私の失敗
みなとみらいから出たくない
若村が戻ると、そいつはまだいた。
我々人間の顔のようにそれぞれ一羽ごとに異なる独特の模様や色で彼女だとわかった。
5分前から一歩も動いていないように見える。
それどころか足を畳んで堂々と我が物顔で台座を支配している。
普段はスラリと伸びている首が羽毛で埋まり、丸っこいシルエットになっているのがどうも可愛らしい。
ふてぶてしさも含めて愛嬌を感じられる。
オレンジの瞳がクイーンズスクエアから出る若村を捉えた。
すぐさま跳ね起きて折り畳んでた足をピンと立てる動作はどことなくシュールだ。
彼女が二度羽ばたくと周りの葉や埃が勢いよく舞い、一瞬後には若村の真横へ音もなく降りていた。
若村はジャネット・リーにも劣らぬリアクションを披露するが彼女は構わない。
そんな彼女とは対照的に、一般通過会社員はこの奇怪なアベックに冷ややかな視線を送ってクイーンズスクエアへ吸い込まれていく。
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ときどき、神の存在を信じざるを得ない時がある。
例えばTHIS IS ITのチケットを見事勝ち取った時。
例えば去年のイギリス旅行でレノンとリアムとすれ違った時。
例えばハプニング・バーで知り合った子と後日再開果たした時。
例えば高校入学してから皆勤で通学中痴漢してるのに未だに捕まってない時。
例えばおじさんとカリフォルニア向かってる途中、ソルダッドキャニオン・ロードで車故障して立ち往生してたらたまたま通りかかったトレーラーに助けてもらった時。
やはり神はいるし、運はこの若村美香に味方してくれている。
痴漢に関しては自身の技術力によるものが大きいけど、これらは一重に日頃の行いのよかったからね、あたし。
それにあたしはちゃんと毎年キリストの誕生日を祝うし、皇帝の命令より愛をとって殉死した教徒を祀ってるわ。
あと一年に一回は神社にお参りに行く。これほどまでに敬虔な男はそうそういないわよ。
神はちゃんと見てくれているし、報いを与えてくれる。
正直どこの神を信じてるかははっきりしないけど。
とにかく、いわしの頭も信心ね。
そして今日もまた報いを授かった。
まだ起きてから一時間も経ってないのにさっそく良い事が起きた。
なんと今日は創立記念日。学校だと思ったら創立記念日。
昨日のHRなんてTHIS IS ITに脳内蹂躙されて聞いてなかったわ。
たまたま横浜駅で友達とメールしてたら知ったわ。改札入る前でよかった。
学校着く前に気付けたのもなかなかポイント高いわね。
恥ずかしながら休みの日はなかなか外に出れない。
一時間はダラダラしちゃう。
だからこんな朝早くからみなとみらいでゆっくりできるのは結構珍しい。
夕食まであと14時間もある。
14時間もあればみなとみらいを遊び尽くせるわ。
まずどこへ行こうかしら。
いつもみたいにメモリアルパークで寝たり読書するのもいい。
ランドマークタワーや赤レンガ倉庫といったメジャーどころもいい。
今日はみなとみらいホールでなにかコンサートやってるかしら。
これだけ時間があれば美術館も博物館も技術館もじっくり回れる。
みなとみらいから出て野毛方面行ってみるのもいいわね。
気が向いたらてきとーに友達誘うわ。
どこでなにをやるにも、時間ならいくらでもある。なんだってできる。
THIS IS ITの時も思ったしさっきも言ったけど、いつも真面目に頑張ってると神は見てくれているしご褒美をくれる。
それがこれだ。一日中みなとみらいで遊ぶのは神から与えられた権利だし、使命と受け取った。
そういうわけもあって、わざわざあの鳩を助けた。
今のあたしはゆとりのある幸福な人間なんだから、カワイソーな弱くてちっぽけな隣人にも気を遣わなくっちゃあ神も見放すだろう。
傲慢な人間には天罰が降りるとどの聖書にも書いてある。コーランは読んだことないから知らないけど。
でもこれが誤ちだったかもしれない。
以降ずっと鳩にストーキングされてる。
あたしの鳩に対するイメージは「なに考えてるかわかんなくてキモイ」と「汚くてキモイ」だったけど、今日の出来事で前者が特に顕著になったわ。
「こいつは鳩にチョロいタイプの人間だからいい金蔓だぜ」と思われたかもしれない。
別にそれほど嫌ではない。
マイナスイメージは払拭しきれないけど、ちゃんと見てみると愛嬌あって、人懐っこいし可愛いし、愛すべき隣人だとわかった。
それはそうとして、扉の隙間を狙って屋内までついてこようとして危なっかしいし、間違えて踏みそうでヒヤヒヤする。
仕方ないから一旦クイーンズパークに戻った。
ベンチに座って何度目かわからないため息を吐く。
あたしの心境なんて知らない彼女がピョンと跳んで、組んだ足の先にとまった。
少しビビったけど振り払うのも億劫になってきた。鳩ってこんな大胆なのネ。勉強になったわ。
14時間もあるんだから少しくらいなら構ったっていい。
本人(本鳩)に悪気はないだろうし、あたしもそこまで嫌いじゃあない。
でも博物館やランドマークタワーに行きたいという想いの方が強い。
カバンをガサゴソ漁り取り出したるはビニールで包装されたドーナツ。
昨日買い食いして夕食前だから残した分。
これをちぎって置く。真後ろ(背もたれ)に「鳩に餌をあげないで」とあるのは十分承知だが背に腹は変えられない。
彼女はつま先を離れ嬉々として食いついてきた。
一応「もうついてこないでネ」と意味のない意思疎通をはかって、あたしは立ち上がった。
「動物は獲物を仕留めた時が一番無防備」というアレか、すぐに気付かれはしなかった。
気付いた時には時すでに遅し。
自動ドアはとうに閉まり、愛しのあの人はランドマークプラザ方面へと去っていった。
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またしても彼女の声は自動ドアに阻まれた。
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後ろ髪を引かれる思いだけど、とにかくこれで問題は解決した。
屋根や塀に囲まれた動く歩道のおかげでしばらくは鳩の目から逃れられる。
これからどうしましょうか。
まだ日本丸もランドマークタワーもコスモワールドもワールドポーターズも、マックすらも開いていない。
こういう時はメモリアルパークに限るわ。
折り畳み傘をテント代わりにして、音楽聴きながら読書するの。
しばらくしたら目を瞑って、みなとみらいの匂いや音、空気に一身に浴びながら眠りに落ちる。
9時くらいまでこうして、あとは・・・・・・まぁ、そん時考えるわ。時間ならいくらでもある。
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言われて初めて気付きました。
少し、あの人に夢中になりすぎていたみたいです。
私の縄張りは浅草の方なんですけど、駅で食事してる最中、人間の群れに気付かずに踏まれそうになったんです。
最近カラスドモが増えてきて私達鳩の取り分が減少傾向にあって、それで焦ってたせいですね。
しばらく人間にはどうでもいい話しますから飛ばしていいですよ。
ご存知でしょうか、東京都からは一日に約二万三五一トンものゴミが出てるらしいですよ。
このうち大体3割くらいが生ゴミで、街に住む動物からしてみれば大変ありがたい食料資源となります。
こう聞くとカラスがいくらいようとみんな贅沢できそうに思えますけど、そうでもないんです。
まずこの量がそのまま路地に野ざらしにされているわけありませんよね。
深夜のうちにゴミ収集車ドモがもっていってしまいます。
じゃあ収集する前に行けばいいじゃんと思われるでしょうがそれはそれで問題があります。
私達は「鳥目」と揶揄されたりと夜目がすごく苦手なイメージがありますが、ぶっちゃけイメージほど悪いわけではありません。
それでも得意なわけでもありません。要は人間と同じですね。
なので無理して夜にノコノコやってきても野良猫に殺されるだけです。
一番の要因はなんといっても天敵が多いことにあります。
残飯漁りをするメンツは鳩やカラスの他には野良猫、ドブネズミ、浮浪者などが挙げられますが、いずれも天敵です。下手すりゃネズミにも殺されます。
だから残飯はすぐなくなっちゃうし、あってもライバルが多いので私達の取り分はただでさえ少ないのです。
公園で餌やるとやたら必死によってきますが、そのとおり必死なんです。
だから見かけたら、もしよければでいいので、優しくしてあげてくださいね。
そんなわけでうっかりして、人間から逃げてたらまたうっかりして電車に乗ってしまいました。
言うまでもなく乗り換えには疎いので気付いたら神奈川です。
こう見えて鳩はなかなか好戦的でオラついているので余所者がいると本気で縄張りから追い出します。
平和の象徴なんて嘘ですよ。そもそも平和な動物なんて存在するわけないでしょう。
横浜の鳩にリンチされる前に一刻も早く帰りたかったし、怖くて仕方なかったです。
そのうえ出口はわからないし、怖いカモメの声まで聞こえるんですからちょっとチビりました。
不安と恐怖でいっぱいで、周りにあるもの全てに怯えて、スティングの歌みたいな心境でした。
そんな中、こんな汚らしい害鳥に触れて救ってくれたあの人はまさに一筋の光でした。
全てが恐ろしい未知のエリアであの人だけが唯一安心できる存在でした。
神奈川に迷い込んで初めて安心しました。
だからあの人とずっと一緒にいたくなりました。
このことしか頭になくて、「ついてこないでネ」と言われるまで私が汚らしい害鳥だということを忘れていたんですね。
それでもあと一度だけあの人に会わなくてはいけなくなりました。
さっきドーナツをくれた時、カバンからハーモニカを落としたんです。
ブルースハープ?でしたっけ、穴が一段のやつです。
慌ててて気付かなかったようです。
なんの装飾もないしたぶん安物ですが、かなり使い込まれていることから大切なものだとわかります。
私のせいで落としたんですから、責任をもって届けなくてはいけません。
それが済んだら頑張って帰ります。
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着いてから気付いたけど、メモリアルパークの芝生の上じゃあ簡単にあの鳩に見つかっちゃいそうね。
それで一旦帰ろうかと思ったけど、落ち着いてみるとたかが鳩一羽にこんな執着するなんてちょっと病的。
ある日突然「あいつらは頭にテレビを移植してて俺を監視してる」とか言い出した先輩を思い出す。
鳩にストーキングされてるとか完全にこの手のアレじゃない。アホらしくなってきたわ。
またカウンセリング通おうかしら。
まぁ、一旦家に帰ってみるのもいいかもしれない。
荷物を置いて、軽装に着替えて、お昼を持ってまた来ましょう。
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見つけました。
上空からだと茶髪は見分けやすい要素だし、この時間帯に学生服でのんきに歩いてると結構浮く。
それに顔を覚えるのは得意です。鳩はイメージほどアホじゃあありません。
特にいつも餌くれる人はちゃんと覚えてます。
目にもかなり自信あります。1.5km先の顔だって見分けられます。
観覧車から見渡して探していると、停泊中の帆船のマスト越しに、長い連絡通路を滑るように進むあの人を見たんです。
そこで通路のゴールで待ち構えていたのですが一向に出てこないんです。
あの人の前後にいた人間は出てきたのに、あの人は見当たらない。途中で降りたみたいですね。
一旦近くの歩道橋に降りて捜索再開してたらまたすぐに見つけました。
高い塔の麓にあるスロープを歩いてました。
さっきの帆船の傍です。
すぐに帆船の方に振り向いてしまいましたが、間違いありません。あの人です。
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はやくあの人に会いたい。はやくハーモニカを渡さなくていけない。はやく東京に帰りたい。
そんな焦りからか、彼女はまたしても誤ちを犯す。
もう少し冷静に考えていれば一連の悲劇は防げたかもしれない。
ハーモニカに下げられたランドマークタワーを模したストラップを掴んで、彼女を飛び立つ。
この時点で彼女に残された時間は7秒、彼の時間は5分もなかった。
少なくとも14時間はない。
異世界行きたくなくなってきた
どうやって取材しろってんですかね