9 神社の最低な未来
地面がばらばらに崩れ落ちて、自分は深い闇の底に落ちていく。そんな表現が、今はしっくりくる気がした。体験したことはないけれど、崖から落ちるときの衝撃、あるいは誰かに銃を向けられて、銃弾をくらってしまったかのような痛み。
まるでどこかの漫画にでも出てくるかのような、そんなシーンが、僕の頭の中では繰り広げられていた。
そして、その痛みは僕と、雨宮さんを容赦なく切り刻んでいく。
なんていったって。
「取り壊す……って?」
「ええ、ここは正式な神社ではないので、いっそ取り壊して店を建てた方が利益につながるかと思いまして」
「そんな、でも」
僕は言いよどんで、俯いた。神社が、取り壊される。
それって、どういうことだ?
僕は足りない頭で、必死に混乱した心を落ち着かせて、考える。だけど、いくら考えても心臓は煩いまま、動悸が収まらない。何処からか、警笛が鳴っている。そうだ。何も考えられないこの頭でも、本能は告げている。
神社を取り壊すなんて、ダメだ。
だって、だって。
「そ、それだと困る人も出てくるんじゃ……」
「さあ、どうでしょうか。私の知る限り、君たちくらいでは。まあ、土地代だけ搾り取られている何の機能も持たない神社を持っている私の方が、余程困っているかと思いますけど」
呆れたようにそう言った天城さんは、これ以上話すつもりはなかったのか、太陽の下に出て、神社周辺を散策した。
鳥居、本殿の壁、賽銭箱の脇、など。何かを手帳にメモすると、彼は僕らに会釈をして、にこりともせずにさっさとこの場を後にした。最後まで、皮肉たっぷりの人だった。
だけど、僕にはそんなことを考えている余裕すらない。天城さんが立ち去るまでずっと硬直状態で立ち尽くしていた僕は、ハッとなって身体を動かした。何故なら背後でドサッと音がしたからだ。
「……雨宮さん」
真っ白なワンピースが汚れるのも気にせずに、雨宮さんは膝をついて茫然としていた。その顔は、顔面蒼白で、まるであの日のようだった。焦った僕は無意識に視線を合わせて雨宮さんの肩を揺さぶる。
「しっかりしてください、大丈夫ですか!」
少し大きめの声で呼びかけると、虚ろだった雨宮さんの瞳が正気を取り戻して僕を映した。だけど、顔色が悪いのは、変わらない。むしろ、だんだんと酷くなっている気すらする。
どうして、こんな。
「体調、悪いなら今日はもうやめた方が」
僕がそう言いかけて、雨宮さんの手を掴むと、彼女はその白すぎる顔を見事に歪めて、首を振った。こんなに動揺している彼女は初めて見た。まるで子供が駄々をこねるように、雨宮さんはイヤイヤと首を振り続けた。
「どうしよう……神社が、私の家が……なくなっちゃう……!」
ついに手で顔を覆って泣き出した雨宮さんに、僕はどうしていいか分からずあたふたしてしまう。雨宮さんが、泣いている。僕の大好きな人が、目の前で。
こんな時、どうすればいい。
僕は。どうしたらいいんだ。
でも、本音を言えば僕も泣きそうだった。ただ、男として泣くわけにはいかない。特に、好きな人の前では。必死に堪えた涙腺は、今にも決壊しそうだ。でも、絶対に泣けない。
だって、神社がなくなるんだ。
言われた時は頭が混乱して何も考えられなかったけれど、ようやく落ち着いてきた今、僕は次々と嫌な事を想像した。
神社がなくなる。
つまり、雨宮さんと会えなくなる。
僕は真っ先にその仮説が浮かび上がった。この神社が僕らの会う、約束の場所だから。それもあるけれど、もっと根本的な問題だ。
この神社に祀られている雨宮さんは、神社から離れることは出来ない。離れても、少しだけ。となると、この神社は雨宮さんにとって家でもあり、本体でもあるということじゃないか。
本体の神社が取り壊されてしまったが最後、僕のお供えとか、願う力とか、そんなものは露と消えて、雨宮さんは未来永劫、この世に姿を現せなくなってしまうのはないか。もっと言えば、雨宮さん自身が、人間で言う死に向かってしまうのではないか。
足りない頭でその仮説を組み上げると、それはパズルのピースのようにポン、とはまった。雨宮さんに確認を取ったっていい。だけど、今目の前で泣きじゃくった彼女に、これ以上刺激を与えたくなかった。
それより、僕自身が、その仮説を事実にしたくなかった。
「家が……私の、家が……」
僕は唇を噛む。いくらほぼ毎日通っていて、掃除をしてお賽銭をしていたって、僕はただの参拝者だ。相手は皮肉屋で鷹の目を持った、神社の管理人。管理人が取り壊すというのなら、それで通ってしまう。
でも、僕らはこれでいいのか。本当に、このまま取り壊される日々を待ち続けて、雨宮さんと別れてしまっていいのか。二年前のように、残酷な終わり方をしていいのか。
いいや、そんなわけあるか。
今度は雨宮さんが居る。ちゃんと、未来を生きるって約束した。花火を見るって、約束したんだ。
だから、このままで終わらせるわけにはいかない。絶対に。雨宮さんを、消してたまるものか。
僕は一つ、固く決心すると未だに泣きじゃくる愛しいその人の頭を撫でて、優しい声音で言う。
「雨宮さん、聞いてください」
「……ふぇ……」
「取り壊し、阻止しましょう」
僕は立ち上がって太陽の下に出る。そして、泣きじゃくって座り込んだ彼女を見る。僕よりよっぽど小さなその存在を、守らなければいけない。僕は、男で、彼女が好きだから。
それ以外に何があるというんだ。
「僕たち二人で、なんてたかが知れているかもしれない。だけど、やってみなきゃ分かりません。だから、あの天城っていう人に対抗しましょう。この天神社を、守るんです」
日光に照らされて、雨宮さんの涙はきらりと光った。
方法も、出来るかどうかも、何もかも分からないけれど。それでもやらないよりいいだろう。
そこに僅かな希望があるなら、それに向かって走るしかない。
僕の力強い声に反応して、神様の涙は止まる。そして、拭うことすらせずに僕を見つめた。
やがてゆっくりと頷くその顔を見て、僕も再び頷いた。
見ていろ、天城優成。必ず、取り壊しを阻止してやる。