を繋ぎとめてから、腕まくりをする。イグリスはすらりとした体形だが、それでもアイラ以上に筋肉があり、力持ちだ。


 男達は女二人で大丈夫なのかという目を向けて来るが、アイラはにこりと笑いかける。


「大丈夫ですよ。さぁ、皆さん、持ち場に付いてください。合図したら、一気に荷馬車を道上に持ち上げますよ」


「お、おう……」


 アイラの笑顔に押されたのか、男達は荷馬車の持ちやすい部分を持ってから、構える。


 そんな姿をクロウとリオンは少し離れた場所から眺めていた。アイラ達だけで人手が足りていると判断しているのだろう。


「それじゃあ、行きますよー!」


 アイラの声に合わせて、男達も荷馬車を持ち上げるために力をこめ始める。


 ……重いけれど、熊を運んだ時と同じくらいかな。


 荷物が載っていないので、思っていたよりも軽いようだ。アイラも男達に合わせるように力を込めながら、気合で荷馬車を道上へと持ち上げた。


 車輪が地面の上へと着地すれば、木が擦り合って軋む音が聞こえたと同時に、安堵するような溜息がそれぞれから漏れ出す。


「はぁー……。男三人で動かせなかったというのに……。お二人さん、案外力持ちなんだなぁ」


「こう見えて、鍛えていますので!」


 アイラはにっこりと笑ってから、自分の右手で力こぶを作った左腕を軽く叩いた。


「これで、先に行った仲間にも何とか追いつけそうだ。手伝ってくれて、ありがとうな」


「いえいえ」


 すると、それまで遠くから見ていたはずのクロウが、リオンを馬上に乗せたまま、馬を引きつつ荷馬車の近くまでやってくる。


「おや、旅商人の方でしたか」


 目を細めながらにこやかに挨拶をするクロウだが、これは余所行きの顔だとアイラ達はすぐに察した。


「ああ、王都から故郷への帰り道がてら、買ったものを売りさばいていてな。何か見て行くかい? 今なら、珍しい魔具も揃っているぜ」


 道上に下ろしていた荷物を荷馬車の中へと詰め込みつつ、男は歯を見せながらにやりと笑う。


「あはは……。ありがとうございます。ですが、必要なものは揃えてしまっているので」


「それは残念だな。まぁ、どこかの町で見かけた時にはぜひ声をかけてくれ。今回のお礼は弾ませてもらうぜ」


「ええ。……ですが、ここ最近は魔具を狙った盗賊団が出没するとのことなので、あなた達も気を付けて下さいね」


「あー、そう言えば立ち寄った町でそんな話も聞いたな。まあ、俺達なら大丈夫だ。それなりに鍛えているからな、いざとなれば返り討ちにしてやるぜ。はははっ……」


 クロウの気遣う言葉に男は豪快な笑い声を上げて、弾き飛ばしていた。どうやら腕に自信があるらしい。

 男達は荷物を早々と積み終えると、二頭の馬を荷馬車へと繋ぎ直して、アイラ達にもう一度、お礼を告げてから立ち去っていった。


「さて、私達も行きましょう、お嬢」


「うん」


 イグリスに促されて、アイラは木に繋いでいた馬に再び乗ってから、道を歩き始める。

 すると、前方を進んでいるクロウの馬に同乗しているリオンがアイラの方へと振り返ったのだ。


「ん? どうか致しましたか、リオン様」


 アイラが首を傾げつつ、リオンへと訊ねたが彼は小さく顔を顰めてから、ふるふると首を振った。


「何でもない」


 そう答えてから、リオンは視線を前へと向ける。その時に見えた表情は、何故か泣き出しそうだった。


 ……どうしたのかな、リオン様。


 だが、話しかけないで欲しいという雰囲気が伝わって来るので、しばらくはそっとしておいた方がいいだろう。

 アイラは少し、心の中に靄を抱きつつも、黙っていることにした。


 

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