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生誕。 ―Birth―

作者: 西東裕嗣

 どうして人は生まれてくるのだろうと考えるようになったのは、つい最近のことだ。以前までは、そのようなことはほんの僅かとも考えなかった。いや、考えない以前に、私に意識があったのかも怪しく、そこに私が存在していたのかも、定かではない。

 私は今、宙に浮いている。聞こえてくるのは、等間隔なリズム。ここにはそれしかない。それだけがある。そこに、私が浮いている。

 ふわりと浮遊する私は、目を閉じて考えた。

 どうして、人は生まれてくるのだろうと。

「あなたは、死にたいのかしら」

 どこからか、声がした。

 無意識に瞼を開くと、私の前に一人の女性が立っている。いや、私が浮かんでいるのだから、彼女も空中にいるのだろう。彼女も、浮かんでいた。

「あなたは、死にたいのかしら」女性は、同じ言葉を繰り返した。

「それは、どういう意味ですか」彼女が誰なのかは判らないが、私は問うた。「意味が判りません」

 誰なのかが判らないが、彼女の声と、彼女という存在は、すう、と、私に染み入るようだった。極めて自然、という形容が適当なのだろうか。

「あら、違うのかしら。あなたはそう考えていたのでは?」

「私が考えていたのは、何故人は生まれてくるのか、ということです。死にたい訳ではありません」

「どうして?」女性からの問いは継続する。

「何が、でしょう」今度の問いは、その意図が理解出来ずに聞き返した。前の問い返しとは、疑問符の意味が異なっていた。「何が、どうして、なのですか?」

「どうして、そう考えたのかしら」

 彼女の言葉を受けて、私は一度目を閉じ、何故、自分がその疑問を頭の中に誕生させたのか、その起源を思い出そうとした。過去を遡る。自分の疑問のスタートを思い出す。数秒、私の意識は、過去に移動した。

「人は、いつかは死にます」私は瞼を開け、目の前の女性を眺めながら言った。「人だけではありません。全てのものが、いつかは死にます。動物も死にます。物質は、朽ちます。存在とは、潰えるものです」

「そうですね。死なないもの、滅びないものは、今のところは癌細胞だけです」

「癌細胞も、宿主が死ねば同じ末路です」

「外的要因も含めるのですね。それならば、そう。あなたの言う通りです」

「では、どうして人は生まれてくるのでしょう。人は死にます。その結末が決まっているというのに、どうして生まれるのですか」

「それが、あなたの疑問の切っ掛けですか」

「私には判りません。死ぬことが判っていながら生きるという理由が」

「疑問が変わりましたね」

 彼女は、ふわりと笑った。

 私には、彼女がどうして笑んだのかがどうにも理解できなくて、その柔らかな口元の角度と瞳の形状と、微かな吐息のようなものを観察していた。

「判らないかしら」私の胸中を読み解いてか、柔和な状態の彼女は、そのように言葉を次ぐ。「疑問が変わった。それが、判らない?」

「変わりましたか?」

 私は、率直に聞いた。すると彼女は、ええ、と返した。

「変わっていません」平静を装い、私は返した。「私は、なぜ人が生まれるのかと考えています」

「でも、あなたは言いました。生きるという理由が判らないと」

「言いました」

「生まれる理由と生きる理由は、別でしょう? あなたが知りたいのはどちら?」

「同じではないでしょうか」

「いいえ、まるで違います」言葉に僅かな空白。「ああ、なるほど、あなたは、まだそれらが判らないのね」

「それら?」

「ええ、僅かな違いです。生まれる、生きる。そして、死ぬ。あなたはその現象を正確に理解していません」

「死は別として、生まれると生きるは、同じではないですか?」

 そう言うと彼女は、浮かべる微笑みをより柔らかくし、ゆっくりと、私の体に言葉を染み込ませるように、言葉を放った。

「生まれるという現象は、義務です。生きるという行為は、権利。自由意志、とも言えます」

「では、死ぬという現象は」

「それは、判別が難しいです。義務であり、権利です。あなたが先程言いましたね。すべての物が最終的には死ぬと。死は、義務です。人は、死ななければなりません。その時間を迎え、受け入れて死なねばなりません。そして、そうではなく、自ずから命を絶つことも人は可能です。ですが、この後者は、数値としては極小ですので、ここでは、前者のみを話のキーポイントとしましょう」

 説明が長かったが、私は頷く。

「生まれることと死ぬことが義務で、生きることが権利なのですか」

「そうです。ですから、極論ですが、生きるのが嫌なら死んでしまえばいい。生きることは権利ですから、それを放棄することは許されます。自然死と自害に違いがあるとするなら、本質的な意味合いだけです。義務に従ったのか、それとも、権利を放棄したのか。起きた現象はどちらも同じでしょう? その人が消滅した。ただ、それだけです。……さあ、その上で、もう一度聞きます。あなたは何を疑問に思っているのかしら。生まれる義務に関して? それとも、生きる権利に関して?」

 私はどこまでも優しく、しかしそれでいて、鋭角的な厳しさのある彼女の言葉に窮した。

 考える。

 先程もそうしたように、瞳を閉ざし、私は意識に沈む。

 答えを出そうとする。

 考える。

 私の思考。考える。

 彼女は、私の言葉を待ってくれた。

「生まれる理由です」随分と時間をかけた末、私は応えた。

「どうして?」凛とした、彼女からの言葉。

「死ぬのでしょう?」

「ええ。すべてのものが」

「それなのに人は生まれます」

「生きることは、とても辛いことなのに。……ああ、もちろん、幸せなこともありますよ。ですが、辛いことの方が圧倒的に多い。だから、赤ん坊は生まれた瞬間に声を上げて泣くのでしょうね。辛いから、大きな声で。これから、数多くの辛い経験をするのですから、泣くのも当然でしょう」

「生まれた瞬間に泣かなかったのは、ツラトゥストゥラだけですね」そんな言葉を自然と返せた理由が、私は判らない。「彼は、泣かずに笑いました」

「よく知っていますね」彼女は、深呼吸のような、笑みとも呼吸とも受け取れるような息をした。「ブッダも泣きませんでしたよ。その上ブッダは、歩いたそうです。七歩も」

「ブッダは、逃げようとしたのかもしれません」首を横に振る。「生まれてしまった、これはまずい、と。それで、生まれてすぐに歩いた」

「なるほど、それはおもしろい考えですね」

「生きることは何かの手違いなんです、きっと」

「手違い」

「はい」

「続けて下さい。あなたの考えが聞きたいわ」

 彼女に促されて、私は小さく頷いた。

 そうだ。手違いなのだ。

 神様は、少しだけミスをしたのだ。

「生きるということは、ミスなんです。バグなんです。だって、人は眠ります。眠ることはとても気持ち良いですよね。それは、異常ではありませんか。眠るという行為は意識を失うということです。意識を失うことに喜びと癒しを求めるなんて、生きることに対して矛盾します。その瞬間、人は死んでいるのと同じ状態です。死ぬことに、人は安らぎを覚えるのです。そう考えれば、生きることは生命にとって、バグのように思えます。いえ、きっとそうなんです。そうとしか思えません。神様は、誕生と消滅だけを作ったのです。そうしたら、何かの手違いでその中間ができてしまったのです」

「ええ、そうですね」彼女は、また笑った。柔らかく、どこか嬉しそうに。「生きるというのは生物にとって、とても不自然な状態です。死ぬ為に生きているのですからね。でも、生まれてしまうのです。あなたの意志など、無関係に」

 彼女の言葉に、私は気付いた。

「では、生まれる、という言葉には語弊がありますね。生まされる、というのが正しい言葉ではありませんか」

「ああ、素晴らしい。そうです、生まれてくる側の観測からしてみれば、あなたの言う通り、その言葉が適切です。生まされるのです。全ての者は、自発的に生まれません。その元となる者の勝手な意志によって、勝手に生み出されるのです。生まれる、とは、生む側の認識です」

「生む側は、何故生むのでしょうか。死んでしまうような命を、どうして生むのでしょうか」

「難しいですね。人それぞれに理由はあるでしょうが、極端に言えば、絶滅しない為。何かの手違いで生きなくてはならなくなった生物が同種を絶やさないようにと足掻いた結果として、受胎というシステムが出来上がり、種を継続させるようになった。太古においては、そういったシステムはありませんでした。もっとも原始的な生命の継続のメカニズムは、分裂です。バクテリアなどがそうですね」

 絶滅をしない為。

 そう言われても、私は釈然としない。納得は出来る。

 だが、何故だろう。しっくりとこないのだ。

 そう思っていることを、彼女は知っていたらしい。彼女はまた、優しく笑んだ。

「生まれてほしいから、という理由だけでは駄目なのかしら」

「それは、生む側の感情ですよね」私は返すが、表情は笑んでいなかっただろう。

「ええ、そうです」彼女は首を、二度、縦に動かす。「生まされる側の感情ではありません。でもそれは、仕方がないのでは? あなたが言ったように、生まれるとは、生む側が捉えた観測結果であって、あなたの疑問も当初はそうであった筈」

「そう、ですけれど……」

「それに、誕生に関しては、生まされる側の意思や感情を反映させられない」

「生まれてほしい。その感情が私には判りません」

「それはそうでしょう。あなたはまだ、それを経験していないのだから」

「私もいつかは死ぬかもしれない……」

「私が先に死ぬ確率より、あなたが先に死ぬ確率の方が、ずっと低いわ」女性は、私の言葉に被せるようにして言った。「そうでしょう?」

「その確率は、正確ではありません」私のその言葉は、そこで止まる。それ以上の言葉が、喉からは出そうもない。

 それを見た女性が、ふふ、と、笑んだ。

「でも、同時に死ぬ確率よりは、ずっと低いわ。そうでしょう?」

 冗談めいた口調で、彼女が言う。

 それにつられて、私もつい、小さく笑ってしまった。

「それは、ええ、そうですね」

 私の笑みを見た彼女は、少し驚いた表情になる。

「ああ、ようやく笑いましたね。笑ったのは、初めてですね」

「初めて、ですか?」

「ええ。少なくとも、私は初めて見ました。あなたは今、初めて笑いました。この後も、そうやって、初めての経験をたくさんするのですね、きっと。たくさんの経験をして、たくさんの感情を知っていくのですね」彼女は、どこか嬉しそうな顔をして私を見つめていた。「今はまだ判らないことを、たくさん知っていくのね」

「いつかは判るでしょうか。私にも、あなたの意思が」

「判るかもしれない。判らないかもしれない。それは、あなた次第。私が関与する余地はありません。それを確かめるためにも、生まれてきなさい。そして、生きなさい。いつかは死んでしまう、その時まで」

 私は、上昇を始める。

 引っ張り上げられるように、上へ。

 それに伴って、彼女の姿は遠くなる。

 その声も、遠退いていく。

 彼女は、微笑んでいる。

 どんどんと離れていく私を見つめて、先程よりも嬉しそうに。

 私はさらに上昇する。

 や、下降しているのかもしれない。

 周囲は徐々に明るくなる。そして、あたたかくなる。

 私は泣くだろうか。きっと泣くだろう。私は、ツラトゥストゥラやブッダにはなれない。だから、泣く。きっと泣く。どうして泣くのかは判らないけれど、私は大きな声で泣くだろう。声をあげ、ひどくみっともない顔をして。

 そして、彼女に抱かれる。彼女の腕に、そうっと。優しく。

 私の意識が、周囲の光と温度に溶けて消えてしまう前に、彼女は言った。

「さあ、おいで。愛しい我が子」

 私は、目を閉じる。

 あたたかい空気。

 遠くで何かが聞こえる。

 いろいろな声、音。

 私は、息を吸う。

 胸いっぱいに空気をためる。

 よし。準備はできた。

 あとは、吸い込んだ空気を吐き出すだけ。

 そして、泣くだけ。

 様々な声と音が近づいてくる。

 もう、すぐそこだ。

 少しだけ息を止める。

 ほんの少しの時間。

 ほんの少しの時間、私は止まる。

 そして、わたしは、


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