6 彼女への行動を
乱雑に置かれたゲーム機、漫画の山。ところどころに菓子パンや弁当の屑が散らかって、一人暮らしを始めたばかりの男の部屋といった感じだ。しかし、よくよく目を凝らしてみると、植物が多い。サンセベリア、ポトス、パキラといった観葉植物が隅に集められているのを他所に、窓際にはアサガオといった夏の花も見られる。雑然としたこの部屋は植物研究会と銘打ったサークルで、実際はていの良い遊び場。……だったのだけれど、最近は幸弘が力を入れ始めて徐々にサークル活動もまともになってきた。
「ちっくしょう、またこんなに散らかしやがって……、植物研究会という自覚を持ってほしいよ」
そう言いながら、幸弘は手際よくごみを拾ってポイポイと袋に入れ始める。講義が終わって、僕を引きずるようにこの部屋に連れてきたかと思うと、いきなり掃除を任命された。僕もサークルの仲間だというのに久しぶりに来たのがいけないのだけれど、確かにこの部屋の散らかりようは酷い。サークル仲間以外も出入りしているのが原因だろう。自他ともに認める植物オタの幸弘が怒るのも無理はない気がしてきた。
「あのさー、それはいいけどなんで俺も連れてこられたの?掃除しろって?」
「だってどうせ暇だろ?手伝え」
「植物研究会に入ってないのに」
「でもここにしょっちゅう入り浸ってるだろ」
「えええ」
そう言ってぶうぶう文句を垂れているのは友喜だ。バス愛の彼も、幸弘の腕力によって半ば引きずられるようにここまで連行された。三人一緒に講義を受けていたのが運の尽き。窓から差し込む太陽の光が、ご愁傷さま、とでも言う様に僕の瞼を照らした。
しょうがないので袋を片手に掃除を始める。
「ゴミ集めたらとりあえず観葉植物に水をやってくれ」
「そういうの、幸弘の仕事でいいと思いまーす」
「はいはい、俺も時也にさんせーい」
「なんだって?」
僕たちが必死に集めた漫画をゴミ袋に入れようと脅してくるのは卑怯だと思います、はい。
結局僕らはたった三人で、この散らかり放題な部屋を綺麗にすることにした。どうせ明日には他のメンバーが汚くしていくのだから無駄だと思うのだけど、そこは幸弘が許さない。
挙句の果てにほうきと雑巾を取り出してどっちがいい?と聞かれた時にはもうどうにでもなれとやけくそ気味だった。僕にメンバーの自覚はない。
「そういえばさ」
あまりの暑さに無言で掃除をしていた最中、僕が窓のサッシを必死に雑巾で拭いていると、唐突に幸弘が口を開いた。ちなみに今は掃除中だから換気のために窓を開けて冷房を切ってある。幸弘は何処までも無慈悲だった。
「どうしたの」
「十月にある大学祭の事なんだけど」
「あああ!やだ聞きたくない!」
僕は必死に首を横に振ったけど、幸弘は満面の笑みで話を続けた。友喜は訳が分からないと言った様子で壁のシミを必死に雑巾でこすっていた。ちなみに友喜、それはたぶん水では取れないと思うから洗剤とか使った方がいいと思うよ……。
「実は今年ようやく植物研究会も出し物をすることにしたんだ。だから、メンバーは一人一つずつ何かを育てよう。あとレポート提出して展示会するぞ」
「無理だよ僕は植物の事なんか全然知らないし……」
「そこは俺がフォローするに決まってるだろ。とりあえず、今度俺が種持ってくるからそれは育ててくれよ。後自分の好きな花育ててもいいぞ」
「僕が好きな花なんてあるわけないだろ……」
僕はそこまで言ってはたと気づく。僕は花に興味ないけど、雨宮さんなら。彼女なら、花が好きなはずだ。ひまわり、紫陽花。あの二つ以外にも、好きな花はあるかもしれない。せっかくなら、雨宮さんの好きな花を育てて、プレゼントしたい。それなら、僕もやる気が出る。
雨宮さんなら、他に何が好きだろう。白百合なんて清楚な花は似合うし、椿なんてのも合いそうだ。でも、秋に咲く花じゃないとだめなのか。ううん、これは意外にもやる気が出てきたぞ。
僕が一人で悶々としているのを他所に、友喜は素知らぬ顔で壁のシミと戦うのをやめた。
「まあ頑張れ」
「他人事じゃないか、友喜。何ならお前も育てるか?」
「そういう冗談はいらない」
「いや、割とガチなんだが」
「この植物オタクめ!」
友喜が涼しい顔立ちを歪めて地団駄を踏む。幸弘はこう見えて頑固で押しが強い。いや、こう見えても何も、この筋肉質な身体からしてイメージできるか。僕は横目で二人の様子を見つつ、自分が育てる花を考える。
もちろん、育てやすい花がいい。そして雨宮さんの好きな花。育て方に関しては植物オタクに聞くとして、やっぱり最重要事項は彼女に見せる事だ。
どんな花がいいだろう。サプライズとして花を渡すのもいい。とりあえずそれとなく花の話題を持ち出して、聞くとしよう。
そして、僕は良い事を思いつく。
そうだ。花をサプライズで渡して、その時に改めて告白しよう。
十月ならまだまだ余裕もあるし、勇気を作るのに充分な時間が取れる。まさか告白をそんな先送りにしていいのかと世間には言わせてしまうかもしれないけれど、これくらいが僕にはちょうどいい。それに、十月になって、雨宮さんが存在してるという事実を、目の前で実感してから、気持ちを伝えたい。僕らは、まだ一緒に居れるんだと。そうやって、少しずつ、歩み寄れるならば、それがいい。
僕は大きな決心をこっそりすると、ひとまず目の前に山積みになった掃除という課題をクリアすることに専念する。黙々と真剣にやっているせいで、幸弘に褒められ、更に仕事を押し付けられることになったのだけれど、そこは逃げた。やってられない。
そんなこんなで、僕たち三人はそれなりに綺麗になった部屋を満足気に見渡すと、帰ることになった。時刻は既に六時を過ぎていて、三時間以上掃除をしていたのだと思うと、ゾッとする。
廊下に出てさあ帰るぞ、と三人でわいわいしていると、唐突に後ろから声をかけられた。キンキンに響くその高い声は、つい最近聞いたものだ。
「近松さん!」
「え?……あー、綾島さん」
呼ばれた友喜はうんざりした声音で、だけど表情は取り繕って笑顔で受け応えた。向かい側から派手なメイクに露出の多い服装に身を包んだ女子が歩いてくるのが見えて、僕も思い出した。
確か、友喜を追いかけてバス愛に入った子だ。こないだ昼に通りかかった、派手な子。
幸弘に視線を送ると、彼は苦笑していた。友喜は話しかけられると、たいがい女子に捕まったままでその場から動けないことが多い。女子のなんでもかんでも巻き込む底力は大したものだ。
さてどうしたものかと僕らは立ち尽くして、内心嫌そうに対応する友喜の背中を見つめていると、綾島と呼ばれた女子の背後からひょこりと誰かが顔を覗かした。
どうやら、綾島さんに隠れていて見えなかったらしい。
姿を現したのは、僕の隣に越してきた恩田さんだった。友喜を追いかける綾島さんに振り回されているのだろうか、少し疲れた顔をしていた。それでも僕にぺこりと会釈をしてくる当たり、礼儀正しい。
「何、時也も知ってるの、あの子」
「いや、昨日僕の隣に引っ越してきたんだよ」
「へえ、変な時期に引っ越してきたんだな」
「そういえばそうだな。なんでだろ」
「知らん。聞いてみたらどうだ」
「いやいやいや、僕が女子苦手なの知ってるだろ?」
「もちろん。でもそろそろ慣れないと、彼女出来ないぞ」
「いいもん、僕には雨宮さんが居るもん」
そんなことを二人でこそこそ呟き合ってると、恩田さんが綾島さんの手を引っ張った。そうして、僕らをちらちら見ながら首を振る。
「真奈、近松さんたち、もう帰るみたいだし……、ね?」
つまるところ、もうそろそろ帰ろう、という意味なんだろうけど、綾島さんは名残惜しそうな顔をした。しっかりと恩田さんの手を握って嫌々と首を振る様子はウサギみたいで可愛い。綾島真奈、恐るべき女子力の高さ……。
「そうだ、じゃあ私たち一緒に帰りましょうよ!」
「え、一緒に?」
友喜の驚きの声に僕もつられて目を見張る。幸弘はどっちでもいいと呟いて、素知らぬ顔だ。いやいや、よくない。僕は全然よくない。
だけど、綾島さんのごり押しによって五人一緒に帰ることになった。綾島さんのパワフルな行動力は、僕には力が強すぎたようだ。
「え、赤瀬先輩と沙也加って隣同士なんですか」
「う、うん……、そう」
「てかなんで沙也加はこんな時期に引っ越したのさ」
「うん、いろいろあって」
「そうやって誤魔化してー」
「ごめん」
女子の会話って凄い。とにかく途切れないし、テンポいいし、そして口下手をずるずると巻き込む。綾島さんは帰りの道すがら、ずっと話を続け、僕ら男子を巻き込んだ。てっきり友喜にだけ会話を振るのかと思いきや、僕らにも同等に話しかけてきた。幸弘の植物トークに真剣に頷いて、こんな僕の受け答えにも笑顔だ。凄い。そのコミュ力分けてほしい。
「あ、私電車なんです。だからここで」
「俺たちもここで別れるから。またね」
そう言って電車通学の綾島さんと、僕よりも家が遠い友喜、幸弘は手を振って別れた。そうして残されたのは、必然的に隣同士の僕と恩田さん。待って、女子と一緒にしないで。何話したらいいの。
「…………ぁ」
あのさ、と言いかけたらこれである。ていうかどんな話題を振ればいいんだ?恩田さんは鞄を丁寧に持ちながら無言で歩き続けるし、僕はうつむき加減でどうしていいか分からない。
そんな時、恩田さんが予期せぬ話題を振ってくれた。
「赤瀬さんは、植物研究会に居るんですね」
「ああ、うん。そう、なんだ」
「植物、好きなんですか?」
「まさか。……あそこのサークル、居心地いいから居るだけ、だよ」
しどろもどろだけど答えることが出来た僕に大拍手。
「そうですか……」
しかし会話は続かない。どうしてだ。しょうがないので勇気を振り絞って話を切り出すことにした。今週一番勇気を使った気がする。
「恩田さん、好きな花とかある?」
「花?」
「そう。秋の花とか、……ない?」
恩田さんはしばし考え込む。そうしてハッとなると、僕より数歩先を歩いていた足を止めた。
「桔梗」
「ききょう?」
「はい。桔梗。とっても、綺麗だと思いませんか」
僕は頷いて、桔梗、と心の中で何度も反芻させた。雨宮さんにあげる花の参考として心にとめておこう。
結局、僕たちはそれから一言も話さずに帰った。しかし、恩田さんは別段機嫌が悪いわけではないらしい。その証拠に、途中何度かスキップをしていた。
次の機会があるのなら、もう少し話が上手く出来ればいいと思った。