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悪役令嬢は寝取られたい。

作者: 歓喜堂

令嬢ビエールカの朝は遅い。


普段通り朝八時ちょうどに起こしに行くと、

天蓋付きのふかふかのベッドのなかで、普段通り膝を抱えて丸まって寝ていた。


寝姿は幼く、起きているときの猛獣のような獰猛さは感じさせない。

きっとあの方もこの姿を見れば心変わりされるだろう――――、と思う。


「ビエールカ様」


側に寄ってお声がけしても、寝息を立てたまま気付かない。

薄い寝間着を身に纏っていると年相応以上に育った肢体が強調されて目に毒だ。


眼を逸らしながら肩を揺する。

「んっ」

声を漏らしてゆっくり猫のような大きい瞳を開く。


パンッ。


思い切りはたかれる。

じぃんと左頬が熱くなった。


「…………起こしたから」

独り言のようなことを呟きながら、身を起こすと「んっ」と伸びをした。


「おはようございます。ビエールカ様」

「…………おはよう。シシェノーク」


ビンタも含めて日課だった。


§


起床後は湯殿に行く。

きっちり1時間入浴。熱い風呂で身を清める。


そして1時間かけて身支度。


長く、ボリュームのある黒髪を梳くのは、わたくしの仕事だ。

無花果の木櫛で丁寧に梳いていく。


枝毛のひとつもなくつややかで、しっとりしている。

烏の濡羽とはきっとこの黒髪のことを言うのだろう。


「シシェノークもよく奴僕みたいな仕打ちに耐えるわね。…………もしかして、そーゆーセーヘキなわけ?」

意地の悪く、口元を歪めるビエールカ様。

ご主人様は自らを悪く見せたがるフシがある。

「………………ここは楽園ですから」

気がついたら雪原にいて、野垂れ死にそうになったところをビエールカ様に拾われた。

シシェノークという名前もビエールカ様より賜ったものだ。


わたくしはビエールカ様の物憂さを紛らわせるためのペットだ。

人間扱いされて執事の役割を任じられている現状こそ身に余る。


「へえ…………、シシェノークは地獄の住人だったのね」

面白そうにからから笑うビエールカ様。


ぼんやりと拾われる以前の記憶もあるのだが、とても現実感がなくて夜中見る夢となんら違いはなかった。


§


有閑階級は労働に携わらないことを誇りとする。

暇を暇として無為に過ごすのが、ご主人様とその同族の役割。


ビエールカ様は窓辺で外の雪原を見ながら物思いに耽っていることが多いのだが

今日は舞踏会とあってクローゼットに籠もりきる。


農奴の家くらいの大きさのあるクローゼットの中に、ずらっと衣装を並べて、

親指を軽く噛んで唸り続けるビエールカ様。


「シシェノークはどのドレスがいいと思う?」

「こちらの白いものは如何でしょう」

ビエールカ様がもっとも選びそうもない幼げなデザインのものをわざと指さす。

「センスないのね」

当然のように叱られる。


幾度となく繰り返された会話をなぞるように繰り返した。


ビエールカ様は、これも違う、これも、と衣装を手にしては床に放っていく。

それを3人のメイドが回収し、折り畳み元のところへ収納していく。


そして2時間は迷った後に身に纏うのは、舞踏会に行く際にいつも召される深紅の落ち着いたデザインのドレスになるのだ。


その場で着替えを始めるビエールカ様。

メイドがテキパキと着替えさせていく。

刺繍過多なコルセットと雪原のように白い肌が露わになるが、恥じらう素振りはない。


ビエールカ様はわたくしの前に肌をさらすのにためらうことはない。


その深紅のドレスは壮年の女性が身に纏うようなデザインのはずだが、

ビエールカ様に着られるために生み出されたのか如く、よく似合う。


鏡に映る自身の姿を見て、なんとか納得されると

中にいますのが誰なのかを顕示する鷹の紋章が刻まれた馬車で、冬宮へ向かわれた。


§


冬宮。


視界を奪う猛烈な吹雪の銀世界のなかに聳え立つ巨大な宮殿は、さながら監獄のように見える。


しかしその中は筆舌しがたいほど贅を尽くした空間が拡がっている。


外の死の世界とは隔絶された別世界。

熱いくらいに焚かれた暖炉の熱気と、蝋燭のあかりの仄暗さ、オーケストラの奏でる空気を揺さぶるような交響曲。


仮装のように過剰に着飾った大勢の貴族たちが歓談している。


夢を見ているかのような光景。


良い夢か、悪い夢かは分からない――――、と思った。


背中の大きく開いた深紅のドレスを纏ったビエールカ様は、舞踏会の中心に咲き誇る薔薇である。

誰しもが見つめずにはいられず、美しさに息を呑む。

圧倒的な存在感を示し気高く、触れたくとも近寄りがたい。

花の香りに誘われた有象無象に許されるのは服従のみである。


舞踏会はビエールカ様を中心に綺麗な円を描くはずだった――――――――。

しかし、実際は楕円を描いている。


もうひとつの中心が、エカチェリーナ様。

アラクチェーエフ伯爵の養女。

容姿を気に入られただけの、素性の分からないもらわれっこである。


全体的に小作りで、華奢だ。

年齢よりも幼く見える。


すべてを包み込むようなやさしい雰囲気で、しかしどこか儚げで、空気に溶け込んでしまいそうな危うさがある。


男の庇護欲をそそるタイプで、ビエールカ様と好対照を為す。


実は名だたる貴族の落胤であると噂されるのは故なきことではない。


扇子を開き、口元を隠している。

男女問わず向けられる情念の籠もった眼差しを嫌がりもせずに、逐一にこりと笑い返す。


その仕草で心を奪われないものはいないだろう。


しかしそれがまた嘲笑される原因になっていることに、ぼうっとしていて気付かないのだ。


ビエールカ様は、好意の視線を送りつつも嘲笑している下種と何も気付いていないエカチェリーナ様を、冷めた目で見ていた。


§


ホールの扉が開き、イヴァン様がつまずきながら到着される。


眼鏡の気の弱い優男。

うだつの上がらない、もはや名前だけの貧乏貴族。


イヴァン様の熱の籠もった視線がエカチェリーナ様に向いたのを確認し、つかつかとエカチェリーナ様に歩み寄るビエールカ様。

「博愛主義者なのね」

吐き捨てるように言った。

きょとんとするエカチェリーナ様。

「………………どういう意味でしょうか」

何も言わないビエールカ様を見ておそるおそる口を開く。

「扇子を口に当てて笑うって行為はあなたにお慕いしていますって意味なの」

「えっ……………」

有閑階級には扇子語という風習がある。直接的な物言いを好まない貴族たちのコミュニケーション手段。田舎娘は知らなかったのだ。

「お好きなのね」

別の意味があるように言い、意地の悪さが滲み出たいじめっ子の笑顔を浮かべる。

「…………そ、そんな」

顔を歪め、泣きそうになるエカチェリーナ様。青ざめてちょっと震え出す。

イヴァン様が慌てて近づいてくる。

「……………農奴には相手を選ばず夜這する風習があると聞いたわ。社交界のみんなと仲良くなりたいのね」

イヴァン様がビエールカ様の肩を掴み、

「いい加減にしろっ!! ビエールカ!!」

怒鳴ち散らす。

しかし直後、

「………………す、すまない」

幼馴染みとは言え、身分差を想い出し青ざめるイヴァン様。


正義感に突き動かされるも、それを貫く度胸もなく、すぐに妥協してしまうところにこの男の度量が知れる。


いい人ではあるのだが、この権謀術数の世界で生き残れるような人間ではない。


「…………帰るわ」

ビエールカ様は背を向け出口へ歩く。イヴァン様はエカチェリーナ様の側を離れられなかった。


§


ビエールカ様は、昼は意地悪な姉、夜は泣き虫な妹になる。


「…………イヴァンが好きなの」

吹雪を進む馬車の中、泣きじゃくってわたくしの胸に顔を埋めるビエールカ様。

「…………存じ上げております」

「もし、私が、イヴァンを欲しがったら…………、きっと断らないわ。………………断れないもの」

「……………………」

家格から見れば当然であろう。イヴァン様から見ても悪い話ではない。むしろ良すぎるくらいだ。

「でも、イヴァンは」

苦悶の表情を浮かべるビエールカ様。

「……………………」

「わたしはイヴァンに幸せになってほしいだけなの」

「……………………」

「好きな人と結ばれるのが一番の幸せじゃない? ………………イヴァンがあの田舎娘が好きならそれを手伝うのもやぶさかじゃないわ。悪役にだってなってあげる」

でも、と言い淀む。

「好きな人が幸せになることを考えているだけなのに…………、どうして胸の奥がこんなっ………………」


ええ。その痛みはよく知ってますとも。


雪は降り止まない。

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[良い点] 執事、令嬢が一途で不器用 [気になる点] タイトルが下種でもったいないといいますか。 流行りものだとは思いますが…
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